第59回「感動創造」が創客のキーワード。

2009年10月23日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

1980年代前後から盛んに「顧客満足」という言葉が経営学や経営現場で言われました。「顧客満足」が「従業員満足」をも創りだすとも言われました。「顧客満足」とは、期待度分の達成度であり、期待度が低ければ低いだけ達成度の数値は高くなるわけです。これは少しおかしいとは思われませんか。期待度が低ければ満足度が上がるということは、習熟した消費者を相手にしなければ満足度が高くなるということなのですから。私にはとても不思議な経営指標としか思えません。

劇場サービスでも、21世紀前夜頃に遅ればせながら「観客を満足させる」という志向が見受けられるようになりました。ただ、これにもいささか疑問符をつけざるを得ません。舞台の質的な向上による顧客満足度の追求というよりも、数億円という予算を背景とした過剰なまでの舞台装置、不必要なまでに華美な衣装などの物量作戦とタレントの起用というかたちでの顧客満足の達成を目指したものだったからです。大手芸能プロダクションとテレビ局の演劇興行への参入が、それを可能にしたのです。舞台芸術の世界のバブル化はこうして始まったと言えます。「タカラヅカ化」と私は呼んでいます。

私は「顧客満足」よりも、劇場サービスは「顧客感動」を指標とすべきと考えます。「顧客満足」が不足したものを充足させることで得る心の状態だとすれば、「顧客感動」は、予期しない心の揺らぎに驚きを伴って大きく自身の心の動きに揺さぶられる状態をいいます。予定調和を裏切るサービスのインパクトの大きさがもたらす心の状態を言います。驚きを伴った「物語性」によって、顧客の常識を突き抜けることで記憶に長く、強く残るサービスのあり方と言えます。「顧客感動」や「顧客共感」は、したがって生き方に関わり、記憶に強く作用するサービスと言えます。私が十数年言い続けてきている、そして可児市文化創造センターで実践してきている劇場経営の柱である「創客」や「価値創造」は、まさしくそこに依拠したマーケティング理論なのです。

舞台芸術は、舞台と顧客の相互作用です。半分は舞台側が演出によって作品を創り、提供し、それを受け取る観客・聴衆が、その言語行動や身体行動、あるいは照明や音響などの舞台技術の展開に意味付けをする、その意味付けに対してふたたび舞台の側がさらに新しい展開と状況を提供するという相互作用によって成立しています。したがって、劇場サービスの根幹には構造的に「顧客感動」や「顧客共感」があるのですが、ここに止まっているかぎりはマネジメントの使命は「何を観せるか」、「何を聴かせるか」だけが唯一無二の柱になってしまいます。

マネージャーやマーケッターはこの先に行かなければ、ただの作品選定者でしかありません。ただのチケット販売者、動員誘導者でしかありません。舞台芸術のマネジメントやマーケティングは「何を観ていただくか」、「何を聴いていただくか」の先にあるスキルだと思います。「どう観ていただくか」、「どう聴いていただくか」をデザインするのが主たる仕事だと私は思います。「顧客感動」と「顧客共感」を「演出する」のが、私たちの仕事の最重要ミッションなのです。私は常々職員には「君たちの仕事は演出家である」、「お客さまの心に関わり合うクリエイティブな仕事である」、と言い続けています。「バースディ・サプライズ」も「母の日のカーネーション・プレゼント」も「銭洗い弁天の五円玉の大入り袋プレゼント」も「出演者の色紙プレゼント」も「イルミネーションの連日点灯式と記念写真のカード・プレゼント」、演奏会前後の「ビフォーディナー」や「アフターパーティ」の開催も、さらには当たり前のことではあるが、私自らがお客さまをお迎えし、お見送りするという仕事も、すべてはその日の催しものに参加するお客さまの心の状態を「演出する」ためのものです。多様なチケット販売システムや180にも及ぶアウトリーチで構成された「アーラまち元気プロジェクト」も、アーラの社会的信頼関係(ブランディング)を推進して、お客さまの心にアーラの存在を届けることで「顧客共感」と、この小さな町で二日に一度アウトリーチが展開されていることへの誇りからくる「顧客感動」を下支えしようという仕事です。

もう一度言います。「何を観せるか」、「何を聴かせるか」ではなくて、「どう観ていただくか」、「どう聴いていただくか」をデザインするのが、劇場サービスにおける職員のミッションです。「創客」の仕事なのです。手間のかかる仕事ですが、劇場の顧客は「創る」ものであり、「集める」、「動員する」ものではありません。政治集会とはまったく違うものなのですから。