第42回 国の特別支援施設としての一年を終えて。

2014年1月13日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「国の特別支援劇場音楽堂」としての一年が終わろうとしている。劇場業務としては格別変化があったわけではなく、前年までと同様に事業を粛々と行っていたのだが、視察対応と講演会、シンポジウムは飛躍的に増えた。1月と2月のスケジュールをあげてみても、津市の視察、熊本現代美術館の視察、劇場音楽堂連絡協議会、劇場音楽堂連携フォーラムシンポジウム、東京芸術劇場プロフェッショナル人材養成研修会講義、同ゼミ講義、近隣市議会議長協議会の視察対応、九州大学ホールマネジメントエンジニア講義、静岡舞台芸術センター視察、全国公文協アートマネジメント研修会シンポジウム、世界劇場会議国際フォーラムコーディネイタ―、那覇市パレット市民劇場国際シンポジウム、白河市の視察対応、名寄市長レクチャーと議会・商工関係者への講演、兵庫県公文協での講演、となっている。視察対応でもレクチャー的なセミナーをやるから、およそ2日に一度はアーラの経営哲学を喋っていることになる。

話す内容がルーティン化して、当方としてはいささか新鮮味に欠けるきらいがある。とは言っても、嬉しいことである。忙しく飛び回っているということは、従来から見ればまったく新しい劇場経営の基幹となるマネジメントやマーケティングの考え方、アーラの創客のための事業の仕組みを全国に伝えることが出来るのである。正直言って身に余る光栄であり、「アーラの宣伝部長」としては「忙しい」などと泣き言を吐いていては罰が当たる。

それでも大学の教員との兼務で非常勤というかたちで就任した還暦のころと比べると、体力は確実に落ちている。慢性的に寝不足のような状態である。毎年6月から7月にかけて全国を回るアーラコレクション・シリーズの営業旅も部下に任せた。むろん冒頭のように日程的に忙しく、1日に2館ずつ営業に回るような旅が難しかったこともあるが、暑い時期の営業旅にいささか尻込みしたこともある。係長の澤村に任せられるようになったということは、私の人脈を5年で彼に移せたということであり、任せても大丈夫なだけの技量と器量が彼に備わったということでもある。人材は確実に育ってきている。

今年の暮れから正月にかけては温泉三昧であった。恒例の箱根・強羅のホテルマロード箱根に29日から元旦まで滞在、2日から4日までは下呂温泉の水鳳園に逗留した。そのあいだは露天風呂に入って冬枯れの林や雪持ちの山茶花の景色を眺めながら考え事をする毎日だった。思惑よりも1年遅れはしたが、当初から射程に入れていた国の特別支援施設としてのステータスに辿りつけたという達成感をしみじみと味わいながら、館長エッセイの構想や次の5年間をどう経営しているかをぼんやりと考えていた。私にとって毎年の至福の時である。

さまざまな「妄想」を楽しんでいたが、そのなかで「このアーラの流れは誰が引き継いでいくのだろうか」ということも考えた。私も今年で67歳となる。もうそろそろ、行く先が気になる、あるいは気にしなければならない年齢である。私の後の三代は、大過なければ想定できるところまでは来ている。その先は、男女構成を考えると、女性館長の時代がやがて来るのだろうが、私が考えたのはそのずっと先のアーラを牽引するのは誰なのだろうか、ということだった。「できれば」と私は考えた。アーラで育った子どもたちの中から、「アーラで働きたい」という若者が出て来て、その子が30代に係長となり、40代で課長となり、50歳を過ぎた頃に館長になれば、私たちの遺したものが一つの循環を完遂したことになる、と思った。

アーラには多くの子どもたちが来ている。アーラ・ユースシアター、毎年の大型市民参加型事業、多文化共生事業などに毎年延べ100人近いこどもたちが参加している。交流を途絶えさせないために毎年開かれる「アーラみんなの同窓会」には、毎年80人から90人の人間が集まる。私の「妄想」もまんざら絵空事ではない気がしている。まったくの純血主義は良くないが、職員の半分はアーラの「卒業生」ということだって考えられる。自分たちがやってもらったように、未来の市民や子どもに接するホスピタリティが継承されたら素晴らしい。「将来は芝居をしたい」という子がいるのだから、「アーラで働きたい」という子どもがいても不思議ではない。もし、そういう子がいないのだったら、それは私たちの努力が足らないのだと思う。「子どもたちが憧れる職員」になっていないのだと思う。

特別支援の2年目となる来年度は、アーラが東京を経由しないで世界に繋がるかたちでの「国際化」を目指す年となる。「ローカルからグローバルへ」、すなわち「グローカル」という年にしたいと思っている。英国随一の地域劇場であるウエストヨークシャー・プレイハウスとの業務提携の締結、20年間名古屋で開催されてきた世界劇場会議国際フォーラムを可児で引き継いで、より大規模で発信力のある国際会議の開催の二つが決まっている。「アーラズ・チルドレン」たちがその流れの中に入って、将来国際的な劇場人に育ったら、おそらく今年度に始まったアーラの奔流は大海に注がれたことになるのだろうと夢想する。

そう考えていくと、私たちがいまやっている仕事は、確実に未来につながっていることが分かる。私たちが明日の世代に何を遺せるのかを、私たちは厳しく自身に問わなければならないと思う。それがアーラ型の地域劇場、ひいては日本の「公共劇場の未来」の基盤を強固にすることにもなる、と私は温泉につかりながら誰にも迷惑のかからないことを夢想していた。