第15回 温かい食事と風呂に肩までつかる。

2024年1月21日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生 

2023年は、私にとっても、可児市文化創造センターalaにとっても、忘れられない年になりました。私の劇場経営の理論形成とベンチマークを作ってくれて、しかも日本に創出したい劇場像の最大の理解者であった25年間の伴走者である人物を失い、その劇場像の5合目までようやく登り付いて2020年に館長兼劇場総監督を辞して、頂上までの難所を引き継ごうとしていた後継者たちの一人を失い、さらに2008年の館長就任以来の厳しい「たたかい」の中で羽根を休められる時間を作ってくれていた協働者のアーラクルーズ副理事長を失くして、個人的には、足元が崩れていく感覚にとらわれました。しかも、一月おきの別れには、立ち上がる暇もない出来事で強かに打ちのめされました。年明けには何とか心機一転して、1年半かけて90年代からの折々の転機を振り返って書き下ろしている『「人間の安全保障」としての文化芸術-人間の家・その創造的アーツマーケティング』を上梓して、次の世代へバトンを引き継いで遺そうと考えていた矢先の元旦に、能登半島での震災と羽田空港での信じられない事故が立て続けに私を襲いました。ウクライナにもパレスチナにもミャンマーにも、一条の光さえ射し込む気配はなく、私の思考は内も外も閉塞感に囲まれています。私には何が出来るのだろうかと、今年の正月は祝い気分よりも、その反芻をするばかりです。

そのような日々で、とても気になっているのは、能登半島で孤立している人々の「いま」です。このままでは、「関連死」がいずれとてつもない数になってしまうのではと、とても気になっています。発災した夜に自衛隊1000人規模の派遣を決めたとの報道がありました。東日本大震災では、発生当日に約8400人、2日後には5万人超、1週間後の3月18日には10万人規模の隊員が派遣されています。岸田首相は「単に人数だけを比較するのは適当ではない」と言っていましたが、関連死を最小にとどめるためには被災者の人たちの生活環境をいかに迅速に震災前の日々に近づけて精神的なダメージを軽減するかが問われていると、私は考えます。救援物資をいち早く届けることも大切なのですが、阪神淡路大震災の折に私が学んだのは、被災者の筋肉とりわけ腹筋がこわばって睡眠が浅くなり体力を徐々に奪っていくことです。加えて精神的な痛手が身体を弱らせていくことです。

それを防ぐには、火を使った「温かい食事」と東日本の時に実施していた温かい風呂だと私は思っています。むろん電気と水のライフライン、生理用品、おむつの生活用品が届けられたうえでの話ですが、私の経験から言えば、乾パンでは最低限の生命維持にはなりますが、生きる意欲は湧いてきません。あわせて、シャワーではなくて、肩まで温かい風呂につかることがどれだけ元気になれるか、体調を戻すか、免疫力を賦活させるか、科学的な裏付けは私にはありませんが、2014年に脳梗塞を発症した時の実感として持っています。「温かい食事」も、可児での独居生活でどうしてもコンビニ飯に偏り、過疲労で面倒な時にはナッツや乾きものでの晩酌が続くと、火の通ったものが欲しくなって、休館日にそれを食すだけで心がゆったりとする経験から是非とも炊き出しは必須だと思います。自衛隊には野営の時に活用するキッチンカーが数百台装備されていると仄聞します。東日本大震災の時には、十分ではなかったものの、大人数で入浴できる仮設の風呂が自衛隊の労力で設けられていたと記憶しています。私はこれだけでも「関連死」の相当数の減少につながるのではと思っています。倒壊した家屋から閉じ込められている被災者の救出も、平衡感覚を失くす道路の整備、がけ崩れの応急的な復旧とも合わせて、上記した生活環境の被災前の日常に一時的であっても戻す生活環境の復原も大切なミッションと初動時から想定すべきではないでしょうか。

私はフィンランド首相サンナ・マリンの2020年の新年へ向けてのコメントである「社会の強さは、最も裕福な人たちが持つ富ではなく、最も弱い立場の市民たちがどう生活できるかによってはかられます。私たちはすべての人が尊厳のある人生を送れるのかどうかを問わなくてはならない」に、政治家の矜持と理想的な政治の思想を見ています。物資運搬のための道路とライフラインの復旧、避難所の住環境の改善、移動の自由と大型暖房機材の稼働のための石油製品の供給等の大きな復旧計画の実施とあわせて、それに比べれば些細なミッションかも知れませんが、日常の営みの一部を取り戻す「温かい食事」と「入浴」を人間の生存には不可欠な任務と使命のひとつと位置づけるべきと思います。