第11回
「芸術的価値と経済的価値は両立しない」、本当にトレードオフなのか
-社会的価値を重視する「経営」が持続継続性を担保して、「社会の公器」へ。

2023年10月14日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生

第三次基本方針での文化政策の「コペルニクス的転換」を承知しているか。
リモートで傍聴していた文化経済部会第2回文化芸術カウンシル機能検討ワーキンググループの議論内で、補助制度は2011年に「第三次基本方針」の「従来、社会的費用として捉える向きもあった文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要性に基づく戦略的な投資と捉え直す」という文化政策の根底的転換にともない、2012年に従来からの「赤字補填」というスキームから「自己収入の増加等のインセンティブが働かないとの問題」により抜本的な見直しがなされたというのに、委員からの現行の補助金制度に関する「赤字補填ですよね」との確認質問が出て、それに対して、文化庁職員が「赤字補填」と答弁をしているのを聞いて耳を疑いました、今回の政策立案を付託されて委員として参席している大学の教員が、10年以上も前に転換した国庫補助金が「赤字補填」に利用されるスキームの転換を知らないのも大問題ですが、所管する文化庁職員が「赤字補填」という現在は耳にすることのなくなった言辞を平然と口にしていることに、私はこれを看過することは出来ないと思いました。この転換によって、補助金の意味が大きく変わったということをわきまえていないことに、私は危機感を持ちました。「第三次基本方針」に記された「従来、社会的費用として捉える向きもあった文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要性に基づく戦略的な投資と捉え直す。 そして、成熟社会における新たな成長分野として潜在力を喚起するとともに、社会関係資本の増大を図る観点から、公共政策としての位置付けを明確化する」の文言は、文化政策が「保護政策」の社会コスト (負担)との位置づけから、社会に変化をもたらす「戦略的社会的公共政策」へ、ほとんど180度の大転換したのが、この「2011年」なのです。「赤字補填」という言辞をしっかり吟味してほしい。

これは、まさしく文化予算は社会コストとの認識にある文言です。あわせて、それと平仄を合わすように、そしてソーシャル・インパクトを具現化するために、その前段には文化芸術は「社会的便益(社会的外部性 カッコ内は筆者加筆)を有する公共財である」、「また、文化芸術は、子ども・若者や、高齢者、障害者、失業者、在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会的基盤となり得るものであり、昨今、そのような社会包摂の機能も注目されつつある」との記述があり、外部経済性(外部便益)は文化芸術のどのような機能によって醸成されるのかの例示までしているのです。

「社会的価値」という芸術団体の存在価値と劇場音楽堂の存立価値を重視する政策へ大きく舵を切ったのがこの年であり、「赤字補填」の支援スキームが廃されたのも、この「第三次基本方針」と通底し連関する流れと私は捉えています。その後、文化政策部会による「文化芸術推進計画第2期(中間報告)」が公表されてパブリックコメントの募集が告示されます。一読して、私は目を疑いました。「3.社会状況の変化」に「深刻な少子高齢化の進行による人口の減少や、文化芸術の多様化等により、特に、地方部での文化芸術の担い手が著しく減少する(中略)人口減少は、文化芸術の担い手のみならず公演の鑑賞者や博物館・美術館の入館者等の減少にもつながり、需要の減少・市場の縮小が見込まれる。今後は、地域間格差にも配慮した文化芸術振興方策を進めるとともに、マーケットインの発想をもって活動を推進することがますます重要となっている」とあります。使用されている「マーケットイン」という文言は、マーケティング用語で顕在化されているウォンツ(欲求)に応える製品サービスを創造することで、投機の対象となるブロードウエイやウエストエンドの商業的な興行での文化サービスに関わる用語です。投資マーケットのニーズへの適合を優先する考え方です。文化政策のグローバル・スタンダードからは明らかに逸脱しています。文化芸術はプロダクト・アウトが基本であり、だから画期的な創造成果の可能性が担保できるのです。さらに、顧客に驚きと感動を与えられるのも成功したプロダクト・アウトの製品サービスに見られる特徴です。

あるいは寄せられたパブリックコメントの中に「マーケットイン」を文化政策案として不適とする意見があったのかも知れませんが、私も3月13日の芸文振運営委員会の席上で、これから5年間の文化政策の原案に「マーケットイン」の文言を使用した姿勢を厳しく批判しました。その後、3月24日に文化庁のウェブサイトに公表された「文化芸術推進基本法 (第2期)-価値創造と社会・経済の活性化」からは、「マーケットイン」の文言が削除されていました。それに代わって、「人口減少は、文化経済の担い手のみならず、公演の鑑賞者や博物館・美術館の入館者等の減少にもつながり、需要の減少・市場の縮小が見込まれる。今後は「地域間格差にも配慮した文化振興方策を進めるとともに、需要・市場を意識した活動を推進することがますます重要となっている」に差し替えられていました。(下線筆者)これは明らかに政策立案者の責任の放棄です。「地域間格差にも配慮した文化振興方策を進めるとともに、需要・市場を意識した活動を推進することがますます重要」は今後想定される環境変化の分析であり、「文化振興方策」と需要・市場を意識した活動」のせめても方向性を示し、例示するのが文化政策部会の政策立案への見識であり責任ではないか。「第三次基本方針」にあるように戦略的投資による変化という価値は「外部経済性」によって生まれ、そのための文化芸術の内包する諸機能に「社会包摂の機能」があると例示しています。その背景には、社会コストとしての保護政策を放棄せざるを得ない財政環境の変化があるのです。

文化審議会の分科会である文化政策部会や文化経済部会の議論や報告書を俯瞰すると、このバイアスに各委員が囚われている印象を強く持ちます。そのバイアス(先入観・常識・偏見)は、私が演劇に関わる評論・批評の仕事を始めた70年代はじめ頃は一種の社会的同調圧力のように存在していました。「演劇では食えない」、「好きでやってるのだから食えないのは当たり前」との言説は日常的に交わされていました。芸術機関は公演をしても「赤字」が通常でしたし、そのために「公演分担金」や「チケットノルマ」というリスクヘッジが構成員に課せられているのが普通でした。劇団四季でさえ、83年の仮設劇場での『キャッツ』初演当時はチケットノルマがあったが、全国各地でのキャッツ・シアター展開によって80年代後半になって「チケットノルマ制」がなくなったと仄聞します。とりわけて演劇は、参入コストが「公演分担金」や「チケットノルマ」によって圧縮され比較的低廉で、しかも投資した事業から撤退しても回収できないサンクコスト(撤退後回収不可能な費用)も他の産業に比べて高額とならないために、多くの小劇場演劇劇団の参入は70年代後半から急速に増加しました。芸団協に在籍していた米屋尚子氏が『演劇は仕事になるのか? 演劇の経済的側面とその未来』という書籍まで書き下ろしているほど、「芸術と経済はトレードオフ」という言説は一般的には「常識」にまでなっていると認めざるを得ません。これは何も演劇に限ったことではありません。参議院第二特別調査室の新井賢治氏の『日本のオーケストラの課題と社会的役割 ― 東京におけるプロ・オーケストラの状況を中心に』には、オーケストラの経営の困難性と、それを克服しようとする経営努力が歴史的に検証されており、フランチャイズ化、準フランチャイズ化という現時点での将来的な経営課題までが提起されています。(https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2016pdf/20161201073s.pdf)

2021年に三井物産戦略研究所から、芸術文化の社会包摂機能を活用して、企業価値を高度化するべきとの論旨の『文化芸術を通じた日本企業の社会貢献-社会包摂機能の発揮が開く可能性』という文書が出ました。(https://www.mitsui.com/mgssi/ja/report/detail/__icsFiles/afieldfile/2021/05/18/2105d_oki_1.pdf)

これは、芸術機関へ経済的支援をする企業メセナとは明らかに異なったフェイズの企業と芸術のリレーションでおり、また「イメージ戦略」による活用とも違っていて、「企業価値」を共創する協働者としての芸術機関の機能と能力を取り込もうとする提案です。参議院第二特別調査室の提言は2016年、三井物産戦略研究所の提言は2021年にそれぞれ発表されています。「第三次基本方針」が2011年ですから、5年と10年を経ての当事者ではない外部機関からレスポンスではありましたが、当事者というより当該者である芸術機関の反応の鈍さを考えると、正直言って情けなさは禁じません。芸術機関との協働によってソーシャル・ブランディングを進捗させて、「企業価値」を高めようとの、これらは急速に変化する時代環境を組み込んだ革新的な提言だと評価しています。一般的な営利法人でさえ芸術文化の「社会包摂機能」を活用して、社会的存在意義(社会的価値)に舳先を向けるパーパス経営や ESG 投資に適合した ESG 経営やマイケル・ポーターの研究知見を企業団体の経営理念へアップロードして実現しようとする時代環境になりつつあります。

来年度に向けた文化庁の「概算要求」が出ました。芸術機関の「自走化」と「自律化」と、宮田前文化庁長官以来の「稼ぐ文化」は、「芸術と経済の好循環」によって実現するとの文脈で貫かれた文化政策に依拠する箇所付けがなされていますが、「芸術と経済の好循環」は、私の知るかぎりいかなる芸術機関も営々と数10年、その「好循環」を実現したくて例外なく活動してきています。いまだに一部では信じ込まれている「良いものを創れば客は来る」の俗言は、経営の観点から俯瞰すれば何ら科学的な根拠をもたない「願望」と「希望」と「期待」の類です。それを「政策」に据えるとは噴飯ものですが、「文化芸術推進基本計画(第2期)」においても、「文化芸術の本質的価値の創造・深化を図るとともに、その本質的価値を生かして社会的・経済的価値を創出し、そこで得られた収益を本質的価値の向上のために再投資するという循環を生み出していくことが重要であるとされています」と記されていますが、「良いものを創れば客は来る」の俗言までも含めて、古今東西、長いあいだ「芸術と経済の好循環」という信仰にも似た思いをもって。あらゆる芸術機関は営々と活動してきているにも関わらず、です。ならば、「芸術と経済はトレードオフ」のバイアスを覆す芸術経営のイノベーションを促すのが現在求められている政策提案で、その方向性を示すべきではないかと私は考えます。繰り返しになりますが、私は同じ好循環でも「芸術的価値と社会的価値の好循環」を実現するマーケティングこそが、利益の極大化を目指す「稼ぐ文化」には至らなくとも「自走化」と「自律化」は実現可能の「適正化」が視野に入ってくる提案になると思っています。社会的存在意義と共創価値による「パーパス経営」や、経営戦略の大家マイケル・ポーターの「CSV」の概念に基づく CSV 経営(マーケットとの共創価値による経営手法)が一般的になりつつある時代環境では、戦略上重要視されるのは「社会的価値」であることは自明の理です。その意味で、文化経済部会文化芸術カウンシル機能検討 WG が、梅原あすな委員(日本公共政策機構)に「社会的価値の可視化」についての歴史的経緯と意味についての提言を求めて、きわめて重要な発言を引き出していることについては、私は高く評価しています。「社会的価値」が生産者主権ではない新時代の経営のイノベーションの鍵となり、従来のアーツマネジメントとは異なる新しい世界の扉はノックしていると考えます。市場での価値と価格はアダム・スミス以来「神の見えざる手」によって決まると信じられていますが、私は激しい時代環境の変化によって、成熟社会では、社会観や価値観や生活実感という社会心理的決定要因が、マーケットに大きな影響を及ぼす時代になっていると考えています。パーパス経営や CSV 経営がマネジメントの選択肢として浮上してきたことが、それを如実に物語っています。

直近では、シドニー工科大学の企業倫理の専門家であるカール・ローズ教授の『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』で、上記のような事例が資本主義の病理を進行させるだけとの意見もあります。「WOKE」というのは「WAKE=目を覚ます」という動詞から派生して「社会正義」を実践しようとする人びとの合言葉になっていると言います。たとえば、一般消費者向け企業が、気候変動、格差解消、人種平等などに参加する様子は「Woke Capitalism」と呼ばれているそうです。それはそれで問題ですが、 現在世界的に進行している社会の歪みを是正して、永続的な Wellbeing を担保できる社会を構築して、人間としての尊厳が守られ、人間らしい生活を営む権利の保障される変化を起こすためには、妥協とのそしりは受けるとも、ワンチームで共創価値を社会全体で共有すべき時だと、私は思っています。それほど社会は可塑性を激しく棄損して、喪失しつつあるというのが、私の現状認識です。