第4回 「創客」の仕組みづくり - 顧客志向のマネジメント(その1)。

2011年7月4日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「経営」(マネジメント)という概念は、全国のほとんどの公立劇場・ホールには残念ながらないと言ってよいだろう。断っておくが、「経営」とは「儲ける」ことと同義ではない。「経営」とは「新しい価値」を創出することにほかならない。その経済的側面が「儲け」であるに過ぎない。公立の劇場・ホールにとって「経営」とは、「新しい価値」を顧客とのあいだのマーケティング(コミュニケーション)で創出すると同時に、収支比率を睨みながら「投資」という概念をあわせて考える思考である。この「投資」は、地域社会を健全化に向かわせる財政行為である。「新しい価値」を創出することで地域社会、個人に「変化」をもたらし、健全なコミュニティを形成する、そのための「投資行為」として適正な収支比率を維持しているか否かの判断が、公立劇場・ホールの経営では大きな問題となる。適正な収支比率は、価格政策、ブランディング、マーケティング(コミュニケーション)、イノベーション(経営革新と事業革新による組織とコミュニティの進化の実現)によって主に決定される。可児市文化創造センターalaでは、3ヶ年間でそれがどのように進められたのかを逐次述べて行きたい。

可児市文化創造センターalaの経営が、収支比率25.4%(平成15年度)、32.1%(平成16年度)という惨況から、就任して3ヶ年で39.4%(平成20年度)、58.5%(平成21年度)、72.1%(平成22年度)と右肩上がりに立ち直った背景には、地域社会の健全化なくしては経営の健全化はありえない、という地域劇場経営に対する確固たる信念があったと言える。地域社会の健全化を推し進めるということは、徹底した顧客志向に依拠した経営姿勢によってのみ実現できるものである。この収支比率というのは、「投資行為」がどの程度であるかを計る指数でもある。地域の劇場・ホールは、「経費積算価格型」の価格政策はとれない。チケット価格が高止まりして、一部の住民にのみ資することになってしまう。これでは公立文化施設である根拠が揺らいでしまう。いきおい「地域慣習価格型」という価格政策をとる。可児市では、東京のチケット価格の55%から65%の設定となる。したがって、適正な収支比率の指数は60%から65%前後ではないかと私は思っている。

「良いものをやればそれだけ収支比率は悪くなる」という考え方がある。ここで言う「良いもの」とは「前衛的な、先進性のある演目」ということだが、そういうものをやれば、すなわち観客数が減るか、事業支出が増加するということである。かなりエリート主義的な考え方である。しかし、私たち地域の公立文化施設は、第一に地域社会や其処に住む人々に投資しているのであって、必ずしも芸術界の進捗に投資しているのではない。このあたりを間違えてはいけない。住民から強制的に徴収した税金で設置し、運営している以上、地域社会と住民への効用にプライオリティがあるのは当然である。

さて、非常勤で大学と掛け持ちでアーラの仕事をすることになった最初の1年目で私は、可児市民の目線で「良質な舞台芸術」をプログラミングすることと、お客さまが鑑賞するたびに「発見」のある仕組みをつくることに仕事のプライオリティをおくことになる。ひとつは、就任以前に決まっていた事業を何とかまとめて「パッケージチケット制度」をつくることと、常勤となる2年目以降に優れた舞台や演奏を担保できて、なおかつアウトリーチやワークショップで市民との交流のできる劇団とオーケストラを選んで、「地域拠点契約」を締結する下交渉をすること、チケット制度の大幅な改革、市民が劇場窓口までチケットを購入しに来るというコスト負担を軽減することと24時間いつでもチケットを購入できるインターネット・チケット・システムの導入が、翌年に常勤館長に向かうための、私の事業への主な仕事となった。

就任直後に既に決まっていた事業を何とか「パッケージチケット」にまとめようとしたのには理由がある。私が最初に掲げた経営方針は、「経験価値創造=創客経営」というものであり、お客さまが鑑賞のみならず、創造や参加や、来館のみであっても、「新しい価値」を経験して喜びを「発見」する契機を積み重ねることで自己革新や進化を実現する仕組みを幾重にも張り巡らせるという経営設計であった。「創客」の仕組みづくりである。その仕組みのひとつが「パッケージチケット制度」である。一般的に顧客がシングル・チケットを購入するということは、その顧客の裡に当該事業に対する「期待」と「欲求」が存在して、それによって消費行動を起こすと考えられる。

しかし、「期待」と「欲求」の対象となっていない舞台や演奏が、存外良かったりすることは往々にしてある。その時の顧客の「驚き」と「発見」を引き出す仕組みが「パッケージチケット制度」である。パッケージされていなければ、決してシングル・チケットでは購入しなかっただろう公演が、良い意味で裏切ってくれて素晴らしい鑑賞経験となる。「顧客満足度」とは、期待度分の達成度であるから、期待度が低いだけ満足度は飛躍的に上がる。「パッケージ」で買って良かったという「出会い」をつくることになる。そういう、いわば出会い頭の「事件」が起こるように、良質な公演を揃えなければならないのは言うまでもない。あわせて、最大10ケ月程度先のチケット購入であるので、そのアドバンテージとしておよそ20%OFFの価格政策をとった。

就任直後の初年度は、決まっている事業を「演劇まるかじり」と優れた評価の舞台を演劇・音楽を分野横断的にパックした「トップセレクション」の二つのパッケージにして慌ただしく売り出した。予告のないパッケージ・チケット発売にも関わらず、[96人・163セット]の販売となった。この仕組みが周知され、「新しい価値」を経験されれば、必ず販売実績は伸びるという確信はあった。「良い席を、ディスカウント価格で」は、非常に魅力的な商品である。顧客の経済的利得、経験価値の最大化を重視することで、チケット販売の面からも、アーラへの顧客の帰属性を高め、ブランディングの進捗を促す。コアな顧客の帰属性を高度化すれば、インフルエンサー・マーケティング(影響力のある人物をスターターとしたマーケティング)が働き、アーラをチケット面から可児市民の精神的なランドマークでできる、と考えた。

予測したように、その後の「パッケージ・チケット」の販売数、購入人数は大幅に伸びることになる。翌2008年度は、便宜上つくった「トップセレクション」を廃止して、「演劇まるかじり」に加えて地域拠点契約を結んだ文学座と新日本フィル、可児市に1ヶ月半アーチスト・イン・レジデンスをして舞台創造をする「アーラ・コレクションシリーズ」の舞台をパックした「ウェルカムホーム・チケット」と、クラシック4公演のパッケージである「まるごとクラシック」、納涼寄席と初席をパッケージにした「かに寄席パッケージ」を加えた4セットとなり、[220人・372セット]を売ることができた。次いで2009年度は、[350人・796セット]、2010年度は[746人・1426セット]、2011年度は、自分で4公演分をセットできる「アラカルト・パッケージ」を加えて、購入人数はまだ出ていないが、[1075セット](6月27日現在)を販売できた。

2010年度に大きく伸びたのは「小澤征爾」という変数があったせいである。公演中止となったが、「小澤征爾」という変数がパッケージチケットの認知度を広めるのに貢献したことは想像に難くない。はじめ、「小澤征爾」をパッケージから外すという考えもあったが、パッケージチケットの認知度を高めるパブリシティ効果は計り知れないと、あえて「まるごとクラシック」に組み込んだ。急な公演中止になってもパッケージのキャンセルは僅かに1名で、その方も払い戻しの全額をアーラに寄付してくださった。所与の欲望のもとで満足もしくは効用を最大にするような合理的行為をするという経済学におけるホモ・エコノミクス (経済人)ならば、目的であった「小澤征爾」という変数が欠けることでキャンセルすることが合理的であるのだが、「廉価で、良い席をとった」という既得権は、容易には手放さない。行動経済学の知見である。さらに、継続購入顧客には二年目はさらに5%OFF、3年継続にはさらに5%OFFの特典を付けることにした。 この特典は容易には手放さないだろうことは予測できる。パッケージチケットを買い続けることは、アーラでは最大の割引率である30%OFFの特典が得られるのである。ここでも既得権は容易には手放さないと考えられる。

次に、週3日の非常勤勤務の1年目にやったことは、「地域拠点契約」の芸術団体を選定し、契約にこぎつけること、だった。言葉は悪いが、「おらが町のオーケストラと劇団」を定期的に招くことで、彼らの演奏や舞台に触れることが市民のライフスタイルに影響を与えて、「変化」を生じさせるだろうことは容易に想像できた。食い散らかすようにいろいろな芸術団体を招聘する劇場・ホールが多いが、これは経営上のマイナスである。「多様性の認識」という建て前はあるが、「劇場経営」は、人間の営為に深く関わる仕事である。毎年同じ芸術団体に触れることが知的な営為を形成することは想像に難くない。同じ芸術団体に触れることで演劇や音楽の文法や分脈が市民の中に形づくられることは、その生活の質を劇的に変化させる。ことほど左様に、「経営」とは人間の営為に関わる作法である。

「地域拠点契約」の要件としては、芸術的評価の高い舞台・演奏を提供し続けられる継続性、のちに「アーラまち元気プロジェクト」と名付けられるワークショップ、アウトリーチを量的にも質的にも柱となる事業にすることを考えていたから、それらの市民へのアプローチに耐えうる実績と力量を兼ね備えていることの二点だった。演劇は私の専門であり、40年以上評論家をしてきたから、年間400回前後のコミュニティ・アプローチを実施している「劇団文学座」はすぐに決まった。芸術的評価はまったく問題ない。可児市民の目の高さの成果と、可児市民の鑑賞眼を進化させることができる質の担保、さらにはその進化を保障するレパートリーの幅の広さなどがあった。

問題はクラシックであった。好きで聴いてはいたが、業界人との人脈は皆無であった。そこで、当時私が東京で1ヶ月に一度開いていた私塾「あーとま塾」に参加していた塾生のうちの東京芸大大学院生、N響事務局員、東京フィルとの事業連携をしていた千葉市の財団の関係から千葉市役所の職員などから情報を集めた。「地域拠点契約」の概要を考えると、やはり墨田区との長期にわたる提携をして、区内に数多くのコミュニティ・プログラムを発信している新日本フィルハーモニー交響楽団の評価が群を抜いていた。芸術性は、音楽監督のクリスティアン・アルミンクで十二分に担保できる。新日本フィルとの「地域拠点契約」の下交渉は、ある意味ではまったくの「飛び込み」営業であった。とは言っても、誰かあいだを継いでくれる人物は必要だった。それで、当時トリフォニー・ホールの事業課長をなさっていた中村晃也氏(現昭和音楽大学教授)に電話を入れることになる。彼とは(財)地域創造の委員会でご一緒したことがある顔見知り程度の間柄だった。私の大学院の教え子がその年にトリフォニー・ホールに就職していたのも幸いした。中村氏に「地域拠点契約」の意図や詳細を話して、口利きをお願いした。

新日本フィルハーモニー交響楽団との初会合は間もなくセットされた。常務理事、事務局長、事務局次長が居並び、私ははじめてオーケストラの人間と話をすることになる。就職試験というより、入試の面接試験という体であった。必死になって、考え方を一方的にまくしたてた。墨田区との関係があると慮って「フランチャイズ」という言葉は一切出さなかった。アウトリーチの目玉にしようと考えていた「家(ウチ)においでよ」の説明に時間を費やした。市民のリクエストで、楽団員が市民の日常生活と交わるボストン・フィルのプログラムにヒントを得たものだ。かつて、九州交響楽団の音楽監督をなさっていた石丸寛氏と対談した折に、氏から聞いたことで、市民とのリレーションシップ形成のプログラムとして強い印象を持っていた。「おもしろいね」と常務が口をひらいてくれた。契約金額の提示までして事務所を後にしたが、ぐったりと疲れていたことを憶えている。この日は、アーラにとっても、可児市民にとっても、将来を左右する非常に重要な一日だったと思っている。しばらくして事務局次長(当時)の安江正也氏(現事業部部長)から「フランチャイズという言葉は避けたい」という電話があった。私はそんなこともあろうと、「Regional Stronghold Agreement」という造語を用意していた。言い逃れの口実、と言われればそうなのだが、ここが生命線と判断していたので「断じてフランチャイズ契約とは異なる」と頑として主張した。いまとなっては懐かしい思い出である。僅かに4年前のことなのだが、随分と以前のことのように思える。

私は、「新日本フィルが来たら、もうすぐ桜が咲く」、「文学座が来たら秋も終りで、冬仕度の時季になる」という感覚が一番良いと思っている。市民の生活の中に位置づけられるのが絶対だと思っているからだ。「富山の薬売り」とか「石焼き芋の売り声」とか「金魚売りが鳴らす鐘や風鈴の音」とか、生活の中で季節の到来を知らせる風物詩のようなものがかつての日本人の生活にはあった。日々の生活のアクセントとして、それらは市井の日々に溶け込んでいた。これが「地域拠点契約」の理想ではあるのだが、劇場・ホールの事業としては、そうはうまくは運ばない。ただ、それに近い感覚を市民が持ってくれれば良いな、という経営方針にそったソーシャル・マーケティング(生活と習慣、ライフスタイルを変えるマーケティング)の一環としての「地域拠点契約」であった。

経営とは、「変化」こそが「機会」なのである。「地域拠点契約」の記者発表は、東京のパレスホテルで、文学座と新日本フィルそれぞれのエグゼクティブ数名ずつに臨席してもらって行なった。風呂敷を目いっぱい広げたということだが、東京の新聞社の文化部記者には「地域拠点契約」の意味するところは理解されなかった。地域で劇場経営をするということがどのようなことなのかを理解していないからだろう。「良い作品を提供してさえいれば客は集まる」という東京という特殊な地域での経営感覚では、地域は到底動かない。東京で言えば、劇場・ホールの催し物に関心を持たないターゲットに関係づくりのアプローチをして、彼らの生活、価値観、嗜好に「変化」を生じさせなければ地域劇場経営は成立しないのだ。アウトリーチやワークショップもまた、地域社会の構成員に「変化」をもたらすものとして、コミュニティの健全化の「機会」を形成する。健全な地域社会、市民生活のないところに健全な劇場経営は絶対に成立しない。自明である。