第204回「歴史の峠」を越えた向こうに見える風景は ― 人口937人/年増の意味と、なぜ、いま、社会包摂と共生社会なのか。

2019年5月6日

可児市文化創造センターala 館長兼劇場総監督 衛 紀生

震災から一年が過ぎて、私たちはいままで知らなかった多くのことを体験し、
これまで出逢うことのなかった人々と語り合いました。
その体験と出逢いのなかで、私たちは、「人間が人間を支え、人間が人間を守る」ことこそが
私たちの望んでいる《まち》である事を実感しました。
どんな建物よりも、どんな道路よりも、何があっても壊れないのが「人間と人間の絆」であることを、
そして多くの人々が、子どもたちが、いま其れを求めていることを、私たちは知っています。
《まち》とは人と人の絆の集積であることを、いま私たちは確信をもって言えます。
それは「生きる権利」の最初の一歩だと、私たちは考えています。
しかし、それを求めることが、こんなに困難な社会だったとは……、とも私たちは知らされました。
《まち》を求めている人々がいて、《まち》のなかで生きたいと願っている子どもたちがいることも、私たちは知っています。
「出逢い、語り合い、違いを知り、理解し合う」ということが、
これほど切実に求められたことはなかったのではないでしょうか。
だから私たちは、「一本の樹」を立てようと話し合いました。
演劇という「一本の樹」のまわりに集まって、
それを見上げながら「出会い、語り合い、違いを知り、
理解し合う」という健全な営みを取り戻そうと考えました。
そのために貴方の参加を求めます。貴方がもっと元気になる形で、貴方の思うままに。

                                    発起人代表 衛 紀生

文化芸術が社会に向かわなかった前世紀のこと。
先日、神戸をほんまの文化都市にする会での講演をした折、阪神淡路大震災のときに組織して、急性ストレス障害に苛まれている子どもたちの心のケアと仮設住宅での「つながりの構築=コミュニティづくり」のために96年に発足した「神戸シアターワークス」結成の呼び掛け文を、20年ぶりに「神戸をほんまの文化都市にする会」の市民の皆さんに披露しました。読みながら私は、「四半世紀過ぎても、いまと何も変わっていないじゃないか」と思いました。いや、事態はさらに深刻になっていると、感じます。一言で表すなら「つながりの貧困」はさらに人々の日々を覆い、それがもたらす分断化された「生きづらい社会」は普通に見聞きする日常にまでになっているのです。最近の、たとえば西日本豪雨などの自然災害でも腰まで水につかりながら「どうしよう、どうしよう」と言っている孤立しているご夫婦を映像で見ましたが、阪神淡路大震災という大災害が焙りだしたのは、穏やかな清流の水底に深く沈殿していた「つながりの貧困」と蒼く佇んでいる「孤立している人々」だったのです。夥しい数の孤独死、格差による生活環境の復興の度合いの違い、子どもたちの居場所のなさ、あの時に感じたのは、「たまたま震災で露わになったが、この生きづらい状況は日本中、何処にでも現れる人々の窮状だろう」との思いでした。

金子みすずの『星とたんぽぽ』の「昼のお星はめにみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ」をアーツマネジメント(劇場経営)に関わる人間のファンダメンタルな要件としたのは、この阪神淡路大震災の神戸というまちで目撃した衝撃からによるものでした。見えない星を見る眼と「助けて」の呟きを聴きとる耳を持たない人間は、劇場で他者に関わる使命を生きる資格はない、と思いました。いまでもそれは強く思っています。そうでなければ、ただの「愛好者」、「芸術知識の保有者」に過ぎず、「アーツ・フリークス」でしかないと思っています。あの時の被災地の人々の深く刻まれた心の傷と向き合い、私が打ちひしがれた体験の数だけ累積した経験値が劇場人にとっての重要な要件と思わせているのです。しかし、私たちの活動はすぐに激しいバッシングに晒されることになります。「演劇はそんなことに使うものではない」という芸術聖域主義者、「売名行為だ」という演劇現場からの感情的な反発、それも被災している演劇人からの感情的な言葉には激しく傷つきました。「自身も被災しているのに、いまの神戸の人々に演劇の持っている諸機能の何が必要か」に何ひとつ気付かない演劇人のバッシングには私は深く失望しました。

そのような空気は、97年に『芸術文化行政と地域社会』を上梓してから、さらに強まりました。六本木で開催されたトヨタアートマネジメント講座の統括大会では、「チイキ、チイキと言うがどれほどのポテンシャルがあるのだ」という切り口でほとんど吊るし上げのような攻め口で激しく問い詰められたことは、忘れようにも忘れられません。「何時になったらチイキからの舞台発信が出来るのか、何年後なのか?」と詰め寄られた記憶は拭い去ることは出来ません。その2年後には仙台市青年文化センターから井上ひさし作・宮田慶子演出の『いぬの仇討』を世田谷パブリックシアターと広島市のアステールプラザには発信できたのですが、大勢の聴衆の面前で「チイキ、チイキ」と上から目線で責め立てられたことで、中央の文化人の意識の「壁の高さ」を、私はその時思い知らされました。理解者であろうと思っていた仲間だっただけに、そのショックは大きく、孤立無援であることを身に染みて感じました。90年代後半から2000年代初頭のことです。

私たちが生きている「歴史の峠」とは。
さて、「歴史の峠」とは、私が敬愛してやまない先学、財政学の神野直彦先生がたびたびお使いになっている言葉です。第一次と第二次の産業革命、大恐慌から歴史的悲劇であった第二次世界大戦、それに続く重化学工業社会における驚異的な経済成長と所得再配分の福祉国家の成立という「黄金の30年」、それを下支えした世界経済秩序である「ブレトン・ウッズ体制」の崩壊と、同じ年に起こった石油危機と地球環境と資源の枯渇への危機感をベースとしたローマ倶楽部からの『成長の限界』という文書による歴史的警告。これらはすべて「歴史の峠」を意味します。そして「いま」、欲望の増殖の結果としての「バブルとその崩壊」、「ベルリンの壁の崩壊に続くソ連邦の瓦解」の歴史的意味と、その反作用としての福祉国家の概念の失速からの「空白の30年」という時間を私たちは生きています。神野先生は「峠とは危機を意味する」と述べられて、それは破局か肯定的解決かの「岐れ道」であるとして、「歴史の峠」に生きる者には危機を肯定的に解決に結びつける歴史的責任が問われている、とその使命を生きることを促しています。

そのように「歴史の峠」を整理すると、1947年生まれの私は「黄金の30年」と「バブルとその崩壊」と「空白の30年」を丸ごと体験してきたことになります。圧倒的な経済力と軍事力をもった米国とソ連との微妙な「平和的均衡」を生んだ「パックス・ルッソ・アメリカーナ」によって、現在の米国からは想像すらできない、人種差別などの大きな矛盾を孕んではいたものの、壮大な「福祉国家」としての繁栄を謳歌しており、概ねの先進国も「福祉国家」への歩をすすめていたのが「黄金の30年」です。そう言えば、戦後すぐの私が子供だった頃は、皆が貧しくはあったものの「明日は今日より良くなる」と信じられていた時代でした。私が高校生の頃から大学生までの高度成長期には、それが大量消費時代を謳歌して可視的になって時代でした。企業は収益を年々増大して働く者の給与は著しい伸びを実現し、福利厚生は社宅や保養所の整備によって「企業内福祉」を充実させていました。しかし、89年の「ベルリンの壁」の崩壊は資本主義陣営の「完勝」を象徴して、それを境にして微妙だった均衡が大きく崩れて、東西対立の緊張感が急速に失速して、その結果、西側の人々の生活に翳を落とし始めるのです。

50年代後半から60年代にかけて日本の安い労働力は、いわゆる「集団就職」のかたちで生産手段の集中する都市部へ大量に移動していました。生産性閑散期には調整弁として「出稼ぎ」が機能するようになっていました。均質的な筋肉労働者としての男性は外で働いて驚異的な伸びの給与を家庭に持ち帰る存在でした。女性はその給与収入によって、家事全般と子育てと介護を担うアンぺイド・ワーカーという「家庭内福祉」が機能していました。福祉国家研究のエスピン・アンデルセンのいう、戦後日本の福祉の特徴である「家族主義的福祉スキーム」を成立させていたのです。現在、「保育や介護」の担い手の給与水準が一般企業のそれに比べて10万円ほど低く抑えられている原因はこのあたりにあると、私は思っています。もともとは、社会全体で負うべきコストとは思われていなかったのが「子育て」と「介護」だったのではないでしょうか。「家庭内で自己完結していた」という歴史的な遺制の残滓が、その職業的給与格差の根底にはあると私は考えています。「安心して老いる」ことも「健やかな子どもを育てる」ことも、私には「未来への投資」と思えるのですが、ともに日本という国ではそれらを社会全体で負うべきコストとの発想は今もってありません。「地域で子どもを育む」と度々言われる「美しい標語」ですが、その前提である地域という「つながり」が希薄化、あるいは貧困化しているのですから、それは何処まで行っても「建前」でしかありません。

経団連の中西会長が「企業は終身雇用なんて守れない」と発言して波紋を広げましたが、「日本型家族主義的福祉スキーム」を担保していたのが「終身雇用」という雇用の安定でした。90年代初頭から、その企業内雇用慣習がネガティブ・キャンペーンに晒されて大きく揺らぎ始めます。また同時期に国は労働政策を大転換させます。それまでは終身雇用を守っていくように「雇用調整補助金」が機能していたのですが、その目的が単なる「雇用維持」となり、転職を意味する「労働移動」と「雇用の流動化」にシフトすることになります。2000年代に働き手の「流動化」をさも良いことのように言い募っていた劇場人もいましたが、「流動化」が生産性を高度化するキャリアアップの雇用慣行のある米国ならその通りなのですが、日本の転職環境はまったくの未整備なのです。正規雇用の人が転職を契機に非正規雇用となり、低所得者になってしまう事例は枚挙に暇がないのです。劇場音楽堂等の「人材の流動化」は2003年の指定管理者制度導入という、地方自治法の一部改正という外圧によって生じたものであり、劇場音楽堂等という業態環境の自らのニーズに対応する変化によるものではなかったのです。

現にその後の雇用環境の動向をみれば、非正規職員の激増と「雇止め」のによる、主たる経営資源である人材による「関係資本」はそのたびにリセットされて劇場経営は失速していき、現在では劇場音楽堂等は職員を公募しても優秀な人材の応募が極端に先細って「ブラック」の烙印の押される職場となっています。労働者派遣法の数次の改正も経済界からの強い要請によってなされて、今日で゛は働く者の4割が非正規雇用となりました。それによって多くの労働者の所得が企業に移転されて、国家予算の4ヶ年分の「内部留保」が積み上げられました。「終身雇用」が難しいのなら、政治の側が提案できないている「家族主義的福祉スキーム」に代わる生産性の高い雇用システムと、それに連動する福祉スキームを企業側が提案すべきなのではないでしょうか。企業・組織は「競い合い、奪い合う社会」を先導するだけでは社会的役割を果たしているとは思いません。 これらは「社会の存在することが、社会全体から許されている」ことで事業継続が出来ている有機体なのです。ならば、この「歴史の峠」への処方箋を、みずからの立場から提案すべきではないでしょうか。

また同時期に、「評価主義」の考え方が終身雇用に代わって台頭してきます。世界のGDPの日本の占める割合を18%(95年)と有数の経済大国に押し上げた日本型企業経営理念と、それによって高い生産性を保っていたプレゼンスは、それ以降急速に下降してその3分の1程度に落ち込みます。「評価主義」は、米国のゴア元副大統領のスピーチライターだったダニエル・ピンクの分類する「アメとムチ」のモチベーション2.0の究極のかたちです。彼は、これでは生産性があがらない、生き生きとした社会形成ができないとの反省から「やる気・生きがい」に依拠するモチベーション3.0を提唱しています。「アメとムチ」は生存を脅かすシステムです。脅されて生産性が高度化するなら企業経営は楽なものです。私は90年代以降の「プロの経営者」と賞賛される人間のほとんどは、企業経営の使命である「新しい価値」を生んで社会の発展に寄与した人物は、一部の例外を除いてほとんどいないとさえ思っています。単なる「コストカッター」、「首切屋」でしかないと思っています。90年代に盛んに言い募られた「固定費革命」は、 固定費を変動費に、つまり人件費の融解化と結果としての人員削減と非正規化をと言われ始めましたが、「雇止め」や「解雇」によって彼らの給与を削減して企業収益に移転させるだけの経営では、「生産性向上」など画餅です。働く者の気持ちに立てない経営者は、単に「社会全体に負担を強いるだけのタックスイーター」でしかないと私は思っています。

「同一労働同一賃金? だって非正規は、雇用の調整弁ですからねえ。そんな甘いことを言っていたら経営が成り立ちませんよ」は、大企業幹部の発言です。まず、同じ人間を「雇用の調整弁」と言い放つ尋常ならざる神経が私の理解を超えています。このような人間が企業幹部に登用されている異常さを、私は到底信じることが出来ません。「下に強く、上に弱い」この種の人間がパワーハラスメントをするだろうことは容易に想像できます。非正規社員の企業内の役割をそのようにしかとらえられていないなら「経営とはコストカット」でしかないということになります。企業経営者が傾注すべきは社会的必要に基づく「新しい価値」の創出であり、そのことによる社会への貢献であり、それによって企業の存続と成長が市場から認知されるということではないのか。EUは97年のパートタイム-法令で「同一労働同一賃金」を定めました。日本では、非正規雇用者の賃金は正規の6割弱にとどまっていますが、欧州各国をみると8割から9割の水準です。日本も同一労働同一賃金を実現して10年かけて欧州並みの8割の水準に近づけたいというのが政府の思惑で、それにより生産性向上を実現して経済成長を図ろうと考えています。企業はいたずらに内部留保を積み上げるのではなく、格差を解消して、「分断化」する現実を改善して、「WELL‐BEING(幸福と健康)」に寄与する政策提案をすべきです。そうであってこその社会的責任経営(CSR)なのではないでしょうか。「社会貢献部署」をつくってメセナやフィランソロフィーをいくら行ったとしても、それは隠れ蓑であり、竜頭蛇尾でしかありません。

「生きづらさ」は何処から。社会保障の選択肢は「給付減額」か「負担増」だけではない、という考え方。
「未来への投資」というと、日本の政治は「経済成長に資する投資」に偏ったものになります。国民のほとんどが総選挙の折の期待するものに、この30年間、さらに直近では「景気回復」と「福祉の充実」を真っ先にあげています。いまを生きている国民の「悲鳴」に私には聞こえます。経済が成長してさえいれば個々の抱えている生活課題はおのずと解決に向かうと思い込んでいるからです。致し方ありません。前述したように、経済成長さえ実現すれば、おのずと生活課題が解決するというリンケージを戦後70数年間もの長きにわたって刷り込まれてきたのですから。しかし、所得再配分の時代はおよそ50年前に終わっているのです。「80年代は70%だった所得税の最高税率を40%前後まで下げた。90年代後半から法人税も繰り返し下げ、年間10兆?20兆円規模の税収を放棄する一方で、消費税や社会保険料の引き上げで低所得者に負担を強いてきた」という大澤真理東京大学社会科学研究所教授の指摘はまことに正鵠を得ています。社会保障負担の割合が日本では低所得世帯ほどより重くなるという制度設計の誤謬があるのです。政策的に「富める者はより富み、貧しき者はより貧しく」が真綿で首を絞めるように進められたのです。これをもって「構造改革」というのは間違いです。果実の分配の偏りを是正するからこその「改革」です。「構造改悪」ではないでしょうか。政治は弱い者の立場と目線で、国民の「WELL‐BEING(幸福と健康)」のために機能しなければならないと私は思っています。佐々木雅幸同志社大学教授が最終講義で仰っていたように、また神野先生も度々書いているように「政治システムと社会システムの看過できないズレ」を調整するのが「財政システム」であるのに、それが機能不全になっているのが「生きづらい社会」と「つながりの貧困」の原因であるのです。

2000年代に入ってからの「ITバブル」や「戦後最長のいざなぎ越え景気」を国民が実感できないのも、国も企業も所得再配分機能をより脆弱化させているからです。いくら好景気であっても、またGDP値が伸びたとしても、それが個人の懐に直結する時代は思想的にも政治的にも経済的にも、とうの昔に終わりを告げているのです。パソナ取締役会長で経済学者の竹中平蔵氏が盛んに煽っていた「トリクルダウン」など起きるはずもない経済構造・社会構造・政治構造に、世界の針は大きく振られてしまったのです。そのことに私たちは気付かなければなりません。「黄金の30年」が終わりを告げてやがて「グローバリゼーション」というITの進化による環境の激変と、経済成長と経済効率化に何よりもプライオリティを持たせて、人間のあくなき欲望を全肯定して、可能なかぎり国民を守ってきた制度さえも市場原理に委ねて「弱肉強食社会」を恣意的に肯定する新自由主義経済思想との「不幸な結婚」が、地球規模で多くの国のかたちと人々の生活を激変させてしまったのです。「グローバリゼーション」は技術革新によって地球全体が獲得した、あくまでも「環境の変化」であり、「社会のすべてを極力、市場に委ね、競争させる方が経済は効率的に成長する」というミルトン・フリードマンの新自由主義経済思想は、あくまでも「ひとつの考え方」でしかありません。いわばGDPさえ大きくなればという経済成長至上主義が根底にある経済思想のひとつなのです。一部の富裕層を除いた多くの人々にとって、これは紛れもなく「不幸な結婚」であったと断じる以外ないと思います。「歴史の峠」は、真綿で首を絞めるように、僅かずつですが、より具体的に人間の日々の生活と尊厳を付き崩しながら、険しくそそり立つようになっています。光が強ければ強いほど影も濃くなります。「つながりの貧困」は国民のあいだに「孤立と孤独」を感染病のように拡げています。

「富める者はより富み、貧しき者はより貧しく」という社会は、国民の分断化を次第に露わにしていきます。「漠とした不安」な社会を、そして将来への拠り所のなさがその不安をさらに増大するように働きます。その根本には「つながりの貧困」があります。また、英国の社会学者アンソニー・ギデンスの「ウェルフェアとは、もともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表す心理的な概念である。したがって、経済的給付や優遇措置だけではウェルフェアは達成できない」、「福祉のための諸制度は、経済的ベネフィットだけでなく、心理的なベネフィットを増進することも心がけなければならない」の言葉の吟味を待つまでもなく福祉の諸制度には「現金給付」と「現物給付」があり、国民の「WELL‐BEING(幸福・健康)」のための制度として「心理的なベネフィットを増進する」、すなわち「つながりの貧困」からの脱却のための「見えない社会保障」(Informal Security)もまた「現物給付」に数えられる所得再配分システムのひとつと私は考えています。

少子高齢化に伴う「社会保障費」の増大が政治経済分野で論議される際に、「給付の減額」か「負担の増額」かの二者択一で政策選択を迫る、「常識」の枠内での与野党の激しいやりとりに私はうんざりしています。「第三の選択肢」をなぜ提起できないのか。「見えない社会保障」、すなわち「つながりの構築」により「心理的なベネフィットを増進する」選択肢をなぜ示せないのか、と訝しく思います。財政の逼迫と言う現実を前にして、私は、「給付の減額」か「負担の増額」かの二者択一の常識的な政策選択からのエスケープを考えなければならない時代に来ていると強く認識しています。「鑑賞と創造」を最終ミッションとする劇場音楽堂等ならまだしも、国際競争力が89年に第一位だったものが25位にも落ち込んでおり、一人あたりのGDPが世界23位になっている「縮小する日本」にあって、その現状を機会と捉えて、文化芸術の全体的な機能を充分に活かし、文化芸術の諸ジャンルと劇場音楽堂等を「公共財」として社会的認知される社会に向かうというミッションを掲げている可児市文化創造センターalaのような経営下では、その「第三の選択肢」をすべての市民を視野に入れて提示して、市民やアーチスト及びNPOをはじめとする関係諸機関との社会的関係資本を活用して事業を設計しています。加えて、そのような経営をする組織では経営資源である利他的な心性を持つ職員は、いつでもリセットできる非正規雇用ではありえないのです。

「鑑賞と創造」だけに狭く限定する文化政策は、「前時代の遺物」という常識を。
劇場音楽堂等が供給するものが「鑑賞と創造」に限定されるのなら、それは一部の愛好者の受益に過ぎませんし、創造面での税金の投入は文化芸術に関わるアーチストとスタッフへの、ボーモル=ボーエンによる実演芸術の経済的矛盾に依拠する保護政策的な公的資金の使途と言わざるを得ません。きわめて限定的な「所得再配分」の要件を満たしているとしか私には思えません。その大前提として、全国に2200あると言われる公立の文化施設は、そもそも税金で設置して、その後年度経費も税金で手当てされているのです。そうであるなら、そこから供給される公共的なサービスはその地域のすべての人々を視野に入れて実施されなければ公共政策的倫理にもとります。すべての住民に対して公平性を担保しなければならない行政による資金執行は倫理的・道徳的でなければなりません。私は文化施設による公共的サービスの要件には、第一に「すべての住民を視野に入れて」がまずもってあるべきと考えています。アーラに赴任してまず劇場の定義として「芸術の殿堂より、人間の家を」と職員と委託業者に語ったのにはその前提があると信じて疑わなかったからです。2011年2月に閣議決定された「文化芸術振興のための第三次基本方針」以降、7年間の時間を費やして保護政策的文化行政(文化政策2.0)から戦略的投資としての文化行政(文化政策3.0)に大きく転換して、私たち劇場経営に携わる者と文化芸術に関わる者に求められるのは、従来からの「費用対効果」ではなく、「投資対効果」に変化したのです。この「変化」もまた認識しなければなりません。どのような「変化」というアウトカムが起きたのか強く求められているのです。

アーラの事業を社会的インパクト評価や仮想評価法等を用いて、小中学校でのいじめ減少を使命とする市内各小学校への「学校アウトリーチ」、高校での中途退学者と問題行動を減少させた「高校ワークショップ」、健康寿命を伸ばすために生きがいとつながり作りのための高齢者の「ココロとカラダの健康ひろば」、乳幼児を抱えて孤立する若いお母さん同士の「親子de仲間づくりワークショップ」、母子寡婦福祉連合会との提携で実施されている、ひとり親家庭を孤立させないための「親子で楽しむワークショップ」等における「変化の数値化」とその数値がどのような「化学反応」によってアウトカムしたのかの「学際的に定性評価」をしているのは、財政、議会及び市民に向けて政策エビデンスをディスクローズして、諸事業に対する予算執行の公共性への認知を得るためです。それは劇場音楽堂等及び文化芸術が「公共財」として広く社会的に認知を得るためにどうしても必要な作業であると、私は思い続けています。包摂型事業への補助金・助成金には印象的な定性評価ではなく、科学的な「変化の数値化」と、その「変化への学際的な定性評価」を義務づけるべきとさえ思います。文化行政が「投資対効果」に転じた以上、そのアウトカムの評価作業によって一件あたりは採択金額増になりますが、公的資金の成果を可視化する作業は必須と思うからです。それは、芸術至上主義というより芸術聖域主義のアーチストや学者研究者に対して私は、「それではどのように貴方たちがこよなく愛している芸術をもっと多くの人々に必要とされる財に何を持ってしようとするのですか、今日までどのように、何をしてきたのですか?」と厳しく問いたい気持ちによるものです。貴方たちはともに「傍観者」ではなく、文化を専門領域にしているのならまさしく当事者ではないですか、と問いたいのです。

アーラ以外で私の関わる事業評価を社会的インパクト回収率(SROI)で行っている若い友人のプレゼンテーションに、文化政策学会の学者研究者の、恐らく予定討論者は文化芸術を数値化することにネガティブな意見をぶつけたそうです。「ならば貴方は文化系の学者研究者でありながら何をやってきたのか?」、「文化予算が真っ先に削減される現実」をどの様に受け止めて対策を発信したのか、空中闊歩的な空理空論を振り回して、象牙の塔に自閉していただけではないか、近年の過程で「常識」をブレークスルーする政策提案を一度たりともしていないではないか、政策的な対論を示せないのなら正直に自己批判すべきではないか、と私は激しい憤りを禁じ得ません。高い志を持って社会的インパクト評価の進化に挑んでいる若い研究者の仕事を、「文化芸術を数値化することにネガティブ」な極めて常識的な繭の中に籠もって意見するのは、一種のアカハラだと私は思います。学者研究者の「脇の甘さ」だと、あらためて思い知りました。その文化政策学会の理事の一人が「演劇が社会的包摂のために有用であっても、シェイクスピアはそのために『ハムレット』や『ベニスの商人』を書いたのではないでしょう」(日経電子版『経済政策としての文化政策』)と書いていたのには驚きを通り越していささか呆れてしまいました。文化芸術は社会的有用性のためにあるのではないという文脈での筆の滑りと思われるが、演劇の持っている諸機能を綯い交ぜにして論じていることに大いに疑問を持ちました。

さて、「歴史の峠」で可児市や丸亀市の諸施設や人びとを訪ねて私の心が打ちのめされるのは、そこで生きて行かざるを得ないにもかかわらず、そそり立つ困難の前で俯いて佇んでいる高齢者や障害者や子どもたちの「困難な現実」を前にした時です。憲法にある「基本的人権」は、果たして機能しているのだろうかと訝しくなります。金子みすずではありませんが、良く目を凝らしてみてほしい、耳を澄ませてほしいと思いつつも、自分の無力さに打ちひしがれます。傍観者のように殻に自閉して、自分を守ろうとする気持ちがないわけではありませんが、私は自分が劇場人であることで「自分には何か出来ることはある」と、90年代はじめに地域に出てから、そして阪神淡路大震災の時からこの四半世紀、そのような回路で考える習性が身に付いているようです。そして、辿りついたのが「つながりの貧困」でした。現在、ワークショップとプロジェクトスキームの設計に着手しているものの一つに更生保護女性の会との協働があります。「反省は一人でも出来るが、更生は誰かがいないと出来ない」という言葉があります。そして、「社会(society)はラテン語の仲間という意味のsocietasに語源がある」と『経済学は悲しみを分かち合うために』で神野先生は紹介しています。私たちは「誰か」とつながることで、そして複数の当事者が「仲間」となることで社会は成立しています。「つながりの貧困」による「孤立と孤独」は、英国政府の孤独担当大臣のもとに設置されている「ジョー・コックス孤独問題対策委員会」の報告によると、10代の62%、家族を介護している者の80%、高齢者の66%、身体障害者の50%が孤独と孤立を感じており、孤独と孤立を防ぐことで5年間に360万?(5億3000万円)の医療費の抑制をもたらし、それを放置することで英国経済全体には年間320億?(4兆7000億円)、企業には25億?(3700億円)の経済的利益を与えているとされています。

「歴史の峠」を創造的協働で越える。文化の概念の拡張と日本版社会的処方箋」へ。
「歴史の峠」で私たちはますます「つながりの貧困」に陥る危機にあって、「孤独と孤立」に瀕する数々の「曲がり角」を生きています。いま私たちが生きている「歴史の峠」は、人々を分断して、孤立と孤独に人々を陥れるようにあるようです。そして文化芸術の特筆すべき機能には「社会包摂機能」があり、私はこの機能を講演などでは分かり易く「誰も孤立させない」と説明していますが、要するに「つながり」を構築する社会関係資本形成機能に格別に優れている、ということなのです。芸術聖域主義のアーチストであっても、ほとんど誰もがおそらくクリエーション現場やアフターパフォーミングで実感したことのある、それが「アーツの力」の一つなのです。学者研究者と異なって「現場」を持っている強みとはそのようなことです。文化芸術の諸機能に対する経験値を身体化しているのがパフォーマーです。逆に、フィールドワークのない学者研究者の政策提案が実効性に乏しく、政策根拠(エビデンス)に欠けるのはその所為なのです。

一方、実際に劇場経営に携わっている有数の実践者でも、岡山市の劇場整備の検討懇談会で「10年程前から『社会包摂』という曖昧な言葉が言われるようになった。『社会包摂』への取り組み自体は重要だが、これに対して専門的知識のないホール職員がなぜやらないといけないのかと思います。すべての分野に部署・専門家を有しているのは、行政だけです。ホール職員だけで取り組まなければならない場合3倍のスタッフが必要になる」という発言をしています。劇場音楽堂等で社会課題の解決に向かわせる包摂型事業は、当該施設単体で自己完結しようとするのは到底無理なことで、アーラでは年間460回超の「アーラまち元気プロジェクト」を顧客コミュニケーション室の4人の職員で回していますが、複雑に絡み合う社会課題に向かい合うには、立場の違う行政・NPO・企業・社会福祉協議会等の外郭団体・財団等の諸機関が組織の壁を取り払って、それぞれの「強み」を持ち寄り「弱み」を意味のないものにすることで解決にアプローチする「コレクティブ・インパクト(collective impact 協働による変化)」の手法を取り入れています。その方が劇場単体で自己完結を目指すより、より効果的であるし、効率的であると近年ではNPO等の民間団体も「コレクティブ・インパクト」を積極的に導入しています。

たとえば社会的な評価をアウトカムする意識とスキルを持った芸術団体と組んで「中途退学者と問題行動の減少」をミッションとして2012年に県立東濃高校で始まった劇団文学座の協力による「コミュニケーション・ワークショップ」は、2018年度には岐阜県教育委員会と文学座との包括的な契約を結び付けて、今年度は県立高校12校へのワークショップを実施しています。また、「一人親家庭の地域での孤立を防止する」というミッションで私たちと母子寡婦福祉連合が組んでいる協働も自己完結しない試みです。その選択は、マーケティングとしてもすぐれた手法です。「何をやっているか、どのような成果を出しているか」かが劇場にとどまらないで、協働した各機関から様々なかたちでハレーション的に多重的・多方位的に発信されるからです。「コレクティブ・インパクト」がマーケティング・メディアとしても機能します。ソーシャル・マーケティングとしても、このようなプロジェクトは劇場内で自己完結するのは「投資対効果」のうえでも誤りなのです。

昨年4月から今年の3月8日までの人口統計では、可児市の人口は937人増加しています。まったく人口統計には無関心でしたが、その数値を計算して驚きました。私が可児市に住み始めて初めて10万2000人台になりました。私の住むマンションの周囲は戸建て建設ラッシュで、登下校時に小学生と中学生の声が響いています。冨田市長は「アーラを中心としたまちづくり」でさらなる移住者の増加を、と仰っています。私は「つながりのある、まちづくり」と乳幼児から高校生までの「子育て環境にアーラが関わる」という設計図を描き始めて、ジェイムス・ハックマンの2000年ノーベル経済学賞の考察回路を参考にして、文化芸術の社会包摂機能を活用した就学前非認知能力醸成の「はぐくみプロジェクト」に関心が向かっています。いじめ防止も中途退学者も、有意なアウトカムは出ているものの、3歳から5歳までの「非認知能力」(自己肯定感・自制心、自立心、やりきる力、想像力と創造力、我慢する力、不利な状況からの回復力=レジリエンス)の育みに関わらなければ、「穴の開いた鍋」に水を注いでいるのと同じではないか、たとえ水が少し残ったとしても、との地点に私の考えが至ったのです。

私はこの世界で起こっている「不幸」のほとんどが、「つながりの貧困」と「承認欲求の未充足」と、それらの感情的表出である「必要とされていない」、「愛されていない」ことに起因するとさえ思っています。年間460回を超える『アーラまち元気プロジェクト』で起きている「複数の当事者間に起きている化学反応」は、おおよそ「つながりの貧困」からの脱却か、新しい価値としての「つながりの構築及び再構築」によっています。学術関係者、自治体関係者等を対象とする最近の講演会や国際会議や大学の講義では、「社会包摂」の解説として、「複数の当事者が相互に関わり合い、対話と交流を通して新しい価値を創り出し、ともに目的を達成し、かつ相互の変化と再組織を推進していく、継続的・螺旋状の進化のプロセス A process of continuous / spiral evolution, where multiple parties are interacting with each other, creating new value through dialogue and exchanges, achieving both objectives together, and promoting mutual change and reorganization.」と記したPPのシートを映すことにしています。実はこれは日本マーケティング協会の「マーケティングの定義」なのですが、マーケティングにおいて当事者間(劇場と市民、芸術団体と潜在顧客)のあいだに起こさなければならない「新しい価値=つながり=社会的ブランディング」の生成による鑑賞者開発と劇場音楽堂等の存在への公共財としての合意形成過程は、ほとんど「社会包摂」のプログラム現場で起きる「変化のプロセス」と重なるのです。マーケティングを専門とする者として、その類似性、というより相似性、さらに言えばその双生児的なプロセスに気付いたのは、子どもたちや高齢者の皆さんに起こる「変化」を間近に目撃して、つぶさに観察してからです。

私たちの生きるこの「歴史の峠」を肯定的に解決に結びつけた向こう側に見える「風景」が如何なるものなのか。私にはまだその輪郭さえも描けていません。しかし、危機に瀕するか否かの「岐れ道」にあって、問われている歴史的責任と使命をまっとうする生き方だけはしなければならない、と思っています。私個人あるいは可児市文化創造センターalaのできることは「歴史の峠」を1ミリだけでもよじ登る程度のことなのかも知れません。たとえそうであったとしても、可児からの誘いに「遺書を書くようにアーラをつくる」と応えて、この10年間はまさに前例のない劇場経営に命を懸けて、その舳先を見たことのない風景のある方角に向けて、潮の流れに逆らいながら職員と一緒にアーラという「小舟」を漕いできました。そして、「つながりの貧困」こそが、私たちが越えようとしている「歴史の峠」の正体であるとの確信は、いま深まるばかりです。以前にも引用しましたが今一度、あの「創造的破壊」の経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが100年ほど前に、つまり前の「歴史の峠」を前にしての言葉を引用します。「資本主義はその成功がゆえに土台である社会制度を揺さぶり自壊する」。現在でもそのままに通用する歴史への警告と言えます。

厚労省が『地域共生社会の実現』と題された文書を出しました。国交省も省内に「地域共生社会実現本部」を設けました。内閣府には「共生社会」の担当官が配置されています。総務省に設けられた「自治体戦略2040構想研究会」では、「満足度の高い人生と人間を尊重する社会をどう構築するか」を軸にした議論がすでに始まっていると仄聞します。まだら模様ではあるものの現状認識に横串が通りつつあります。文化芸術の「社会包摂機能の総合政策」としての出番は近いと感じています。教育・福祉・保健医療・多文化・災害被災の各行政分野を包括的にカバーする総合政策「日本版社会的処方箋」の実現は、私の次の世代にきっと引き継がれると確信しています。その「日本版社会的処方箋」の施行こそが、「歴史の峠」を超えるための処方箋であり、最重要な国民的イシューだと、私は確信しています。それこそが、文化の広範な社会的機能を活用して、SDGsの目標にアプローチするための戦略であると信じて疑いません。

「SDGs」とは、2015年9月国連持続可能な開発サミットで世界193の国が合意し、「ミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals)」の後継として採択されたもので、地球環境や気候変動に配慮しながら、持続可能な暮らしや社会を営むために各国の政府自治体、非政府組織、非営利団体のみならず、民間企業・個人にも共通した達成目標です。発効は2016年年1月で、「だれひとり取り残さない」(No one will be left behind.)をスローガンに、「貧困や飢餓の根絶」、「質の高い教育の実現」、「女性の社会進出の促進」、「再生可能エネルギーの利用」、「経済成長と生産的で働きがいのある雇用の確保」、「強靭なインフラ構築と持続可能な産業化・技術革新の促進」「不平等の是正」「気候変動への対策」「海洋資源の保全」「陸域生態系・森林資源の保全」など17の目標とを掲げています。私はその17の目的使命のうち、下記の7つの目標はアーラでの社会的なプロジェクトとその社会的インパクト調査の成果を鑑みて達成可能と私は考えています。この目標達成までのプロセスは、劇場音楽堂等と文化芸術を、宇沢弘文先生の提唱しておられた「社会的共通資本」としての社会的認知を進める道程と重なります。そして、2020年以降の日本社会を「インクルーシィブ・レガシー」によって世界に誇る、そして世界の目標となる「文化国家」にモデルチェンジすることになるとグラントデザインを描いています。これはまさしく「グローバリズムとウエルビーイング」の幸福な結婚と言えます。下記は講演の終了近くで参加者のの皆さんに共有していただくためにご覧いただくPPのシートです。


劇場音楽堂等は、「羅針盤を持っていない人々の、せめて漆黒の海を照らす一基の灯台でありたい、子どもたちが向かう未来の居場所を照らす希望でありたい」。私がひたすら走り続けた平成という時代の終わりにしたためた30年間の総括です。限られている私の一生のあいだには見ることは出来ないでしょうが、アーラの職員たち、「あーとま塾」への全国からの受講者たち、世界劇場会議国際フォーラムへの熱心な参加者たちの中から、「可児モデル」の劇場経営を承継して、さらに改良しブラシアップした「新しい価値」としての劇場モデルが創出されることを願うばかりです。