第41回 三つの会議に参加して―社会機関としての地域劇場へ。

2009年3月4日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生


世界劇場会議国際フォーラム2009(名古屋・愛知県芸術文化センター)と全国公文協主催の舞台芸術フェア・アートマネジメント研修会(東京・国立オリンピック記念青少年総合センター)でアーラの映像を見てもらいながら、基本的な経営方針、ミッション、事業展開と、地域劇場の本来持つべき社会的機能について多くの聴衆を相手にお話をしてきました。また、岐阜県下の21市の文化行政主管課長会議でも、アーラの経営現状と今後の進むべき方向性をお話しさせていただきました。

とくに世界劇場会議では、一時間の基調報告と二日間にわたっての六時間のシンポジウムという、私でもかつて経験のない長丁場のシンポジウムでした。パネリストは、帝塚山大学法政策学部の中川幾郎さん、吹田市文化振興財団の荒起一夫理事長、芸団協の大和滋さん、劇団文学座の演出家西川信廣さんと、多士済々。90年代の「ホール建設ラッシュ」の検証から始まって、「指定管理者制度」、「公益法人改革」、「それらの制度下でのアーツマネジメント」、そして将来制定されるだろう「劇場(事業)法」、さらには「あるべき地域劇場のグランドデザイン」と、公共劇場・ホールの外部環境全般にわたるシンポジウムでした。お話しする方だけではなく、お聞きになっている聴衆も、このマラソン・シンポジウムにはへとへとにお疲れになっている様子でした。

全国公文協アートマネジメント研修会では、神奈川県立県民ホールの大野晃館長のコーディネイトで、静岡文化芸術大学の片山泰輔さんとの『公立文化施設運用に携わる人材の確保と育成の問題を考える』というシンポジュウムでした。現在、46大学でアーツマネジメントの学科や履修科目が行われていますが、劇場・ホールでの現場職員の輩出を期待するという点に絞れば、正直言いますと、カリキュラムの問題以前に、ここで教えている教師陣のキャリアと質に大きな問題があります。現場経験のない教員に、瞬時に高次連立方程式を解き続けるような劇場・ホールの現場の仕事を教えられるとは思えません。アーツマネジメントやマーケティング、文化政策の基本的な考え方、それらの世界の動向の知識は教えられるでしょうが、方程式をいくら教え込んでも、日々、瞬間々々の顧客対応を高次連立方程式で解決する現場の仕事に果たして順応できるように育成できるのかは疑問です。現場は応用問題の連続なのです。研究者は育てられても、現場職員には別の資質が求められるのです。

いくら文化芸術が好きでも、文化芸術の知識があっても、人間との関わりあいの中で関係づくりや問題解決のできる能力がなければ、現場職員として何の役にも立ちません。劇場・ホールは人間関係の「るつぼ」です。複雑な応用問題を瞬時に解く人間力がなければ、仕事は一歩も前に進まないのです。進まないどころか、問題を一層複雑にしてしまうのです。そういう能力のない職員を私はいろいろな劇場・ホールで見てきました。文化芸術全般の知識や教養はプライオリティでは三番目程度ではないでしょうか。大切なのは、相手の気持ちになって物を考え、決断したらすぐに実行できる、協調性と創造力と革新性と、それらを総合した人間性にほかなりません。私たちは「サービス業」です。お客様に世界の事例をとうとうと話して理解を求める仕事では決してありません。大学のアーツマネジメント教育の陥穽の解決策としてはインターン制度がありますが、現行のように二週間程度の研修では何の意味もありません。どんなに短期間であっても半年程度は現場に携わって、お客様の問題解決に対応するための新しい思考回路をつくりだすことが求められます。アーツマネジメントは経営学の一分野であり、必ずしも世界の事例を学習することや、前例を踏襲することではないのです。前例の「常識」を逸脱できる創造性と革新性が求められるのです。

「経営」とは「新しい価値」を創造することです。ここでいう「新しい価値」とは、芸術的な価値だけを指すものではありません。劇場・ホールのようなサービス業にあっては、お客様とのあいだに生まれる信頼関係もまた「新しい価値」なのです。そのための思考回路は、いまの大学におけるアーツマネジメントのカリキュラムからは決して生まれないでしょう。アーツマネジメントとは「企画力」、という誤解がまだまだ蔓延しています。「将来、公共劇場で働くための人材育成」をうたいながら、「経営」の課題解決を教えるセミナーがまったくなく、一種の「舞台芸術教養講座」のようなものまであります。慶応大学の美山教授のおっしゃるアクティブ・オーディエンスを育成するならまだしも、アーツマネジメントとは、新しい価値を創造するための「経営力」であるのは言を待ちません。

ならば、アーラのような地域劇場・ホールにはどのような「経営力」や「思考回路」が求められるのでしょうか。たびたび言いますが、地域に「芸術の殿堂」は要りません。必要なのは、社会機関としての機能をもつ公共的な地域劇場、公共ホールであると私は考えます。「人間の家」なのです。そのための経営戦略を考えられる「思考回路」が必須であると思います。地域社会とコミットした、文化芸術でコミュニティの健全形成に資することのできる社会機関が、とりわけいま必要とされているのだと強く思うのです。

たとえば、ニッセイ基礎研究所が出した直近の失業率は6.2%です。戦後最悪であった2003年の5.5%をはるかにしのぐ数字です。求職活動をしていない人は失業率にカウントされませんから、実態は公表された数字を大きく上回っているのは確かです。実態は10%超だろうというシンクタンク関係者もいます。失業率1%で70万から80万人ですから、およそ700万から800万人の失業者が現在いるということになります。なんと10人に1人が失業者なのです。この数字は、たんに10人に1人が就労できていないということに止まりません。彼らの不満が社会に向いた時の恐ろしさは、このところ起こっている無差別殺人で身に染みています。人間関係や様々なコミュニティは、ささくれだって、ばらばらになってしまう瀬戸際にあります。社会不安は募るばかりです。そのためのリスクヘッジとして、公共的な劇場・ホールが存在しなければなりません。「こんな時代だから文化予算を削減する」というのは、文化芸術の社会的機能を知らない者の暴論です。

だからこそ、基礎自治体によって設置された公共的な劇場・ホールは、地域社会の人々の抱える問題に寄り添って、その解決のためにアーツを動員すべきと思うのです。地域社会にコミットすべきと考えます。教育機関、福祉機関、医療機関、産業政策機関、まちづくり機関などと連携し、また役所のそれらの主管課とも提携して、地域に「新しい価値」を創造して、その仕事のプロセスを多くの市民と共有することで、地域社会の将来的なデザインの更新を推し進める。つまり、ソーシャル・マーケティングに近いアーツマーケティングの展開です。社会機関としての公共的な劇場・ホールの使命はまさしくそこにこそある、と私は二つのシンポジウムと一つの会議で強調しました。アーラはそのような機関になることを目指しています。そして、そのさきに盤石な指定管理者としての基盤と、公益財団法人としての地域社会との共生をデザインしているのです。