第70回 「高み」を目指して不安と戦う  館長の仕事。

2009年12月18日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

三度目の可児での冬です。可児市文化創造センター(ala)の館長兼劇場総監督に就任してから、正確には、2年と9ヶ月になります。60歳の還暦の年に可児に来たわけで、年が明けて1月末で63歳です。63歳といえば、若い頃の私から見たらものすごいジジイです。昔だったら隠居をしている齢です。現に私の学生時代の友人の中には、定年退職して「悠々自適」、「晴耕雨読」の生活をしている者さえいます。なのに、日々、市民の喜びそうな新しいサービスを考え、市民が文化的でゆとりある生活を実感できるサービスの工夫をしている自分を省みると、随分と酔狂な齢のとり方をしているなと感じます。何としてでも日本の地域劇場経営のひとつのモデルを創ろうと、大袈裟にではなく、寝ても醒めても「妄想」をふくらませている自分に、いささか呆れてもいるのです。

とは言っても、生きがいを感じますし、ありがたいなと思います。思いますが、こういう風な生活をするのはとても体力のいることだなぁ、と最近はつくづく感じます。やっただけ、考えただけ、同じ分量の不安が襲ってくるのです。「これで良かったのだろうか」、「これで大丈夫なのか」、その不安と戦いながら「妄想」をふくらますという、我ながらちょっと滑稽なことになっているのです。ならばちょっと考えるのを止めれば良いだろうに、と思われるかもしれませんが、私も結構な年齢なのは冒頭に書いた通りで、「残されている時間はない」という気分が常にあるのです。どうしても足を止めることが出来ません。性分です。あと10歳若かったら、といつも思います。お金で買えるのなら、1年100万円、10年でつごう1000万円で買いたいくらいです。これでは安すぎますか?

「新しい」仕組みや制度を設計するのは、とても疲れることです。どこまで考えても、楽になることはありません。どこまでも不安が付きまとってきます。一年目にパッケージチケットの制度設計をした時もそうでした。絶対にパッケージ化した方がお客さまの利便性と利得性が高まるので「売れる」と思って設計したのですが、それでも不安と確信は相半ばしていました。翌年に前年度比228%、さらに今年度は214%と購入パッケージ数が倍々ゲームで伸びました。思惑どおりです。しかし、伸びたら伸びたで、今度は、徹夜で並ぶ方が出たり、コンピュータと発券が追い付かずに発売当日に長蛇の列ができて混乱してしまったりで、来年度の発売日にお客さまに不快な思いをさせないようにするにはどうしたらよいだろうかと、頭を抱えているのが現状です。何かを達成できたら出来たで、それを更にどのように運用すれば最適化が図れるのかの「責任」が生じます。

日本中の公共劇場・ホールのみならず、民間劇場を含めて、何処も着手していないことを、アーラでは毎年いくつも始めています。市民にとっての「人間の家」になることを目指して、お客さまの立場にたって、何処もやっていないことを次々と着手しています。前例のないことばかりですから、何処かと比較して軌道を修正するベンチマークができません。闇夜の海を羅針盤なしに航海しているようなものです。「新しい」ことに不安が伴うのは承知しているのですが、正直に告白すれば、時々、投げ出したい衝動に駆られることがあります。決して「ノリ」でやれる仕事ではないし、強制的に徴収した税金でやっているのですから「ノリ」でやれるものでもありません。

ならば、そのような身の程知らずの野望を持たなければ良いだろう、と思われるかもしれません。確かにおっしゃる通りなのです。平々凡々と、普通の公共ホールでやっているように買い公演の自主事業をこなしていれば、もしかしたら「館長」という仕事はそれほど大変なものではないのかも知れません。東京の業界では、「衛紀生」は地方の公共ホールの館長に落ち着いた、「一丁あがり」で、演劇の第一線から退いて可児で余生を過ごしている、と思っている人も多いようです。でも、それでは生涯最後の職場にアーラを選んだ意味がなくなるのです。これまでの生きて来し方を御破算にすることになってしまうのです。私にとってアーラは、次の世代に残す「遺書」と覚悟して可児に来たのですから。                                                                                      

正直に言うと、就任1年目、県立宮城大学から6時間半かけてアーラに行き着いて、3日間仕事をしてから東京に戻っていたその年のことは、ほとんど憶えていません。齢のせいかも知れませんが、無我夢中の一年間だったのだろうな、と今になって考えます。随分と遠い昔のことのように思えます。ふっと3年前の今頃は何をしていたかな、と考えました。山のように積まれたアーラの報告書のいちいちの事業を精査しながらグラフ化しました。財務諸表を費目ごとに分析して、それぞれ経年比較をしていました。これは忘れようにも忘れられない年末年始です。さすがに最近は無我夢中という状態ではなくなったのですが、そうなると「責任」と「不安」に付きまとわれて、身のすくむ思いに追いかけられるようになってきたのです。

アーラを日々進化させたい、と思っています。劇場だけではなく、物事すべて、同じところに止まっている「ステイ」の状態はないと思っています。人間の能力もしかりです。外部環境は動いているのですから、「進化」を果たせなければ「後退」しかないのです。だからいつも不安に苛まれることになるのです。性分とか、自業自得と言われればそうなのです。今年も年末年始は箱根の強羅温泉で過ごします。年に一度、夫婦で四、五日過ごせる機会です。それでも、仕事のことが頭から離れないのはやはり性分なのでしょうか。三年前は温泉地に前記の大量のアーラの分析資料を持参しました。温泉につかっていて温まりながら、「こんなことをしたら、きっと市民は幸せな気分になるだろうな」などといつも妄想するのです。

唯一仕事が頭から離れるのは、強羅温泉に行くと必ず訪れる仙石原・ポーラ美術館で収蔵美術品の展示の中をふらふらとただよっている時だけかもしれません。ものすごく幸せな気分になります。「夏の展覧会」と「冬の展覧会」の企画を思いついたのは、でも、ポーラ美術館でのことでした。「夏の展覧会=エイブルアート展」、「冬の展覧会=いわさきちひろ展」。アーラは美術館ではないけれど、近隣には美術館はないのですから、心を揺さぶられる美術展が夏と冬の年に二度はあっても良い、と一昨年のポーラ美術館でふと思ったのが始まりでした。

暖冬と思っていましたが、急に寒くなりました。最低気温が氷点下になるようです。車に三度目の冬タイヤをはかせて年を越そうと思っています。