第13回 強羅の露天風呂で考え続けた国内に前例のない劇場経営。

2023年11月6日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生

前回のアーラの未来像とそこに行き着くためのプロセスを考える経営手法を往きつ戻りつして考えるのが、毎年恒例となっていた年末年始の強羅温泉のさほど大きくないマロウドというホテルの露天風呂の中ででした。箱根山の斜面に建てられているホテルで、冬の露天風呂からは一本の高い気弱そうな風情の松の木と、立ち枯れた灌木と、冬の凍えるような寒さに似つかわしくない山茶花の鮮紅色の花が愛想なく咲いていて、反対側の山の斜面には大文字焼の痕跡が遠見で見えています。最初に強羅のことを館長エッセイに書いたのは、2009年1月7日の仕事始めの日でした。館長職二年目の暮れのことです。「今年も年末年始は箱根の強羅温泉に行ってきました。可児から東京に戻ったとたんに風邪気味になりました。仕事納めで気が緩んだのでしょう。風邪薬を飲んで、温泉に入って、酒を飲んで、眠りこける、の繰り返しで、何ともしまらない年末年始でした」という書き出しで、彫刻の森美術館のピカソ館で一連の彼の作品と生き方に触れて自分の現在と重ねてみた『パブロ・ピカソのように』でした。その年の暮れの仕事納めを控えた12月14日付けの館長エッセイでは、「三度目の可児での冬です。可児市文化創造センター(ala)の館長兼劇場総監督に就任してから、正確には、2年と9ヶ月になります。60歳の還暦の年に可児に来たわけで、年が明けて1月末で63歳です。63歳といえば、若い頃の私から見たらものすごいジジイです」の書き出しで、『「高み」を目指して不安と戦う ― 館長の仕事』をアップしています。 そして、「何としてでも日本の地域劇場経営のひとつのモデルを創ろうと、大袈裟にではなく、寝ても醒めても『妄想』をふくらませている自分に、いささか呆れてもいるのです」と言葉の穂を継いでいます。

「何ともしまらない年末年始」と書いたのは、この強羅温泉の露天風呂につかりながら、アーラからの館長就任の依頼を受けた2006年の年末には、アーラオープンの初年度から5年間の当時の劇場幹部から提供を受けた一抱えの実績報告書を読み解いて、エクセルシートに数値を落として経年比較とグラフ化できるように一覧にする作業をしながら、収支比率の低迷の原因が企画内容にあるのか、投入した事業費の高止まりにあるのか、マーケティングが機能していないのか、あるいは人口10万の小さな町には大きすぎる施設規模で、そこから来る管理費の高さからの収支比率の悪さなのか等を精査していました。その時のことは「山のように積まれたアーラの報告書のいちいちの事業を精査しながらグラフ化しました。財務諸表を費目ごとに分析して、それぞれ経年比較をしていました。これは忘れようにも忘れられない年末年始です」と書いています。そこから導き出された解のひとつが「芸術的価値」を担保するために日本を代表する芸術団体との「地域拠点契約の締結」と、「ハコモノ」に対しての逆風がまだ落ち着いていない時代環境に対して、劇場の存在価値を定立させるために「社会的価値」を前面に打ち出した「社会包摂型劇場経営」のロジック構築と具体的な事業企画へのダウンロードで、その劇場経営の骨組みは、何としても早急に必要だとのぼんやりした輪郭の考えに辿り着くことになります。

露天風呂からの山枯れの景色を眺めながら、2007年以降は、その年に実施した多様な全事業を評価して、及第点に達したと感じている事業にも改善点はあるのか、あるいは想定したほどの成果が出なかったプロジェクトやマーケティングは、どこがどんな点で誤っていたのかの「振り返り」をします。仕事納め式を27日に済ませてその足ですぐに東京へ向かい、翌28日の午前中に正月飾りの買い出しと飾り付けを済ませてから、おおむね元旦にチェックアウトする4泊5日で、日に4回か5回は露天風呂に入っていました。むろん、入浴後は部屋に戻ってからもベッドに身を投げて考え続けました。喫煙所が外にあるホテルでしたので、考えが堂々巡りになるとホテルのエントランスの外で刺し込むような山の寒気の中で一服してあたまをリセットするなどしていましたが、何となくではあったものの「次の一手」が見えてくる楽しみな年末年始の過ごし方でした。2009年の1月にはこうも書いていました。「アーラにあと何年いるか分かりませんが、まだまだアーラの可能性のすべては引き出せてはいないと思っています。体力的な限界なのか、能力的な限界なのか、いずれはその壁に突き当たって身を引く決意をする時がくるでしょう。しかし、その限界を自分が感じるまでは、アーラをより高みにもって行こう、可児市を全国に誇れるまちにしようと、新年にあたって思いました」と。そして、「マーケティング」や「社会包摂」の一般的概念を、就任後1年間の現場実感から疑って、その違和感にしたがって更新を試みて、私の自身の概念規定を上書き保存して新しい年の自分のテーマに据えるのも、この強羅の露天風呂の中でした。一年間の疲れをいやすための湯治ではないかと言われそうですが、それはそれで充分に楽しい時間でしたし、館長職という重責が新しい自分を発見させてくれる、新しい年の仕事と研究の意欲の生まれる強羅温泉での時間でした。

前回書いた劇場経営のベンチマークとしたWYPでの体験を整理したのも、強羅の露天風呂の中ででした。まったく日本では前例のない劇場を創出するためには、その基準となるベンチマークは必須でした。すでに書きましたが、「やりたいこと」と「やらなければならない」ことがWYPのような劇場を、現在よりも劇場ホールや文化芸術に対する強いバイアスがさらにあった時代にあって、前例のない劇場をどうしても現前化させたいとの思いに加速がかかるばかりで、それを「できること」にするためには関連する学識と知見をコツコツ積み上げながら、雑誌等に書いた原稿や当時のメモを探し出して記憶を手繰りながら自分を縛っている「常識」を脱ぎ捨てて、ロジックを組み立てることで、90年代からの来し方を省みて多くの学びを得ました。何で強羅の露天風呂であれだけの思考回路が働いたのかとあらためて考えると、比較的ぬる湯だったことと、標高600メートルの冬の山の冷気とあの山枯れの救いのない風景があって、関心事に集中せざるを得ないような環境があったからだと今にして思います。

それに加えて、強羅の泉質には、透明な単純泉と濁っている硫黄泉の二種があるのですが、このホテルの温泉が、私の好きな硫黄泉だったことも「ありがたみ」になっていたと思います。強羅に毎年通うようになる前は、世田谷区の協定保養施設だった網代温泉の平鶴という旅館に毎年行っていました。区民割引きでお得感があるのと、朝から魚介料理を食せるので5年ほどは通っていました。ここの露天風呂は海に面した崖上の立地で相模湾を一望でき、海に浮かんでいるような岩風呂でした。海辺ですから能登の加賀屋と同様のカルシウム-ナトリウム塩化物泉で、 お湯は透明ですが温泉成分が濃いため、冷えた身体には手足の先に一瞬痺れが走って、疲労が湯に溶けていくような錯覚にとらわれます。ジワジワと心地よくて、冷めにくいのが塩化泉の良いところなのですが、研究書や論文を読もうと思ってもいっこうに頭が働かないで、結局は持参した書籍や書類をそのまま持ち帰っていました。

2013年5月に東京藝術大学構内で発症した脳梗塞の後遺症で、翌冬の世界劇場会議国際フォーラムでの基調講演の際にハンカチの色が変わるほどの発汗があり、すがるように湯治に行った湯屋温泉の奥田屋の湯は酸化鉄炭酸泉で、空気に触れてさび色に濁っているのですが、炭酸泉は湯冷めしません。目的が湯治ですから、飲んで、食って、寝るの自堕落な一日を過ごしても、目的が身体を立て直すことでしたから自己嫌悪にはなりません。2009年にはこんなことを書いていました。「可児に来てからは、いつも何かに急かされているように生きています。相当なプレッシャーの中で生きています。しかし、この『感じ』がなくなってアーラの進化が止まったら、私はそのときを退くときと腹を括っています。人間には限界がありますから、いつかはその時が来るだろう、パタッと足が止まってしまうときが来るだろうと思います」と記していますから、かなりのストレスの中で仕事をしていたのだろうと思います。しかし、アーラを進化させてWYPに少しでも近付ける作業は、間違いなく楽しい時間でしたし、胸の高鳴る時の中にありました。アーラの中長期的な進化と文化芸術の「社会の公器」への認知を進捗させるための考えをめぐらす時間は、どんなにストレスがあっても、知的な発見と気付きのある上質な時間でした。ただ、この強羅のホテルの唯一の欠点は、朝食からフランス料理ということで年末年始だけで最低2~3キロは体重が増えることでした。現在では58キロ台になっていますが、当時はまだ73~74キロの肥満体でしたからそれはそれで深刻な問題でした。

そのような上質な時間を過ごせたホテルマロウドの露天風呂からは、コロナ禍になってからは足が遠のいています。館長を退いてからは一度も行っていません。中小規模のホテルですから、それほど大きくない風呂場が混雑することがあり、コロナ禍で大勢の人で混み合うのを妻が嫌ったことが原因です。可児に行ったときに泊るビジネスホテルには、一階に人工温泉の大風呂が設けられているのですが、そこには入らないで部屋のユニットバスにしてほしいと言うくらいです。とは言っても、この4年間は年末年始の温泉がなくなったわけではありません。年に一度の夫婦水入らずの恒例行事ですから、強羅を含めて箱根湯本、芦之湯と箱根山中の温泉には行ってはいます。私の露天風呂好きを家人は知っているので、コロナ感染を忌避することからどうしても部屋に露天風呂の付いたリゾート資本系の大型ホテルに泊まることになってしまいます。また、この4年間の温泉は透明な単純泉ばかりで「ありがたみ」がないので、そうなると、食べて、呑んで、寝て、一日中無為にゴロゴロとしているだけになってしまいます。リゾート資本系のホテルの食事は、通りいっぺんのバイキングで食べる楽しみを満足させてくれるものとは言えません。私の好みから言えば、自家栽培のそば畑で獲れた蕎麦がかならず供される湯屋温泉の奥田屋の飾らない食事なのですが、リゾート資本系のそれは特徴のないものです。それに、コロナ禍の中で家族経営に近い温泉宿が次々と廃業してしまい大きく箱根が様変わりして、風情や人情のある宿泊施設が淘汰されてしまったことも原因だなと思っています。もっとも大きいのは、館長を退いて「何かに急かされているように生きて」いないことではないか、とも考えています。だとすると、何とも因果な性格だと我ながら呆れてしまいます。

インフルの予防接種は例年より1か月早く10月中旬に、コロナのワクチン接種の6回目は前回の5ヶ月後の11月下旬には済ませる予定なので、今年の暮れには強羅のホテルマロウドに行けるかなと考えています。コロナ禍を経て、どうやらマロウドもご多分に漏れず料金は高くなっています。以前は一泊2万円弱だったのですが、3万円を超えています。クリスマスと大晦日を避ければ繁忙期料金からまぬがれるかなとも思っています。改訂料金を見ると平日が極端に低くなっているので、どうやらダイナミック・プライシング(変動価格制)を採用しているようです。問い合わせしたところ、年末年始はフルブッキングなようで、ならば11月の平日に4年ぶりの慣れ親しんだ露天風呂の景色を見ながら、今度はこれから迎える終活期の過ごし方をじっくり考えたいと思っています。