第143回 「約束の仕事」へ  新しい価値を生み続ける社会機関となるために。

2013年1月24日

可児市文化創造センターala 館長兼劇場総監督  衛 紀生

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世界劇場会議国際フォーラム日英会議 基調講演ドラフトより転載

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可児市文化創造センターalaの館長兼劇場総監督をしております衛です。また、この度の世界劇場会議2013の実行委員長も仰せつかっております。皆さまのご協力を頂いて、今年のテーマである「公共劇場のデザイン」の輪郭を描き、皆さまと公共劇場への認識を共有できればと考えております。また、イギリスから劇場経営への高い見識をお持ちの皆さんをお招きできたこと、そして意見交換ができることは私たちにとってこの上ない喜びです。昨年6月に制定施行された「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」、ついで制定された法律をさらに進化させるかたちで11月に公表された「大臣指針」(案)と、日本における劇場の外部環境は大きく動いています。そして、社会が劇場に求めるものも、また大きく変化しようとしています。そんな折に、国内外からの優れたゲストスピーカーをこの場にお招きでき、議論できることは大変貴重な機会となると確信しております。

さて、私が可児市文化創造センターalaに就任して5年目が終わろうとしています。この5年間、アーラをすべての市民にとって必要な施設となるように、「真の公共劇場」とすべく遮二無二仕事をしてまいりました。

私たち劇場関係者は、もはやは手をこまねいて「変化」を待っているだけに時間を費やしているわけにはいきません。私たちはあまりに長い時間、惰眠をむさぼり、芸術の崇高性と不可侵性を盾にして社会とのかかわりを避け、厚い隔壁の内に引き籠り、安住してきたのではないでしょうか。芸術やその創造行為をアプリオリに公共的な行為と自称してひたすら保身してきたのではないか。その実、私たちがまとっていたのは襤褸(ぼろきれ)に過ぎなかったのではないか。東日本大震災は劇場と芸術を進化(evolve)させたのか。私たちは、いま、試されているのです、私たちの劇場が真に国民市民のために何ができるのかを。

森は美しく、暗くて深い。

だが私には約束の仕事がある。

眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。

眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。

アメリカの国民的詩人であるロバート・フロストの『雪の宵の森にたたずんで』という詩の一節です。私が県立宮城大学事業構想学部・大学院研究科の教員の職を辞して、現在館長兼劇場総監督として働いている可児市文化創造センターala(以後アーラ)に就任した折に真っ先に頭に思い浮かべたのはこの詩でした。「私には約束の仕事がある、眠るまでにはまだ幾マイルも行かねばならぬ」というのがそのときの正直な気持ちでした。そのとき、私の前には二本の道がありました。一歩の道には人の足跡があって誰かが歩いたことの窺えるまっすぐと伸びた道であり、いま一つは草が生い茂っていて曲がりくねって先が見えず、誰かが踏み入った気配のない道でした。私は迷うことなく誰も彼もが歩かなかった道を選びました。草をかき分けて、厚く枯れ葉の積もっている岨道に足を踏み入れ、深い森へと歩を進めました。

私は、90年代半ばに一冊の本を出版しています。『芸術文化行政と地域社会』というタイトルの本です。その『芸術文化行政と地域社会』のなかで、私は「レジデントシアター構想」というものを発表しています。阪神淡路大震災の時に私は「神戸シアターワークス」という団体を立ち上げました。「子どもたちの心のケア」と「仮設住宅における中高年のコミュニティづくり」をミッションとして活動をする非営利団体です。この神戸での経験が、芸術文化は人々に「生きる意欲」をもたらすとの確信を私にもたらしました。当時、行政(神戸市)は、大規模な区画整理をして、震災の時に避難場所になる大きな公園と建物が倒壊しても安全な広い道など、震災に強い「まちづくり」をかなり強引に推し進めようとしていました。しかし、「まちづくり」と「心の復興」とは「生きる意欲」を持った人々相互の健全な関係づくりにある、と私は考えていました。「まち」とは人々の関係そのものであり、それはどのような災害があっても決して壊れることなく、互いに支え合って困難に立ち向かっていけるものと考えていました。この確信が、まだ見ぬ理想の地域劇場である「レジデントシアター構想」を立ち上げるきっかけになりました。「レジデントシアター構想」とは、アーチストが地域に滞在して優れた芸術的評価の高い舞台を創造すると同時に、教育機関、福祉施設、保健医療機関と連携してコミュニティ・プログラムを供給する文化施設であり、また社会機関でもあります。

その3年後、98年6月にバルセロナでの国際文化経済学会の帰途でリーズ市に立ち寄り出会ったのが、ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)でした。その後7回WYPを訪れていますが、それが最初のWYPへの訪問でした。当時の芸術監督は、現在サウスバンクアーツセンターの芸術監督をなさっているジュード・ケリーさん、経営監督は今回ゲストスピーカーとして参加してくださっているマギー・サクソンさんでした。私が机の上だけで構想していた理想の地域劇場である「レジデントシアター」と、ほとんど相似形の劇場がそこにありました。ウエストエンドにトランスファーされる舞台、ロンドンのナショナルシアター(NT)に招待される芸術的価値の高い舞台創造、それに加えて年間1000にも及ぶ多様なコミュニティ・プログラム。芸術性と社会性を、同じ価値として両立させているその経営姿勢に、私は心の底から驚くと同時に、感動にも似た感慨を禁じ得ませんでした。WYPの職員一人ひとりにリスペクトにも似た気持ちを持ちました。このような劇場が日本の各地方に10から12前後あったなら、日本人はその果実を享受して心豊かな生活を送れるであろうに、と夢想したものでした。

いま私たちの生活は、緩慢な「震災と津波」に襲われているようです。私たちの生活は、新自由主義という格差を容認する考え方によって激しく変化し、日本の社会は少しずつ壊れていっています。社会の仕組みが人々を、ゆっくりと、しかし確実に奈落の底に向かって落下させているように私は感じています。日本は急速に「階級社会化」しています。「生きる意欲」を失って死を受け入れる人々のなんと多いことか。97年に前年比8000人も増加して年間30000人台を超えた自殺者は、それ以降そのレベルを推移しています。97年を境にして生活困窮者が急増して生活保護世帯が右肩上がりに増加しています。勤労者の給与所得は97年から一貫して下がり続けています。犯罪発生数もこの年を境に急傾斜のグラフとなります。初犯青少年の再犯率は40%台後半を推移しています。つまり、「生きにくい社会」が出来あがってきているのです。最近の内閣府による自殺対策に関する意識調査では、自殺を考えたことがある人が全体で23.4%、前回調査より4.3ポイント増加しています。「最近1年以内に考えた」と答えた人は、20歳代の36・2%が最多で20歳代女性に限定すると44・4%にもなります。これが健全な社会をあらわす数値でしょうか。健全な社会の姿でしょうか。私には到底そうは思えません。

言うまでもなく、これらの数字を生みだした社会制度の変化に対して芸術や劇場は残念ながら無力です。私たちに制度を変える力はもとよりありません。しかし、一昨年2月8日に閣議決定された「文化芸術の振興に関する基本的な方針」、いわゆる「第三次基本方針」では、「文化芸術は,子ども・若者や,高齢者,障害者,失業者,在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会的基盤となり得るものであり,昨今,そのような社会包摂の機能も注目されつつある」と文化政策の基本理念に初めて「社会包摂機能」という文言が現われました。これは制度から生じた歪みに対するセーフティネットとしての公共的な役割を芸術や劇場が担える可能性があることを日本で最初に認知したものです。この文章を裏読みすると、文化芸術が、高い所得と余暇の時間のある富裕層の独占物ではないことを明言した歴史的な文言であると、私は高く評価しています。心がザラザラしているときこそ、人間関係がギスギスとして音を立てているときこそ、劇場の出番であり、芸術への人々の参加を促す時なのだと私は確信しています。「公共劇場」への社会的ニーズは確実に増しているのです。非常に緊急性のある劇場の社会的役割であり、課題と言えます。

劇場は、舞台芸術それ自体の進化のためだけに存在するのでは決してありません。とりわけ日本の公立劇場は、すべての国民市民から強制的に徴収した税金で設置し、運営されているのです。それだけに、劇場の「主役」は芸術ではなくて、国民市民でなくてはなりません。そうでなければ論理的に矛盾します。劇場は、「芸術に奉仕するために」存在するのではありません。ましてや劇場や芸術は、経済的にも時間的にも余裕のある特権的な富裕層の独占物でもありません。劇場は「普通の人々」(ordinary peoples )のためにこそ機能しなければならないのです。「普通の人々」に「希望」という無形の資産を提供する触媒の役割を果たしてこそ、公共的な社会機関としての劇場が私たちの眼前に立ち現われるのです。私たちの「約束の仕事」とは、その時のために、何ができるのか、何をなすべきなのか、誰にどのような価値を届けるのかを考え続け、すべての人々への「約束」を実現しようとするプロセスなのです。アーラに就任した時、私はすべての職員と一つの言葉を共有しました。「芸術の殿堂」(The Arts Pantheon)より、すべての市民の経験と思い出の詰まっている「人間の家」 (The Peoples Home )をつくろう。それが私たちアーラの出発点でした。アーラの劇場経営の方針を180度方向転換させるための、それは「言葉が揃う」という組織改革の出発点でもありました。言葉が揃った組織はどのようなことがあっても揺らがない「強み」を持っています。アーラが建設されて5年目から、私たちは可児市に「人間の家=公共劇場」を創るために日々邁進することになります。

昨年の世界劇場会議では、「日本に公共劇場はあるか?」というきわめて挑発的なテーマで2日間のセッションを行いました。結論は「日本にはまだ公共劇場はない」というものでした。そして「公共劇場」とは、公益的な使命を果たす社会機関であり、行政府とは相対的に独立した「もうひとつの公共」ではないか、というものでした。「公益的な使命」といっても、それは想像するほどの大仰な仕事ではありません。地域に生きている人々に「寄り添う」ということです。寄り添って「約束の仕事」をするということです。「いのちの格差」のない社会、「希望格差」のない生活の支えになる、ということです。人々の生活に「変化」をもたらすということです。日本国憲法第十三条の「幸福追求権」を担保する使命を持った社会機関となることです。「人間」をど真ん中に据えて劇場を経営するということです。すべての人々が生き生きと生活できる「積極的な福祉政策」の拠点施設となるというデザインが、まさに「公共劇場」のあるべき姿ではないでしょうか。

日本では、「芸術」をど真ん中に据えて、「芸術に奉仕する」劇場は、特に都市部に偏って多くあります。そして、それは一部の舞台芸術愛好者のみをサービスの対象者としています。それだけでは劇場の存在価値の片方の芸術的使命しか果たしていないと言えます。劇場は社会的使命をも果たす存在でなければなりません。劇場の社会的責任経営とは、その双方を満足させてこそ成立するのです。あらゆる組織・機関は、社会にとって有用で、生産的な仕事をすることで社会から存在することを許され、持続継続性が担保される存在です。社会的にも経済的にも社会的責任経営を果たせない組織・機関は、社会からの「退場」を命ぜられます。しかし、「退場」を命じられながらも延命措置を受けてきたのが、日本のムダの象徴とされてきた公立劇場ではないでしょうか。無駄な公共事業の象徴として「ハコモノ」と呼ばれ、長いあいだ激しく卑しめられてきた日本の公立劇場ではないでしょうか。政府与党の幹事長は昨年末にNHKテレビで「車の走らない道路」と「誰にも使われない公立ホール」を「ムダの象徴」と発言しました。ひどい侮辱です。いまこそ私たちは、みずからその存在理由を問い直して、芸術的使命とともに社会的使命をも果たせる、社会的責任経営を採りいれた、社会的存在価値のある機関へと大きく舵を切らなければなりません。

アーラは、「アーラまち元気プロジェクト」というコミュニティ・プログラムを地域に向けて提供しています。昨年度は年間354回14000人の市民がアクセスしています。可児市民7.3人に1人が「アーラまち元気プロジェクト」にアクセスしていることになります。小中学校、不登校の子どもたちが通うフリースクール、高齢者福祉施設、障害者福祉施設、NPO運営の知的障害者通所施設、医療機関、多文化施設、公民館等へのアウトリーチとワークショップがその主な活動です。可児市における「文化の民主化」の一方策です。行政区域外にもアウトリーチを行っています。昨年の秋に、御嵩町にある県立東濃高校の芸術コース設置計画の一環として演劇ワークショップを全9回アウトリーチしました。問題校、無気力校とされている高校の子どもたちの明るい笑顔、積極的に発言する姿、仲間との一体感。このプロジェクトを主導した岐阜県教育委員会も、学校の教員たちも、その驚くべき成果に、来年度以降に期待を寄せることになりました。

来年度からアーラでは、高齢者の体力維持と孤立防止のためにコンテンポラリーダンスのワークショップをはじめとする演劇、朗読の3つ講座を毎週月曜日に通年で開催することになっています。全国的な傾向ですが、可児市も近い将来高齢者比率の非常に高い地域になります。それは、引き籠りがちな高齢者、独居高齢者の孤独死など、将来的に可児市は大きな社会問題を抱えることを意味します。そのリスクヘッジとして「高齢者プログラム」が動き始めます。また、若い母親たちの支え合うネットワーク形成のための、乳幼児と母親のコンテンポラリーダンス・ワークショップも実施します。近年、子どもへのネグレクト、暴力、虐待死が核家族社会における若い母親の社会的孤立によって引き起こされています。それをきわめて不幸な社会問題と捉えて、少しでも減少させるため劇場に出来ることは何かを自らに問うて、このプロジェクトは計画されました。フリースクール(可児では「スマイリングルーム」と呼んでいます)でのコンテンポラリーダンス・ワークショップも来年度から通年で実施されます。フリースクールに来ている子どもたちはまだ社会との関わり合いを持っているという意味で問題が小さいと私たちは考えています。多くの不登校の子どもたちは家庭に引き籠っています。その引き籠りの子どもたちにスマイリングルームは楽しいところ、自己実現のできる、仲間と会える場所であると知らせるために、通年でコンテンポラリーダンサーの新井英夫さんを派遣することになっています。自分をネガティブにとらえて内向しがちな不登校の子どもたちに仲間づくりの機会を提供することで自己肯定感をもってもらい、将来は高校卒業資格検定を受けて大学進学を目指すような「生きる意欲」を持ってもらおうと思っています。来年度には、「アーラまち元気プロジェクト」は、年間450回を超えて、アクセス数は18000人超になります。可児市民5.6人に1人がアーラのコミュニティ・プログラムを享受することになります。まさに「文化の民主化」です。

また、高齢者施設、障害者施設、医療機関のアウトリーチに、国際セラピードック協会と提携して、セラピードックを同行するプロジェクトを来年度から始める計画を進めています。来年度がその初年度となるので、セラピードックのデモンストレーションと国際セラピードック協会の会長大木トオルさんの講演と、彼は「スタンド・バイ・ミー」を歌っているペン・キングと全米ツアーをしている有名なブルースシンガーですので、小さなコンサートとをパッケージしたイベントを考えています。そのイベントの翌日から、「アーラまち元気プロジェクト」のアウトリーチにセラピードックを同行させる計画になっています。アーラのミッションは「新しい価値」の提供であり、それによる価値観やライフスタイルの「変化」です。セラピードックが、高齢者や障害者、終末期医療の患者さんの心に劇的な変化を与えることは広く知られています。私たちが届けるアーツとセラピードックがシナジー効果を起こして、可児市民の心に「いのちの輝き」をもたらしてくれることを期待しています。

これらの「アーラまち元気プロジェクト」は、アーラの社会的貢献によるブランディングを推進する役割を果たしています。いわば、アーツマーケティングの一部分であり、その成果が「変化」である以上、ソーシャル・マーケティングでもあり、コーズ・リレイテッド・マーケティング(Cause Related Marketing)、日本では社会貢献型マーケティングとも分類されている公共劇場の経営手法です。これらの活動には、私は「5人のプレーヤーと1人のコーディネーター」が揃わなければいけないと言っています。「5人のプレーヤー」とは、ファシリテーターであるコミュニティアーツワーカーあるいはアーチスト、そのプログラムを享受する参加者、参加者の近親者、施設の職員、それにその日に起こったことの一部始終を広く社会に伝えるマスメディア関係者です。「1人のコーディネーター」とは、言うまでもなく担当するアーラの職員です。そのそれぞれに「成果たる変化」が現われるように担当職員は、その施設の課題解決のために認識と使命の共有を、アーツワーカー、アーチストと施設職員とで進め、全体の進行をミッションに合致するようにコーディネイトしなければなりません。膨大な仕事量となりますが、そのコーディネイトなしでは「成果たる変化」は到底期待できませんし、「公共劇場」としての「約束の仕事」は果たせません。

「5人のプレーヤー」にマスメディア関係者が入っているのは、このような社会貢献活動をアーラが行っているということ、社会的責任経営をしていること、そしてその成果の一部始終を広く社会に伝えて「ala」のブランディングを促進するためです。ブランド力とは「社会的信頼関係」の成立と、その結果の所産です。そのブランド力がアーラの事業全体への信頼として結実することは明らかです。就任後5年間で90,000人増加して昨年度年間370,000人を超えたアーラへの来館者数、事業全体の観客数は5年間で2.6倍増えて34,000人を超え市民の3人に1人が何らかの事業を鑑賞していることになります。自主製作事業ala Collectionシリーズの『高き彼物』では、可児公演で1764人の観客数となり57人に1人の市民がこの舞台を観賞したことになります。可児市での8公演は4回がソールドアウト、東京公演8回はすべてソールドアウト、という成果をアウトカムしました。この進捗は緻密に設計されたマーケティング、すなわちアーラのブランディング活動抜きに、アーラへの社会的信頼を抜きには考えられない成果と言えます。

ala Collectionシリーズは、10年以上以前に上演されて、高い評価を得ながら再演されないまま忘れ去られようとしている優れた演劇作品をリメイクして、作品に新しい命を吹き込むことをミッションとするものです。キャスト・スタッフが約1ヶ月半可児市に滞在して作品創造を行います。このシリーズでは一昨年には文化庁芸術祭優秀賞、讀賣新聞演劇大賞優秀賞、昨年は京都公演で関西の十三夜会演劇賞を受賞しています。新作主義の日本の演劇界、消費型の日本の演劇界にあって、アーラのこの試みと舞台成果は高く評価されています。ライブパフォーマンスである演劇は、再演されなければ演劇史の中に残るだけで、多くの演劇ファンに、この「伝説の舞台」を鑑賞する道は閉ざされてしまいます。その意味で、このシリーズは演劇史の中に埋もれている名作に命を吹き込むことを評価され、消費型の日本の演劇界のアンチテーゼとしても大きな意味のある試みと注目されています。忘れ去られようとしている名作に命を吹き込むこのシリーズは、日本の演劇界の所産を再評価するという公共的な使命を持っていると同時に、「伝説の舞台」を現在の人々に届ける仕事と言えます。これも、「公共劇場」の、まさに公共的使命といえます。

このala Collectionシリーズを含めて、アーラの自主製作事業6本は、すべてアーチスト・イン・レジデンス型で行われています。これらの事業には最大30人程度の「市民サポーター」が参加して、ケータリングの自主的な運営や小道具、マーケティング・ツールの作成をしています。自炊しながら滞在するアーチストのために、自宅で栽培している米や食材を持ちこんだり、週末に自家製のパンを並べたりと、彼らの活動がホームグランドの東京から離れて生活するアーチストとスタッフの日々を支えています。これもまた「文化の民主化」の現れです。その成果は舞台にもあらわれます。滞在しているアーチスト、デザイナー、技術スタッフと市民が「ひとつの家族」になっていくプロセスが作品を裏で支えています。また、そのプロセスこそが一方でマーケティング活動として機能していくのです。アーラは年間総数57本の事業を行っています。演劇、クラシック、ポップス、ジャズ、美術など、その範囲は広く、その内の21本が自主制作であり、6本がアーチスト・イン・レジデンス型で行われる自主製作創造事業です。

ala Collectionシリーズは可児公演の後、東京公演と全国ツアーを行っています。これらのツアーは、全国的にあまり知られることのなかった可児市のシティプロモーションとして機能して、可児市の名を全国に知らしめることとなっています。この事業と活動もまた、マーケティングによる「変化」を生みだすブランディング活動の一環としてアーラでは位置づけられています。可児に住む人々が住んで良かったという「誇り」を持ち、これからも住み続けたいという「生きる意欲」を持ち、他の町の人たちが可児市に「住んでみたい」と思えるようなシティプロモーションをすることも、地方の、あまり知られていない小さな町であるという地政学的な特殊性から、アーラにとっては「約束の仕事」のひとつなのです。アーラのマーケティングとブランディングの職務は、私が就任と同時に創設した「顧客コミュニケーション室」が、「まち元気プロジェクト」のコミュニティマーケティング、チケッティングと合わせて担当しています。

マーケティングは大きく二つの要素に分けられます。エクスターナル・マーケティング(外部に向かうマーケティング)とインターナル・マーケティング(組織内部へのマーケティング)です。インターナル・マーケティングは、ヒューマンリソース・マネジメントと言い換えても良いでしょう。したがって、私の言うマーケティング(marketing)とは、決してチケットを売るだけのセリング(selling)ではありません。マーケティングとは関係づくりの作法であり、「売れる環境」をつくるためのブランディングのプロセスです。すなわち「売る(セリング)」という直接的な営業行為を指すのでは決してないことを、ここで皆さんと認識を共有しなければなりません。マーケティングとセリングはまったく異なるばかりか、180度違う、真逆の経済的行為なのです。

したがって、「アーラまち元気プロジェクト」のようなソーシャル・マーケティングは、地域社会との健全な関係づくり、すなわちブランディングに寄与する事業なのです。alaCollectionシリーズもまた、消費型の日本の演劇界をブレークスルーして、アーラの尖鋭的な企画への社会的合意を獲得してブランディングを推し進める事業と言えます。私たちはセリングに重きを置いている「興行師」ではありません。なぜなら公益的な使命にしたがって「約束の仕事」を前へと進め、「約束」を果たそうとする「もうひとつの公共」であり、その使命を実現するための国民市民への「献身者」です。私たちは、決して、そして断じて「興行師」ではないのです。

私たちにとって、チケットを購入する方だけがお客様ではありません。劇場の静かな環境で本を読みたいとアーラを訪れる方々、手づくりのお弁当を持って親子で訪れるご家族、一時の安らぎを求め、羽を休めにいらっしゃる方々、そのすべてがお客様であり、税金の拠出者かその係累なのです。その方々のために役立つ「献身者」たる資質を持つ職員となるために、ヒューマンリソース・マネジメントは非常に重要になります。公共的な使命を持った職員には、市民に対してのホスピテリティに富んだ態度が求められます。コンピュータが生活の隅々にまで浸透している今だからこそ、「体温」のあるお客様対応やサービスの質が求められているのです。私たちの仕事の姿勢は一言でいうと「to everyone」ではなく「for everyone」です。劇場という業態は、まぎれもなく「サービス業」です。劇場職員のお客様に対する態度もまた「新しい価値」となり、「変化」を生むのです。このような些細なこともまた「公共劇場の約束の仕事」のひとつと言えるのです。「公共劇場」のアーツマネジメントというのは、そういう姿勢や精神をベースとして積み上げられて「新しい価値」を生み続け、「変化」をもたらし続けようとする永続性と連続性を企図する経営デザインの総体のことなのです。

最後に、ここまで述べた「公共劇場」の輪郭をもう一度なぞってみたいと思います。「公共劇場」は、「芸術的使命」と「社会的使命」を等しい価値として両立させることが、その要件です。この「等しい価値として」が重要であるという認識を皆さんと共有したいと思います。アーラでは、創造鑑賞型事業の予算額と「アーラまち元気プロジェクト」の予算額が2年前に逆転しました。「アーラまち元気プロジェクト」を非常に広く捉えて、ソーシャル・マーケティングのための予算としているせいもあるのですが、少なくとも私たちは、経営上、アーラでは「芸術的使命」と「社会的使命」は等価であると組織的に合意しています。並立する水平型の関係であると位置づけています。

しかし、日本のほとんどの劇場では、「芸術的使命」と「社会的使命」は上下の関係にあります。コミュニティ・プログラムは、「芸術的使命」の従属的な位置づけにあります。副次的な事業として実施されています。メインディッシュの添え物のようです。すべての住民から強制的に徴収された税金で設置され、運営されている前提を考え合わせると、これはかなり奇妙なことと言えます。公的資金で設置され、運営されている「公共劇場」は、人々の生活や社会に「変化」をもたらす存在として重要な社会的な機能を果たさなければならない機関です。一部の舞台芸術愛好者、特権的な富裕層のために存在しているのでは決してありません。そのように存在してはいけないのです。「普通の人々」の健全な社会形成のために、そこで費やされる公的資金は、そのための「投資」なのです。私たちの劇場が、民間の興行資本による劇場よりも入場料金が低く抑えられているのはその根拠によるものです。地域社会への「投資」なのです。10000円の料金で1000人が鑑賞するよりも、5000円の料金で2000人に「変化の機会」を提供する方を選ぶのが「公共劇場」の使命であり、マネジメントです。「約束の仕事」とは、より多くの人々を受益者として劇場に迎え入れ、より多くの人々と感動の時間を共有し、より多くの人々に「変化の機会」を持ってもらえるか、そして「価値観の変化」によるライフスタイルの「変化」をもたらすかなのです。それが「公共劇場」のマネジメントの基本であり根幹なのです。

そのことによって健全な社会形成に寄与する社会機関としていかに存在し続けるかが「約束の仕事」であり、社会がいま、私たちに求めている劇場経営のあり方なのです。やはり、私たちは、「約束の仕事」を果たすために、もうしばらくは「眠るまでにはまだ幾マイルか」行かなければならないのです。おそらく「公共劇場」とは、「公共劇場」となるプロセスのことではないかと考えています。その歩みを止めない、何があっても揺らがない強い意志こそが、そのプロセスを保障するに違いない、と最近私は思い始めています。

いま一度繰り返します。劇場や芸術には制度を変える力はもとよりありません。しかし、その制度によって生じた歪みを矯正し、人々の健全な精神や健全なコミュニティを形成する力、歪みから回復させる力は、劇場や芸術には優れてあります。私たち劇場は、未来に向かって蒔かれた「一粒の種子」になることと思っています。「約束の仕事」とは、その「未来に向かって蒔かれる種子」を手にすることだと確信しています。健全な未来を形成する「公共劇場」とは、その種子の芽吹きによって健やかな未来を手にしようとする私たちの「意志」そのものではないでしょうか。強い意志で未来にひらかれた劇場を、すなわちすべての「普通の人々」に健全な未来を約束する社会機関を創り上げることこそがいま急務なのではないでしょうか。それこそが「公共劇場」のデザインなのだと私は考えています。

ご静聴を感謝します。有難うございました。