第56回 みんなの劇場―理想の公共的地域劇場へ向かって。

2009年10月5日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

アーラに着任してから2年半が経ちました。まだまだ道半ばですが、最近、「理想の地域劇場ってどんな劇場だろうか」と考えることがあります。利便性に富んだチケットシステムや、すべての市民を視野に入れたアウトリーチやワークショップ180事業をまとめた「アーラまち元気プロジェクト」、お客さまの受取価値の高度化をはかる諸々の手作りサービス、アーチストが可児市に長期間滞在して作品を創造し、東京と全国へ発信するアーラ・コレクションの仕組みなど、それらの事業設計は着々と進んでいますが、「何かが足らない」という思いが私にはいつも付きまとっていて、ふと冒頭のような自問をしてしまうのです。きっと何かが私自身にとって不満なのです。それが何なのかを突き詰めて考えていました。

行き当たったのが「みんなの劇場」という至極当たり前の言葉でした。この「みんな」は、「すべての市民の」という意味はむろんのことですが、もうひとつ「すべての職員の」という意味もあります。どちらもとても難しい課題です。

前者が市民との関係づくりのマーケティングで、外部に向かって働きかけるという意味で「エクスターナル・マーケティング」とか「ブランディング」と言います。日本の地域劇場・ホールで、この「みんなの」を成立させているところは極々少数です。それは、多くの公立劇場・ホールの館長から職員まで、つまり上から下までが、最初から「みんなの」という目標を放棄してしまっているからです。事業をしている日だけ、演劇や音楽の愛好者の集まってくる施設で良しとしているのです。一部の愛好者のための施設、搔き集められたお客さまに数時間のイベントを提供するだけの施設、それで組織が自己完結してしまっているのです。それで本当に良いのでしょうか。アーラは其処からテイク・オフすることを仕組みとして設計してきました。これからも設計の精度を高める努力をし続けます。いま私たちは、「人間の家」としてのアーラ、「社会機関としてのアーラ」への道程を着実に歩んでいると確信しています。

「すべての職員にとって」の、という意味での「みんなの劇場」は、まさしく最高度の理想と言えます。これは内側に向かって行うマーケティングということで「インターナル・マーケティング」と呼ばれています。究極は「自分はどのような劇場で働きたいのか」を職員自身が自らに問うて自身で劇場との関わりをマネジメントすることです。私が考える理想の地域劇場・公共劇場のデザインを描き、そこに向かって職員をリードしていくのは、ロケットで言えば一段目と二段目の推進力です。最終的には、職員一人ひとりが「自分が働きたい」と思う劇場をデザインして、それに近づくためにマネジメントを自らに課すのです。私は、いつかアーラはその意味でも「みんなの劇場」になってほしいと願ってやみません。

今年、英国のリバプールに行った時、ウイリアムソン広場に面した地域劇場のリバプール・プレイハウスに行く機会を得ました。リバプールは古くは栄えた交易港でしたから、広場の周囲にパブリックな建造物を設置するという、大陸型のまちづくりが行われていたのでしょう。広大な広場の一角に劇場はありました。リバプール・プレイハウスは1865年に竣工した劇場です。日本で言えば慶応元年に建設されたわけで、貴族や平民、労働者階級などの当時の階級制が劇場設計の至るところに露骨に表れています。舞台の上下の際に設けられたバルコニー席は、どうやっても舞台が見えない向き、つまり客席に向いて設けられています。貴族階級の人たちが、舞台を観劇するのではなく自分を見せるために劇場に来ていたことを教えてくれる設計です。1階席は座席にすわると舞台の奥行きの半分以上が見えません。これは、日本の歌舞伎小屋でいう「追っ込み」といって、低い身分の観客が立ったまま芝居を観ていた名残りです。2階正面の席がちょうど舞台と同じ高さで一番見やすいのですが、ここは当時台頭してきたブルジュアジーたちが着飾って観劇した席だったのでしょう。つまり、もう本当に古い劇場なのです。

ただ、ここで働いている若いスタッフたちに感動しました。生き生きとしているのです。目がキラキラとしているのです。スタッフの多くは若い女性でした。彼女達が、この古色蒼然とした劇場を、「自分たちの劇場」として誇りに思って働いているのが、彼女たちの表情や立ち居振る舞いからストレートに伝わってくるのです。「この劇場は強い」と思いました。劇場は何よりも「人間」です。ヒューマンリソースです。どんなに立派で、豪奢な劇場でも、そこで働く人間が駄目なら、それは単なる「ハコモノ」に過ぎません。「まち」が人々の関係のあり方の中にあるように、劇場も、お客さまと職員の「関係のあり方」の中にあるのです。リバプール・プレイハウスの、あの若いスタッフの笑顔で迎えられるお客さまは、本当に幸せだと感じました。自分の仕事に「誇り」を持っている人間ほど美しいものはないからです。彼女たちの笑顔は、必ずや、お客さまに「やすらぎ」を与えます。

スタッフ各々にとっての「みんなの劇場」になることはとても高いハードルです。職員一人ひとりが「自分の働きたい劇場」をデザインして、そこに向かって一日一日歩を進めていく。その職員たちのデザインの総和が理想の公共的な地域劇場となる。そうなったら、当然のことですが、お客さまとのきわめて良好な関係づくりもできるでしょう。私はそのような劇場を夢想してやみません。ある時点までは私が職員をリードしますが、そこから先は職員の構想力、自分の働きたい劇場をデザインして、そこに近づく情熱にアーラをゆだねようと思っています。今日も、その時に近づくための一日だと思って職員に接しています。