第20回 この度、私は人事異動となりました。

2023年6月4日

可児市文化創造センターala 事務局長 篭橋義朗

この3月31日付でアーラの事務局長の職が終わり、可児市役所に異動となりました。いろいろな人に支えられながらここまで来られたことを思うとただただ感謝という言葉に尽きます。しかしアーラの活動がアーラにいなければできないということではなく、公立文化施設であるアーラの設置者は可児市ですからアーラの活動は行政の主体的な支援なくしては成り立たちません。アーラの職員をはじめとして全国の公立劇場の関係者に訴えたかったことは決して劇場だけの活動が重要なのではなく設置した自治体の努力もあるんだということです。したがって私が行政に戻るということもアーラから全く離れるということではありません。「健全な運営がされる劇場には健全なまちが必要」という衛館長の考えそのものです。私がこの「館長VS局長」で言いたかったことはそのこと一点です。公立文化施設が指定管理者制度の適用を受けて民間企業もその管理運営に参加できるようになっています。しかし効率化の名のもとに経費削減だけがこの制度の効用であるとの間違った認識で導入されている劇場・ホールが多く見受けられます。まちづくりを究極の目的とする自治体の中核として劇場を考えるなら健全なまちを創るための舞台芸術やアウトリーチを積極的に行うというのは当然の帰結です。

私は2000年にアーラ建設計画の途中からアーラに関わりました。2002年アーラのオープン以来、12年を経験しました。みなさんが記憶しているかどうかは分かりませんが、「和泉元彌氏、東京と可児でダブルブッキング」と言えば思い出す方も多いと思います。アーラでのダブルブッキングという言葉は数年にわたってアーラのキャッチフレーズのごとく付きまといました。そのような中でスタートしたアーラは市民の長年の夢が叶えられたこともあって稼働率も非常に高く推移をしてきました。文化を創造するということでスタッフもそろえてスタートしましたが具体的な方策が見いだせないままビギナーズラックで利用率は高いままで市民に対しては一定の評価を受けたのだと思います。しかし私としては「可児市文化創造センター」と名付けられた思いと、しかしフランチャイズカンパニー設立の困難性を考えると立ち止まらざるを得なかったというのが本音のところです。一方で市民の側からすれば鑑賞事業においての専門性、芸術性の高さばかりが強調されてアーラの印象は「敷居が高い」という評判がたって、実は観客数も減少に転じていました。そのような状況で「10年たったらアーラも普通のハコモノになる。」という声もありました。しかしその言葉こそアーラがここまでになる過程に関係した私自身のモチベーションの源泉でした。多額の建設費に対する行政としての責任と多額の維持管理運営費を任された者として、とても大きなプレッシャーでした。心が萎え安易に立ち止りそうな時に鞭を入れたのはその言葉に対する反発からでした。

2007年から衛紀生館長を迎えてからの事務局長としての私は次から次へと提案される新しいアーラの施策に予算の裏付けと見通しを判断し、組織を充実させる忙しい毎日でした。しかしこれも可児市のシティプロモーションと行政サービスの向上に大きく貢献すると確信したからです。こういう時点で「芸術監督とは何ぞや」と自問自答していました。新しい舞台作品創造事業、文学座、新日本フィルハーモニー交響楽団との地域拠点契約、増加の一途であったアウトリーチ事業、さらにはチケットのインターネット販売、パッケージ制度、キャンセル制度、そして顧客コミュニケーション室を設置してアーラ・可児市のブランディング計画など、ここで列記できないほどの新しい事業は劇場というものが一般的な鑑賞事業の充実だけから一歩踏み出して「人間の家」として存在しなければいけないというメッセージだと思っています。このことは全国的に導入され始めた芸術監督制度では対応できないだろうと思いました。1人の有名アーティストがそれまでの経験で行おうとしても到底できるものではないからです。その経験とは特定分野の芸術創造経験であって組織運営や行政との関係性や市民サービスにまったく関知しない劇場のトップでは成功しないことは自明です。衛館長が言っている「芸術的野心を満足させる」芸術監督はオールラウンドであるべき地域劇場、市民にとっては迷惑な存在でしかありません。一時期に提唱された専用劇場が今また多目的劇場・ホールの建設に変わってきたことからもこれが証明されています。とするとやはり日本に「公立劇場経営」という新しい研究分野ができなければいけないと思っています。

改めてバナーのタイトルを見て思ったことを記します。
いろいろな意味が含まれています。館長と局長の関係は本来対立関係ではなく、組織上では上下関係ですから”VS”ではありません。しかしあえて言えば「館長」は芸術監督、「局長」は行政と読み替えると一般化できるかもしれません。このタイトルはそれまで芸術と行政が対立してきたことからくる弊害を象徴的に表現したタイトルだと思います。これだけ公立劇場が増加してきたことと社会が劣化してきた現状ではそんな対立をしている場合ではないということだと思います。繰り返しますが、まちづくりに貢献できないのに芸術だけ振興しようとする自治体などありません。無数にある芸術分野をそのまち、地域の住民福祉の向上に合わせてカスタマイズするコーディネート能力が地域劇場に関係する者に必要な能力であると思います。衛館長が言う「市民の半歩先を行く」とはそういうことだと思います。

衛館長は「2弾目のロケットに点火する。」と言っています。そのことに期待しますが、地域劇場のモデルになるような活動がされると確信しています。もちろんアーラは衛館長のものではなく私のものでもありません。地域住民のものです。将来的にも継続されなければなりません。「行政の人事異動で関係性が断ち切られて困る。」とよく言われます。しかしそれは民間であっても同じことで、反対に私も他社、団体に対してそう思ったことがあります。よくある行政批判の口実にすぎないと思います。団体や組織は永続性を持って存在しているわけで、アーラを例にすれば可児市民に対して文化芸術のある生活を提案し続けていくことが任務です。したがってたとえ人が交代しても人事異動があっても公立劇場が継続して活動していけることをこれから証明しなければなりません。そのことを思いながら次の事務局長にバトンタッチしたいと思います。

これまでのこのコーナーに訪れた方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。