エッセイ

試される劇場・試される文化芸術― 時代の要請に応えて劇場ホールと文化芸術を再定義する。

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

「人間とって一番困難に事は、新しい考えを受け容れることではなくて、古い考え方を捨てることだ」。経済学者のケインズの言葉です。

私が40歳代に入った90年代前後と現在を輪切りにしてみれば、確かに文化芸術を取り囲む環境は大きく変化しています。90年に芸術文化振興基金と企業メセナ協会が設立されて、「アーツマネジメント」や「ワークショップ」という語彙が急速に広がり始めました。「芸術文化振興基金から補助を受けると国の表現への介入を許すことになる」と当初は強い警戒感が演劇人を中心にありました。いまでは「笑い話」のようなエピソードです。80年代のバブル期には、いまでは考えられませんがJR東海や資生堂やNTTなどの大企業名のついた、若い才能をピックアップした「冠公演」が数多くありました。87年から助成を開始したセゾン文化財団による企業メセナ活動は、90年に社団法人企業メセナ協会として大きな流れとなります。また、企業メセナ協会の発足当初は、「企業メセナは見返りを求めない芸術支援」というようなことが盛んに言われていましたが、現在では「企業の社会的責任(CSR)の一環としてのメセナ活動」と再定義されるようになり、そのことで企業のブランディングを推し進める戦略的活動と考えられるようになりました。この20年間に起こったことは、実に大きな「変化」です。

ところが、私たちの生きている現実社会は、それ以上に大きく変化してきたのです。20年を輪切りにすると、「変化」というより「激変」です。歌舞伎衣装の「ぶっ返り」や「引き抜き」のように、180度も社会の様相と仕組みが「転換」してしまったのです。89年の大納会での株価を最高値として、翌年10月までのわずか9ヶ月で半値に急落した株式市場。諸説あるが、92年の「バブル崩壊」を経て「一億総中流社会」が音を立てて足元から崩れていくのです。「失われた20年」の幕明けです。むろん、経済だけの問題ではありません。97年の橋本政権下での消費税値上げ、自民党政権下での度重なる労働者派遣法の改正によって、社会は格差によって大きく分断されて行きます。

生活保護世帯の増加、自殺者の年間3万人超え、認知犯罪数の増加、青少年の再犯率の増加、これらは97年を前後して起きている社会変化です。「生きにくい社会」の出現です。私がいつも言っている《いのちの格差》の始まりがこの97年前後なのです。これらが同時期に偶然に一致して変化したということではありません。「生きにくい社会」には当然ですが原因があります。97年に起こったことの一つは消費税率のアップです。あわせてアジア通貨危機が起きて、労働者の賃金など所得の変化を示す指数であるGDPデフレーターが、途中に「いざなぎ越え景気」があったにも拘らず98年から一貫して右肩下がりの数値となっています。さらに99年の労働者派遣法の改正が「生きにくい社会」をさらに推し進めました。派遣労働者や日々雇用労働者や年収200万以下ワーキングプア層の急増です。かつて日本社会を支えた「分厚い中間層の貧困層化」が97年前後から始まっているのです。新自由主義的な米国型社会への転換です。

「多様な働き方のできる社会に」と小泉・竹中路線による「改革」は2004年に、雇用者に対する派遣先企業の責任法制やセーフティネットを設けずに規制緩和を推し進めて、さらなる派遣法の改正に踏み込み、格差社会を拡大再生産させました。「生きにくい社会」は、さらに将来に希望の持てない人々を生むことになったのです。「就職氷河期」によって若者の非正規労働者率が高止まりしています。全労働者の35.1%が非正規労働者であり、年収200万円以下のワーキングプアであると言われています。貧困線(現在の日本では112万円)以下の世帯年収の家庭で生活する子供が15.7%、6人に1人という驚くべき数値になっています。これらが日本の社会に出現した「新しい貧困」であると私は思っています。

最近の内閣府による自殺対策に関する意識調査で、自殺を考えたことがある人が全体で23.4%、前回調査より4.3ポイント増加して、「最近1年以内に考えた」と答えた人は、20歳代の36・2%が最多で20歳代女性に限定すると44・4%にもなる。これが健全な数値とは到底言えません。「改革」という言葉は耳ざわりが良くて、社会が良い方向に変化すると思い込みがちですが、「誰にとって」の良い方向なのかを見極めないととんでもない社会をつくることになります。自民党が中心となっておよそ50年かけて創り上げてきた「分厚い中間層」に支えられた日本の繁栄は、たった10数年で跡形もなく消滅しようとしているのです。多くの人々は「息苦しい社会」を生きています。子供たちは「息苦しい環境」を生きています。高齢者や障害者は「息苦しい日々」を強いられています。

さて、「2010年代の文化政策」は後年どのように記憶されるか。私は文化政策に「社会包摂」という文言が表われた時代として記憶されると考えています。2011年2月8日に閣議決定された「第三次基本方針」、2012年6月27日に成立施行されたいわゆる「劇場法」、2013年3月29日に公布された「大臣指針」と、これらの公的な文書には「社会包摂」という文言が使われています。日本の行政文書に「社会包摂」という文言がはじめて表われたのは2000年12月に当時の厚生省社会援護局の将来の社会福祉のあり方を提言した文書ですから、約10年経て、「社会包摂」が文化政策の文書にも用いられるようになったのです。

これは蓋然性によるものではない、と私は思っています。前述した社会の大きな変化と、その結果の格差社会の止めようのない進行のリスクヘッジとして、文書の検討委員会や作成のプロセスで、ある種の危機意識が働いたのだと思っています。つまり、一言でいえば、それは「文化の民主化」という考え方です。すべての国民に保障されている、憲法十三条にある「幸福追求権」を担保するということです。一部の芸術愛好者と特権的な階級のみが享受する文化的サービスではなく、どのような環境に置かれていても、あらゆる人々すべてにとって、劇場やホールや美術館は社会的有用性をもっている、という意思表示がなされたのが2010年代という時代だったのだと私は考えています。現実社会のなかで必死に羽をはばたかせて生きている人々にとって、劇場、ホール、美術館で文化芸術に触れ、それによって新しい価値が生まれ、さらに羽をはばたかせてふたたび現実を生きる意欲と力を沸き立たせるためには、荒廃する社会ではこれらが「公共財」として社会的に認知されなければならない、ということなのではないでしょうか。「文化の民主化」です。そのような「場」として劇場をはじめとする文化施設と文化芸術を再定義しなければならない地点にいま社会と私たちは差し掛かっているのだ、というメッセージが「社会包摂」という語彙が文化の公的文書に持ち込まれた要因なのだ、と私は思っています。

80年代の「うかれた」バブル期にこのようなことを公的文書に書き込んだら、「何を寝ぼけたことを言っているのだ」と必ず袋叩きにあっていたことでしょう。新自由主義のアメリカでは、芸術を社会政策的な道具に使うとはとんでもないと「芸術道具主義」として相手を蔑んで、芸術至上主義者が強く反発してそれを提唱する勢力を排除しようと論争があったくらいです。しかし、劇場も文化芸術も、社会とは無縁に存在しているわけではありません。むしろ、社会のあり様を映して存在しているのです。いや、そう存在せざるを得ないのです。大戦直後に英国で政権を担った社会民主主義である労働党のクレメント・アトリー首相は、戦争で荒廃した国土と国民の心を、次の二つの指針で回復に向かわせようとしました。ひとつは「揺り籠から墓場まで」の社会福祉政策、もうひとつは「文化の享受は万人の権利」という考えによって創立された英国芸術評議会による文化政策です。

新自由主義政党である保守党のサッチャー政権下で人心が乱れた後も、97年に登場したブレア労働党政権は、「社会包摂」を所管する部署を国の機関に創設して、すべての施策の政治理念として「社会包摂」を採用しました。当然、文化政策も例外ではありません。コミュニティ・プログラムを所掌する部署(エディケーション部、アーツデベロップメント部など)の設置を英国芸術評議会からの支援を受けるための必置責務として、教育政策、格差対策、雇用対策、移民対策などの社会政策として劇場や他の文化施設を通してコミュニティに展開しました。その意味では、英国で劇場をはじめとする文化施設が、単なる鑑賞施設、集客施設から離れて再定義された嚆矢は97年であると言えます。

日本の劇場をはじめとする文化施設も、いま、「再定義」することを迫られていると私は思っています。鑑賞型施設、集客型施設に専らするファシリティとしての場から、「社会包摂」を通低音とした、そのための人材を擁する社会機関としてのインスティテュートと「再定義」しなければ、時代に取り残されて、さらに社会のなかでの孤立を深め、ハコモノとしか認識されない施設になってしまう。当然のことながら、文化芸術も包摂的な潜在力を社会に向けて発揮させることが求められます。このコペルニクス的転換の必要性は、東京圏の劇場人や芸術家にはあるいは理解できないかもしれません。なぜなら、彼等は東京圏という国の総人口の4人に1人が住んでいるという特殊な市場を相手としてマスマーケティングを広範に展開して集客という成果を競うことを宿命づけられているからです。それが俯瞰して見ればきわめて特殊であっても、当事者である彼等には「フツウ」としか認識されていないのです。したがって、地域においてこの「フツウ」を踏襲することほど愚かなことはないのです。しかし、一般的には、地域の劇場ホールは東京の「やり方」をひたすら踏襲しているだけなのです。冒頭のケインズの言葉を想起してください。「古い考えを捨てる」ことほど難しいことはないのです。

しかし、かつては企業の目的は利潤の最大化、と言ってはばからなかった『競争の戦略』を著した経営戦略の研究者マイケル・ポーターでさえ、2011年のダボス会議で「企業はこれまで、利益や株価という経済的な価値ばかりを追求してきた。しかし、これは短期的で、了見の狭い考え方である。これからは、経済的価値と社会的価値を両立させる必要がある」と主張しています。「あの、マイケル・ポーターが」とちょっと驚きですが、彼は2000年代に入った頃から「企業の社会的責任」(CSR)について多くの発言を始めています。「社会やコミュニティが抱えている問題に取り組むことを通じて共存共栄を図る」というのがポーターの現在のところの基本的な考えです。そう考えると、ピーター・ドラッカーも戦中に著した初期の名著『産業人の未来』で「産業社会には、基本的な社会目的が欠如しており、それが問題の核心である」(下線筆者)と書いています。これは企業を、利益を出すための組織とする考え方に対する警告です。ポーターもまた、ダボス会議でのパネルディスカッションで「企業はその基本的な<目的>を冒涜してきた」と発言しています。「基本的な<目的>」とは社会的価値を醸成する活動を指しています。

劇場や芸術家は、いま、「試されている」のだと私は考えています。「社会的目的が欠如していることが問題の核心」であることに気づくかどうか、芸術的価値と経済的価値と、さらには社会的価値を並立させる仕組みを私たちが編み出せるか否かを。それは、あくまでも「並立共存」であって、古い考えから敷衍する、芸術的価値を何よりも最優先するという枠組みでは決してないのです。ケインズの言葉にあるように、この考えに対する反発はある程度あるでしょうが、それよりも「頭では分かるが」、しかし古い考えから抜け出せない、という劇場人や芸術家がほとんどでしょう。しかし、可児市文化創造センターalaでは、この考え方に沿った劇場経営が成立し、現在も進化し続けているのです。その経営の仕組みを、私は社会貢献型劇場経営(Theatre Management on Social Contribution)と呼んでいますが、「すべての価値はお客さまのなかに生まれる」という経験価値を軸に据えた経営手法です。20年ほど前から私が主張してきた「創客経営」です。コミュニティ・プログラムによって生成した社会的信頼性(ブランド力)を梃子にして顧客創造をする、という経営方法です。

むろん、それによって社会的な矛盾がおしなべて解決するわけではありません。しかし、よりましな健全な地域や社会に近づくことはできると確信しています。松下幸之助翁の言葉に準えれば「劇場は社会の公器である。社会とともに発展していかなければならない」のです。そのためにも、劇場や文化芸術を「再定義」しなければならない地点に私たちは立っている、という危機意識が、いまこそ必要なのではないでしょうか。私たち劇場人がサービスの対象として視野に入れなければならないのは、一部の芸術愛好者だけではないし、特権的な階級の人間でもありません。劇場と文化芸術は、「普通の人々」のために、「欲求段階説」のマズローが晩年に提唱した六段階目の「コミュニティ発展欲求」に依拠した倫理的・利他的な場として再定義をすべきであり、それこそが『人間の家』なのだと私は考えます。そいう考え方こそが、まさしく「文化の民主化」なのです。

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