エッセイ

「まだ眠るわけにはいかない」と書いた日からの10年を―いささか情緒的な備忘録として。(その3)

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生

【人間に寄り添う劇場の実現に、対人共感力のある職員とコミュニティ・アーツワーカーを、そして「文化政策3.0」に向かう】。

現在非常勤特別公務員との位置づけで一定の権限と期限を持って関わっている丸亀市の劇場設置計画において、基本構想から始まり基本計画、基本設計、実施設計と続いて設計着工という従来の行政的な流れが、「市民の夢や期待との乖離」と「劇場の社会的可能性・文化芸術の拡張性の委縮」とならないように私の経験値から工夫をしています。私は市民10人程度との「車座集会」で、着工までに1000回程度、約10000人の市民と対話して、劇場ホールが「鑑賞施設」のみの機能を持つ「常識的な概念」からテイクオフして、多機能的な拡張性のある「新しい広場」、「みんなの広場」であることを市民の皆さんと共有しようとしています。その対話の成果を基本構想と基本計画に、公共性を担保できるごく少数の委員でまとめます。「有識者」と称する大学教授や地元企業家、行政関係者、議会関係者、文化関係者、文化的統括団体関係者による委員会をいくら積み上げても、彼らが「常識」にがんじがらめになっているかぎりは、「市民の夢や期待との乖離」と「劇場の社会的可能性・文化芸術の拡張性の萎縮」は当然のように結果します。それは彼らが劇場音楽堂等を「鑑賞施設」と決めつける「常識」に呪縛されているからに他ありません。

その絶好の事例は、ここ数年、全国各地に数百億円もの予算を費やして造られている、あるいは計画されている2000席を超える巨大な劇場ホールです。福島市ではコンベンション機能も併せ持った5000席のホール設置計画が市民には隠密裏に進められています。「有識者」と言われる種類の人間が、その委員会で果たしている役割は、私から見れば納税者主権を蔑にしていて「犯罪的」でさえあります。私はたとえ「文化関係者」であっても、「常識」の繭玉の居心地の良さの中に閉じこもって「文化芸術の社会的拡張性」に思いを致さないのならば、自分の利害のみに終始して、市民からの納税による付託を裏切っていることになると思います。彼らは自分たちの利害を前面に押し立てて収容人数と建設候補地等の「陣取り合戦」に終始します。最終受益者たる市民、とりわけて「声を上げられない」、「声を上げない」市民が何を求めているのかに思い致さないのです。この段階でもうすでに「負担と受益の圧倒的なアンバランス」、すなわち「ハコモノ主義」が立ち上がっているのです。費やされる税金を、まちの隅々で沈黙を余儀なくされている市民すべてにまで還元しようとする姿勢がまったく欠落していると言っても過言ではありません。自分たちの利益誘導のための「委員」でしかないのです。「人間のための劇場」という劇場音楽堂等の利他的な原点を見失わないように、丸亀市での作業は慎重に進めなければなりません。

丸亀市の担当者に、「車座集会」の参加者のリクルーティングは不登校の子どもたちのフリースクールも含めた教育関係者、高齢者・身体障害者施設関係、保健医療関係者、企業関係者、ひとり親家庭を支援するNPO、子育て支援のNPO、更生保護支援NPO、丸亀市内に立地している女子少年院「丸亀少女の家」、隣町の善通寺市に立地する「四国少年院」と長期入院の子どもをケアしている「独立行政法人四国こどもとおとなの医療センター」等の関係者にも声を掛けるように指示して、文化関係者はONE of THEMと考えるようにと注意を促しました。自分たちの利害を利己的に優先するようでは多くの市民との「夢の共有」などありえません。直接的な利害のある文化関係者でさえ、市民との「夢の共有」に存在価値のある施設での利用は歓迎するのではと思っています。私の考えている劇場は「利他的」な人々による「新しい広場」です。ちなみに担当者がリクルーティングで地域の自治会を訪ねた時に「何でホール設置の話を私たちのところに」と訝しげな対応をされたということですが、さっそく「常識」の壁にやられたのです。その自治会の地域にも解決しなければならない課題はあるはずです。しかし、その解決に手を貸してくれるのが劇場ホールであるとは容易には彼らの中では結びつかなかったのです。手続きを間違ったのです。この「車座集会」での話の内容が報道等で丸亀の全市的な認知を得ることになれば、むろん申し出のあった全市の自治会の皆さんとも「車座集会」を設けて話をしなければと考えています。「車座集会」の参加者を近々公募することになります。

また、人材育成を兼ねてアーラの職員を毎月の丸亀滞在の折に一人ずつ同行させることにしています。まちに劇場が出来るまでの手続きと考え方、そして市民の皆さんとの合意形成の進め方と劇場と丸亀市のブランディング手法をつぶさに体験することが、きっと彼らの将来の財産になると考えたのです。劇場が出来てからニーズを探すのではなく、ニーズに当たって、掘り起こしてから、劇場の機能を決めていくという手法をとったのです。これは同行させるアーラの職員には大いに勉強になると確信しています。人材を経営人財にするために、自分たち劇場人は何処を見て仕事をすべきなのか、自分たちの仕事は何なのか、そして自分たちは何者でなければならないのか、を身体で熟知する絶好の機会と私は思っています。

「人材育成」という言葉は文化関係の公的文書のみならず、多くの文化芸術統括団体の作成する文書にもたびたびあらわれる言葉です。私はこれに強い違和感を持っています。第一に2003年の指定管理者制度導入以降、劇場音楽堂等の正規職員率は右肩下がりで低くなっています。現状では、良く見積もっても20%(Explat調べ)で、この中には役所からの現職派遣職員、また年限だけを外しているが待遇は変えないで30歳の給与が50歳を過ぎても変わらない「なんちゃって正規」もカウントされています。実態は16%?17%前後で、非正規率は一般企業の全国平均の2.5倍程度と推察しています。言うまでもなく「ブラック」であり、若く才能のある人間にとって、劇場音楽堂等はとうの昔に魅力ある職場ではなくなっています。その非正規職員に「投資」をする環境はあるのでしょうか。「人材育成」とは人材に投資をすることです。重要な経営資源となるように、将来を見据えて「投資」をすることです。しかし、その職員が一定年限で「雇止め」となるなら投資する意味はまったくないと言えます。

また、「人材育成」の文書には必ず「専門的人材」という言い方が伴っています。ここでいう「専門的」とはどのようなことなのか、私にははなはだ疑問です。音楽、演劇、ダンスなどに精通している、という意味だとしたら、この言葉を軽々に使っているのは現場で起きることをまったく知らない、劇場経営の何たるかをまったく考えていない人間であると同時に、近年の「変化」に無関心で自身の無知蒙昧を曝しているとしか思えません。ましてや第三次基本方針以降、今年度明けに閣議決定された推進基本計画までに貫かれている「経済的評価」及び「社会的評価」の重視という外部環境の変化にあっては、音楽や演劇の「専門家」のプライオリティは決して高くなく、大切なのは「社会に対する意識」とサービス業である以上は絶対に必須である「対人共感性」のある人材と言えます。「対人共感性」と「対人共感力」は是非とも憶えておいてほしい言葉です。

この「対人共感性」は、コミュニティ・アーツワーカーにとっても必須の要件になります。『alaまち元気プロジェクト』のアーツワーカー選定では、私の初年度の事業の中に地域創造の『ダンス活性化事業』と、大型市民参加型事業『あいと地球と競売人』があって、その稽古プロセスで、それぞれの講師・演出家として関わってくださった体奏家の新井英夫さんと金沢の黒田百合さんを代表とする「Ten seeds(テン・シーズ)」の人たちに決めました。非常に幸運な出会いだったと思っています。人選でまず大切にしたことは「人間性」、すなわち「対人共感性」です。社会包摂型プログラムですから、アーツワーカーが向き合う市民は、弱い立場にあり、生きづらさを抱えながらも、声を上げられない人たちが多いわけですから、「対人共感性」の強い、人間として生き方を弁えていなければ、たとえどのような素晴らしいキャリアを持っていたとしても「そもそもで失格」です。その点で、新井さんは「ダンス活性化事業」にリストアップされていた振付家・ダンサーの中で唯一「福祉」を得意分野に上げていて彼の人柄がしのばれましたし、黒田百合さんは金沢市民芸術村アドバイザー時代から彼女の人間に向き合う姿勢に強い共感と信頼を寄せていましたし、彼女の仕事の作法は熟知していました。「Ten seeds」の皆さんも彼女のDNAを受け継いでいる素晴らしい対人共感性を持っているメンバーです。この基本要件が駄目だと、どんなに優れたスキルを持っていても、人が羨むキャリアを保有していても、プロジェクト自体はまったく機能せず、それによって生じる「変化」を数値化して事業の政策エビデンスとして定立させるアウトカムは到底望めません。これらのプログラムは「やったという事実」と参加人数と実施回数(アウトプット)が評価対象となるのではなく、実施したことによって「何が、どのように変化したか」(アウトカム)が唯一の評価軸であり、政策エビデンスになるからです。

5月6日に新可児駅前にオープンした子育て支援施設mano(マーノ)で、今年度はソフト事業が予算化されていないものの、今年度中のそのためのトライアウトがあれば、その対応や来年度以降の事業への備えはしておこうと思いました。そこで必須となるコミュニティ・アーツワーカーを選定する上でも、「対人共感力=人間性」を第一に吟味人選しました。私たちはワークショップやアウトリーチの際に「寄り添う」と簡単に言ってしまいますが、「寄り添う」というのは相手の立場に立って「想像力と創造力」を十二分に機能させて「相手の身になって」対応するということで、「対人共感力」の弱い者には社会包摂ワークショップはとても難しいことなのです。難しいだけではなく、その人の抱えている事態をさらに悪化させてしまう懼れさえあります。その結果で選んだのは、ニュージーランド在住で日本と行き来しているインプロビゼーションの絹川友梨さんと劇団鳥獣戯画の石丸有里子さんです。新井さんと黒田さんのTen seedsは小中学校・不登校児のフリースクール、0歳児から3歳児と若いお母さん、高齢者等のワークショップ・アウトリーチで通年の日程が極めてタイトで、manoに対応するには新しいコミュニティ・アーツワーカーにお願いするしかなかったのですが、お二人とは20年以上の付き合いですし、人柄も良く知っており、スキルも確かであることから、何の心配もなく、すべてを委ねられると思っています。

絹川さんには、「更生保護女性の会」の、早ければ来年度からのワークショップ事業も担っていただく予定です。それまでは、心理学研究者、精神科医師等と可茂地区の保護司さんたち、更生保護女性の会のボランティアさん及びBBS(ビックブラザーズ&シスターズ・法務省のネーミングでいかにも再犯率を下げたいという法務官僚の「わらにもすがる」気持ちが表れています)の若手ボランティアたちと、更生保護対象の方々の現状の認識の共有と課題解決のスキル開発のプロジェクトチーム会議を最低でも1年から2年間は重ねる予定です。このプロジェクトのアウトカムは当然のことですが「再犯率の低減」となるでしょうが、現在の保護対象者は17名で、その6割が薬物事犯で更生施設に収容されているので、精神科医医師のPTへの参加は必須と考えています。「依存傾向」は、薬物であれ、アルコールであれ、ギャンブルであれ、性的であれ、過去の出来事による心的外傷後ストレス症候群(PTSD)が大きく関わっているという精神医学的・心理学的知見があるので、向精神薬物に依らないでPTSDを克服する「記憶の再固定化」を実現するという難題をどのような手法で可能にするかという超難題を抱えることになります。「記憶の再固定化」とは、PTSDの原因となった恐怖体験を記憶における固定化から解き放って、ふたたび同じ体験をしたとしてもマイナスには作用しないように再固定化することです。現在オランダなどでは向精神薬を使用して治験が進められているようですが、それを演劇・ダンス・音楽等の文化芸術の持つ力で行えるようにしたいと思っているのです。東北大学医学部教授で、仙台富沢病院の院長である藤井昌彦先生によって考案された「演劇情動療法」によって、認知症患者の歓喜情動指数が飛躍的に上昇して有意に認知症の症状が改善されたという学会報告もされています。それによる高額な保険対象外薬の使用も減り、高齢者医療費にも少なからず影響があることが報告されています。「演劇情動療法」を受けるという処方箋によって、症状が改善して家族の負担が減り、パートなどに出ることが出来るようになる、という「社会的処方箋」活動も視野に入ってきます。

「更生保護女性の会」との協働に関しては、先日早速、東京・板橋区にあるみどりの杜クリニックの森川すいめい院長にPTの支援をお願いしました。森川先生は「自殺希少地域」の特性を研究なさっていて、その成果を上梓もしている精神保健指定医で、かつては依存症患者の治療施設として有名な神奈川県・久里浜病院に勤務していた経験もおありです。心強い知見の持ち主です。丸亀市のプロジェクトでも、「丸亀少女の家」と「四国少年院」へのアウトリーチが全体構想に入っていますから、可茂地区の「更生保護女性の会」との取り組みも、丸亀でのプロジェクトを視野に入れながらの「走りながら、考えて、考えながら、走る」ということになると思われます。

また、石丸有里子さんには第3ステージに入る『多文化共生プロジェクト』の数少ない演劇の専門知識を持つ役割でコアメンバーに入ってもらおうと思っています。ご承知のように、可児市は約6.5%の在留外国人が居住しているまちです。公立学校の児童・生徒数では7.4%にもなります。リーマンショック以前はブラジル系の住民が大多数だったのですが、現在ではフィリピン系の市民の方が700人程度多くなっています。リーマンショックの後も母国に帰らずに残っているブラジル系の方々は、一戸建てを購入して永住志向に変化して来ています。社会学者、福祉実践家、多文化系NPO等の専門家等で長期間にわたる参加者へのインタビューと実態調査を重ねて、それらをもとに劇作家に一枚加わってもらって一本の作品に仕立て上げるという、プロセスをも含めての『多文化共生プロジェクト』にしようと思っています。第1ステージは就任後すぐに当時世田谷パブリックシアターの研修員だった田室寿見子さんにお願いして2年目に英国・ストーク・オン・トレントのニュービクトリアシアターの芸術監督ピーター・チーズマン氏の手法であり、多くの傑作を生み出している「ドキュメンタリープレイ」を、さらにはニューヨークのNPO法人オータムリーブスの「セルフストリー・テリング」を導入し、6年目からは文学座の森さゆ里さんのチームにお願いして、舞台装置を含めて参加者とのワークショップですべてを創り込む総参加型による関係づくりの手法で5年間実施して、いま構想している第3ステージは、専門性を持った「大人たち」と課題を抱えている在留外国人の「子ども達」による協働共作という方向性です。大人から「問題がある」と思われている子どもたちは、逆に「問題を抱え込んでいる子ども達」なのです。可能ならば、訪日外国人にも5日間程度可児に滞在してもらって出演してもらう超課題にもチャレンジしてみようと考えています。また、英国北部・リーズ市のリーズ・プレイハウスのクリエイティブ・エンゲージド部長アレックス・フェリス提案のコミュニティ・プレイとのコラボレーションも視野に入っています。

ともあれ、『多文化共生プロジェクト』を含めた『alaまち元気プロジェクト』(初年度265回)は2009年度から動き始め、就任時は指定管理期間5年間の3年目で、議会からの「潰せ」、「売れ」の圧力もあったことから、残りの2年間を『アーラコレクション・シリーズ』の全国と東京への発信成果と社会包摂型プログラム『alaまち元気プロジェクト』の2本柱で乗り切り、「可児市文化創造センターala」の経営の大転換を印象付けることで、2年後に迫った指定管理者選定を非公募・特命指名にしようと考えていました。職員には、ここではっきりと「変化」を見せて、大車輪で劇場を動かさないと、他に施設を持っている財団ではないので公募となったら「サドンデス=失職」もあり得ると説きました。その時にやったこと、始めたことは、組織がまだまとまりに欠けていて企画意図を充分に満足させるものではなかったのですが、枚挙に暇のないほど数多くの経営企画を動かしました。「文学座と新日本フィルとの地域拠点契約締結とアーラコレクションの第1回『向日葵の柩』(作 柳美里 演出 金守珍)の記者発表を東京・パレスホテルで開催したこと、可児での隔月の定例記者懇談会の設定、中・高校生向けの「私のあしながおじさんプロジェクト」、来場者への手作りカードと可児の花であるバラを一輪ラッピングして私からお渡ししてお祝いする「バースデー・サプライズ」、12月初旬から2月初旬のあいだ、応募する市民が毎日みずから点灯して、記念の写真をカードにしてお渡しする「アーラ・イルミネーション」等々、次々にコミュニティ・マーケティングの企画を動かすことで「アーラの二次的・三次的受益者」を増やして、「負担と受益の不均衡」を是正に向かわせるブランディング戦略を具現化させました。

私はアーラの職員に「劇場とは誰でも受け入れる寛容性と、それによって違いを豊かさにする創造性」のある場所でなければならない、「一部の愛好者と経済的富裕層である特権階級の占有する場所」であってはいけないと常々言っています。そのための、就任以来続けている月2回(第2、第4月曜日の午前と午後)の「館長ゼミ」です。フィリップ・コトラー、セオドア・レビット、ピーター・ドラッカーをはじめとする「ハーバート・ビジネスレビュー」の研究論文や単行本を劇場経営の基礎的な知識として輪読しています。また、「みんなの広場」になるためには、「声を上げられない」、「声を上げない」市民たちの「生きにくさ」、「生きづらさ」に思いをはせて、気働きしなければならないと言い続けています。その時、度々彼らに言うのが金子みすゞの詩の『星とたんぽぽ』の一節です。「昼のお星は目に見えぬ 見えぬけれどもあるんだよ」。昼の空に星を見る目を持たないと「生きにくさ」と「生きづらさ」の中にいる子どもや市民は見えない、「助けて」と言えない社会になったことで、それでも「助けて」と呟いている子どもや市民の「声」を聞き取れる耳を持つようになれ、と言っています。それが『alaまち元気プロジェクト』の通底音になっており、「私のあしながおじさんプロジェクトFor Family」等や寡婦母子福祉連合会や更生保護女性の会との提携協働につながるのです。

振り返ってみると、社会包摂型プログラムの『alaまち元気プロジェクト』を始めた3年後に「第三次基本方針」に「文化芸術の社会包摂機能」と「従来、社会的費用として捉える向きもあった文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要性に基づく戦略的な投資と捉え直す」の文言が記されて以降、「劇場法前文」、「大臣指針」と2011年から2014年にかけては、アーラらの経営方針が全国的にはアゲインストにさらされた時期から急速に追い風に変化した、と感じます。その間に文化庁の「劇場音楽堂等活性化事業」でも「地域の中核施設」から「特別支援」となり、地域創造と自治総合センターからの助成も得て、国の打ち出した「文化GDP」の先進事例として文化審議会文化政策部会からの招聘を受けて、中途退学者・問題行動・遅刻者数を激減させた先進事例として岐阜県立東濃高校の成果を発表する機会をいただきました。自民党政策調査会に2回、公明党本部に1回招かれて、その社会的インパクト投資による社会コスト・行政コストの削減効果の経済的効果と社会的インパクトをプレゼンすることを求められました。そのプロセスで、私個人が顕彰されたとは思っていませんでしたが、第67回芸術選奨文部科学大臣賞の芸術振興部門での顕彰と可児市の文化創造都市長官表彰という、思いがけない出来事にも遭遇することが出来ました。一時は思うように動けない身体に思い悩んでいささか深刻な鬱状態になりながらも、何とか10年目の結節点は迎えられたと、いまは思っています。

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