第14回 劇場音楽堂の生産性を高める「付加価値」を創出する職員とは

2023年12月16日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生 

社会包摂型劇場経営を掲げているアーラがスポーク&ハブの役割を果たして、社会的に有用な複数機関の協働による変化であるコレクティブ・インパクトを機能させて、岐阜県教育委員会と劇団文学座による2012年に始まった県立東濃高校での仲間づくりワークショップに、生徒たちの変化をつぶさに観察するために立ち会っていて、3年後あたりでぼんやりとはしていたもののある「発見」をすることになります。多様多彩なシアターゲームに興じるうちに、生徒たちは「自分を必要としている誰か」、「自分が誰かの必要となっている」ことに気付き始めるのではないかということでした。その結果として、クラスが居場所になっていっているのではないか。それが「つながりの貧困」からの回復というメンタル・ヘルスの働きと効能となってといるのではと感じ始めたのです。2012年にワークショップを受けた学年が、卒業時に、それまでの5年間の中途退学者が50人アベレージだったのが、9名と激減したのは彼らの生活環境に何らかのインパクトをもたらしたのではないかと感じていました。 

この感じは、随分と以前に感銘を受けて備忘録にメモをしたことがあると思い出して、当時使っていた超軽量のPCに検索をかけて、1987年年4月19日にダイアナ妃がエイズ患者を見舞ったときの談話に行き着きました。彼女は、当時は接触さえ憚れたエイズに感染した当事者と握手までしたことが報道されて、かなり衝撃を社会に与えた記事だったことを鮮明に憶えています。その直後の談話でダイアナ妃は「現代社会が抱えている最も深刻な病は、人々が愛されていないと感じていることだと思う」(I think the biggest disease the world suffers from in this day and age is the disease of people feeling unloved.)とのコメントをしたとメモには記してあります。この彼女のコメントと「誰もが必要とされるべき」という私の「社会包摂の処方箋」の考えは、ほとんどぴったりと重なり合うと私は思っています。「人々が愛されていないと感じている」とは、自尊感情の喪失であり、自己肯定感を持てない生の現実だと私は思っています。社会的孤立と孤独が、自殺や犯罪のトリガーになっていることは良く知られています。「文化芸術の社会包摂機能」とは、文化芸術それ自体が個の存在を癒して、社会的排除による「つながりの貧困」から個をレスキューするのではなく、「文化芸術の諸機能のうちの共創性によるつながりの構築を生む価値共有」が、すなわち他者の存在を自覚することが自尊感情の光をもたらすことになる、と私はこれまでの経験の蓄積から理解しています。そこには、自分ではない「他者」が介在するのです。 

私は館長を辞した後にアーラの職員となった人間に、滞在型の自主製作事業と大型市民参加型プロジェクト以外の買取公演をはじめとする事業は、ルーティンである決められた手続きの繰り返しであり、少し経験すれば誰にでもできると、月一回のゼミの時に言っています。アーラが社会包摂型劇場経営として評価されているのは、他館に比べて「一手間をかけることを惜しまず」に付加価値を加味したサービスをしているからとも繰り返し話しています。そして、その「付加価値」は、市民が「ありがとう」という気持ちになれる「コト消費」であり、それは担当職員が「想像力と創造力」で自分で考えるものと話しています。つまり、相手の心に届く「心づかい」、「気くばり」、「思いやり」が付加価値となって、舞台鑑賞やワークショップ参加のプラスアルファとなって、充足感や満足感を生むと私は考えています。それは組織の持っている理念や使命に基づいてはいるものの、職員個人の価値観から自分で創案すべきであると思っています。オリジナル・バースデーカードと可児の花であるバラを一輪ラッピングして誕生日月のお客様の席に置いておく「バースデー・サプライズ」、地場の企業団体個人からお預かりした浄財でチケットプレゼントをする「私のあしながおじさんプロジェクト」と「私のあしながおじさんプロジェクトfor Family」、障がいによって劇場ホールでの音楽会に参加する機会を閉ざされている皆さんに、いくら声を上げて騒いでも、動き回っても大丈夫な新日本フィルハーモニー交響楽団メンバーによる2015年10月に始まる「オープン・シアター・コンサート」も、障がい者施設「ふれあいの里可児」の新日本フィルによるアウトリーチで演奏に心が動くと奇声を発したり、モーツァルトに指を鳴らし始めたり、突如多動行動となって動き回る特性のためにホールでの鑑賞体験にアクセスできていないだろうとアーラに戻って私が話したのを耳にした職員が事業化して、舞台技術課の職員によるホール内の階段を特設のスロープにして誰にでも「開かれた場所」にしてくれました。「オープン・シアター・コンサート」は、職員のほんのちょっとした思い付きや気付きから誕生した付加価値サービスを嚆矢としており、アーラの独自サービスとして現在でも定着している事業です。劇場音楽堂は、都市圏の文化芸術機関からのパフォーマンスを買い取り、福祉配給的に当該地域で上演するだけではただのハコでしかありません。そこに付加価値を加えたソーシャル・パッケージサービスとしてカスタマイズ化することではじめて、劇場音楽堂は地域社会での社会的存在意義と高い生産性ある施設として機能するのです。 

むろん経年で事業改良は加えられますが、職員の気付きで始まったプロジェクトであっても、いずれはルーティン化するのは避けられないことです。たとえそうなったとしても、お客様の「ありがとう」の言葉や笑顔や表情から、職員が知らされ、教えられる自分の仕事の意味は決して小さくないのです。ゴア副大統領のスピーチライターで現在は社会思想の文筆家であるダニエル・ピンクの定義する、やりがいと生きがいの「モチベーション3.0」の端緒をお客様からいただくのです。ダニエル・ピンクは仕事へのモチベーションを、「生存のためのモチベーション1.0」、「アメとムチのモチベーション2.0」、そして「生きがいとやりがいのモチベーション3.0」として、付加価値によって生産性を高度化して、ウェルビーイングな職場をつくります。この「モチベーション3.0」の就労環境を整えることが、これからの企業組織には肝要と述べています。この付加価値は、職員の気付きと創造力が発火点となります。「人材育成」が2003年の指定管理者制度の適用で、劇場音楽堂にも非正規職員が激増して、有期限の職員に投資することは経営的には考えられない状況が常態になっていますが、これが今後も続くようだと劇場音楽堂等の人材の払底という事態に陥ってしまうと、私は強く危惧しています。 

自身と組織の成長を実感できる環境を。 
「人材育成」は座学の研修だけで完結するものではないことは言うまでもありません。私は人材育成するには、ワークショップの現場で子どもや高齢者や障がい者の「変化」に立ち会うことが一番大切だと主張してきました。いわゆるOJTなのですが、一般的にOJTは仕事を遂行する上で必要な知識や手続きや段取りを経験して職場の平準的な仕事の手法を学ぶことと理解されていますが、核心的な学びは、「モチベーション3.0」への気付きを経験体験することだと私は確信しています。それによって、深いところで自分の仕事の意味を理解することと、私は実感しています。その「意味」を受け容れることから、どのようなことを先行事例や研究から学べば自分の任務をより深掘りできて、ビジョンとミッションに沿ったより適正な任務を遂行できて、まっとうできるかの余人を持って換えがたい無形資産である「人財」となるのだと考えています。この実感を持つ機会によって「社会包摂型劇場経営」の職員は、理屈としてだけではなく実感体感としての価値観を体現する職員となると期待されます。さらに、職員個人の成長実感とともに、所属している組織団体が成長している、進化している、評価されているという実感が共鳴すれば、職員の「人財化」は確実に具現します。これは、私の経験値から学んだ職員の「育ちの実感」です。このこの「車の両輪」を稼働させることが、館長をはじめとする幹部職員の最大の責務であり、健全な経営のために非常に重要であると経験則から思っています。可児市文化創造センターalaの黎明期の急成長には、「自分の成長とともに組織が成長している」という実感の相乗効果が、当時の職員たちの成長に大いに寄与したと考えています。 

振り返ると、5名もの欠員が出て一度に新規職員を募集したことはいままでに2度あります。最初は館長就任から3年目から4年目にかけての頃で、私が掲げた「社会包摂型劇場経営」にとっては必須であり、市民の皆さんやアーチストとの交流で求められるコミュニケーション能力のいささか欠如している職員や、大型市民参加プロジェクトを含めて創造型プロジェクトに不向きで買取公演の受け入れと撤退までの従来からの福祉配給型の会館職員のルーティンは出来ても、プロジェクト総体をマネジメントすることに「付いていけない」という退職者が多く出た比較的黎明期にありました。2回目はコロナ禍と大規模改修が重なって事業が大幅に縮小され、しかも手狭な部屋に事務室を移動せざるを得なくなり、全体的に見てのびのびとした職場環境が著しく損なわれた時期でした。その職場環境の劣化と個人的な事情が重なって、アーラの理念と使命を実質的に担っていた中核職員が大量に去ることになりました。アーラの社会包摂型劇場経営の評価がナショナル・ブランドとして定着してきた時機の大量の職員の離脱だけに、前回の時には、「他館での勤務経験はアーラでは役に立たない」との経営判断で、経験者をむしろ意識的に避けて、まっさらの未経験者を採用したのですが、「人間の家」としての持続継続性が市民からも求められる環境下では、前回のような中長期的な人材育成戦略はとれず、他館での経験のある即戦力の人材を優先的に採用することになりました。ただ、ホール勤務がはじめての職員採用の時との違いは歴然としています。 

「真実の瞬間」の担い手は上級者のバックアップで育てられる。 
経験者は当然のことですが、自分の所属する職場で一定程度の「内組織バイアス」を身に付けて働いてきています。当該組織内での「常識」を身に付けて、他の職員と同調しなければプロジェクトは回らないからです。アーラで働きたいと希望して、少なからず思い切りの決断をして転職を試みたのですから、経験者のモチベーションは、外観的にはアーラの方向性と高い同調性を持っていると考えています。しかし、それは飽くまでも「外観的」な、いわばビジョンやミッションへの共感と共鳴であって、他館での経験をそのまま平行移動しても通用しないと、私はいまでも考えています。別の見方をすれば、アーラの経営はそれほど「特殊性」を持っており、「創造的な意識と任務」が職員に求められます。しかし、その意識と任務は一般的なOJTでは、教えられるものではありません。学べるものでもありません。上級者に指示され、あるいは指導されてという受動的な姿勢で身に付くたぐいのものでも決してありません。文化施設はサービス業に分類されます。サービスマネジメントにおける上級者の組織内での役割は、顧客やアーチストに直接接触する職員をバックアップすることです。組織ツリーの下へ、下へと「権限の委譲」をすることで、顧客対応の迅速性と組織のミッションを体現する姿勢が職員に求められるのです。失敗は当然織り込んでおいて、それを「学習の機会」と捉えることが上級者には求められます。スカンジナビア航空の最高責任者に就任し、当時赤字経営だった会社をたった1年で経営回復させた伝説的な人物ヤン・カールソンの提唱した「神事の瞬間」(Moment of Truth)を充実させることこそが経営を成功に導くと、彼は考えました。従業員がひとりの顧客と接点を持つ時間は僅か「15秒」ほどで、その僅かな時間によって企業が顧客に与える評価と印象が決まっている、と主張しています。彼はそれ以前ローカル航空会社の建て直しで経営者として評価されていたのですが、その手法はコストカットによるもので、衆目は大胆なコスト削減で経営の軽量化をするだろうと見ていたのですが、意外にも「真実の瞬間」を掲げて職員の意識改革に挑んだのです。ヤン・カールソンは、航空産業をA地点からB地点へ顧客を運ぶ企業ではなく、根幹はそのあいだを気持ちよく過ごしていただくサービス業であるとの根幹に着目したと言って良いでしょう。劇場音楽堂も芸術団体も、この「15秒」を最重要視することが出発点であると、私は思って来ました。そのためには職員の意識改革と、その「15秒」を担っている職員が安心してサービスを提供できる環境を整えることが上級者の任務のほとんどすべてと言っても過言ではありません。「責任はとる」という姿勢は、私が館長時代に一貫してつらぬいてきた、いわば職員の業務への「保険」みたいなものです。アーラの「サービスの特殊性」を踏まえ、あわせて当該職員のキャリアをリスペクトしたうえで、ある意味でアーチストに劣らない創造的な任務を委ねられる職員に自分の能力で「なる」ことが人材養成の核心なのです。 

市民をはじめとする他者への働きかけは、想像力と創造力を存分に働かせて、「自分自身の翼」で飛翔して個々の市民の置かれている環境を「鳥の目」で俯瞰して、何が必要なのか、どのようなサービスを提供すれば口には出さないかもしれないが「ありがとう」の言葉や「笑顔」が生まれて、それとともに「つながり」の醸成の芽が吹くのかを考えることが求められるのです。これは、あくまでも自分の翼で舞い上がって、「変化」を実感することでしか得られない、自分の仕事のみならず、存在への確信となります。上級者の指示による「型」から入っては「社会包摂型劇場経営」の担い手にはならないというのが、私の考え方です。これを実感して、自覚的に創造的な任務を果せるようになるには、個人差があり、時間は当然かかります。けれど、上級者がその「待つ姿勢」を持たなければ、アーラのブランド力は維持できないばかりか、承継できず次第に減衰するのは必定です。そのような事例は、大学・大学院の教師となった2000年代初頭から、劇場音楽堂のみならず、一般企業でもいくつも事例を見て来ました。  

利他的な職員の価値観がマーケットのイノベーションの起爆剤となる。 
マルクス・ガブリエルは「新実存主義」の他者性(otherness)に関連して「他者がいなければ私たちは存在することさえ出来ない」と言い切っています。さらにジャック・アタリは、ポジティブな社会の実現の鍵になるのは利他主義であるとジャック・アタリは『命の経済』に記しながら、利他的な行為は最終的には自己利益として還ってくるとも述べています。アーラでの14年間の経験から、私は劇場音楽堂の「社会的存在価値」と、水準を超える「芸術的価値」の好循環を起動させるCSVマーケティングさえ精緻に設計すれば、一朝に形成できるものではないが、愛好者に限定されない従来からの文化芸術マーケットのイノベーションは起きると考えています。1998年に英国・リーズ市で目撃して衝撃を受けたウエストヨークシャー・プレイハウス(現リーズプレイハウス)の、サッチャー政権による中間層の没落によって生じた観客数の落ち込みという全国状況下にあっても、例外的に減少率を抑えて、英国芸術評議会による「鑑賞者開発」の大キャンペーンを活用して回復を短期間で達成させたうえに、私の目には年間1000の包摂的なコミュニティプログラムの供給と約20万人の参加者によって意図せずに形成された愛好者に限らないイノベーティブなマーケットをこの劇場は既に持っていると映りました。 

2007年に大学教員との兼務で非常勤館長として就任した時に構想した「社会包摂型劇場経営」は、日本を代表する芸術団体である劇団文学座と新日本フィルハーモニー交響楽団との地域拠点契約の締結で「芸術的価値」を担保しつつ、「社会的存在価値」との好循環を発現させることをWYPでの体験から企図していました。ただし、当時は企業組織の社会的責任経営(corporate social responsibility)に立った社会貢献型マーケティング(cause related marketing)であったために、外部経済性による定量的エビデンスの算出にはその考えに不適性を感じるとともに、新自由主義のミルトン・フリードマンの「寄付・ボランティア派遣は投資先(納税者)への裏切り」との言辞を跳ね返すために、発表当時に「積極的CSR」と呼ばれていた競争優位の戦略研究の大家であるマイケル・ポーターと社会貢献コンサルタントのマイク・クラマーによって「ハーバード・ビジネスレビュー」に2006年に発表された論文『Strategy and Society(競争優位のCSR戦略)』を根拠とするマーケティング戦略に転位することになります。「社会的存在価値」と、水準を超える「芸術的価値」の好循環を設計することには変わりありません。変わりないばかりか、CSV(creating social value)は、市民との価値の共創と共有という概念を含むので、従来からの愛好者に限定的なマーケットの根低からのイノベーションを可能性として持つことになります。CSVに立脚することの重要性は「価値の共創と共有」です。可児市は人口10万人強の中小都市です。商圏は25万程度と考えていますが、アーラでの14年間の「社会包摂型劇場経営」は、イノベーティブな新しいマーケットの概念を現在進行形として創りつつあると考えています。劇場は、多様な人々にライフスタイルを提案する社会的制度であり、新しい価値を提案する機関でなければならない、と私は考えています。マーケティングとは、日本マーケティング協会の定義によれば、「対話と交流」による「相互の変化」を実現する「継続的・螺旋状の進化」であり、それによって「新しい価値」をアウトカムすることだと定義されています。「新しい価値」には、収益である経済的価値・金銭的価値を含みますが、それに止まらず、さらには世界観、社会観、価値観、生活実感等の生き方に関わる観念の変化をも含みます。そして、その「新しい価値」は、共感によって切り結ばれ、共創によって育まれると実感しています。そのような個と個の「つながりの構築=身内意識(sense of belonging)」の醸成」こそが、マーケティングの悪しき「数量信仰」によって販売促進による数の多寡だけを成果とする間違いだらけのマーケッターの「手柄話」に惑わされない確かな軸を持つことが出来ると考えています。「つながりの品質」による価値を共創共有するマーケティングによって成立するイノベーティブな、社会的公共的制度としてのマーケットは、そのような数量信仰の走狗ではないマーケッターによって成立すると、私は構想しています。1994年に岡山県美術館でのシンポジウムで初めて公言した「創客」のロジックの複層的な展開であるマーケットのフェイズの転位たるイノベーションの担い手としてのアーラの職員に求められるのは、「ポジティブな社会の実現の鍵となるのは利他主義」としての思考回路です。その体現者としてのアーラの職員はサービスの付加価値を生み続ける発想を持つ職員に「なる」と、私は考えています。それこそがウェルビーイングな職場なのではないでしょうか。