劇評

劇団東京ヴォードヴィルショー「その場しのぎの男たち」

執筆者:安住恭子(演劇評論家)

作 三谷幸喜  
演出 山田和也
出演
佐藤B作、佐渡稔、石井愃一、市川勇、たかはし等、あめくみちこ、
山本ふじこ、瀬戸陽一郎、中田浄、まいど豊、京極圭、玉垣光彦、
奈良﨑まどか、村田一晃、山本龍二、角間進、

2014年5月16日(金)19:00開演/17日(土)14:00開演
可児市文化創造センターala 小劇場

劇団東京ヴォードヴィルショー「その場しのぎの男たち」

懐かしい舞台だった。三谷幸喜が、劇団東京ヴォードヴィルショーに書き下ろして話題になった作品。二十年のあいだ再演を繰り返して来た、劇団の代表作の一つだ。以前はドタバタ劇の印象が強かったが、十年前の再演時に脚本の手直しもあったそうで、練り上げられて、喜劇の手本のような舞台になっていた。
明治二十四年に起こった「大津事件」をめぐる物語である。日本に訪問中のロシア皇太子が、滋賀県大津市の路上で、警備中の巡査津田三蔵に刀で斬りつけられた。対処を間違えば、戦争になるかもしれない。この作品は、その危機を回避しようとする明治政府要人達の、舞台裏の騒動だ。時の首相は松方正義(佐渡稔)。就任してたった五日目、しかも伊藤博文(山本龍二)の傀儡政権と揶揄されて発足した政権である。政治家としても危機に面した松方は、このピンチを汚名返上のチャンスにと、懐刀の切れ者陸奥宗光(佐藤B作)と共に、あの手この手を繰り出すが……。

劇団東京ヴォードヴィルショー「その場しのぎの男たち」

この史実に基づいた政治的危機を、喜劇の宝庫に変えたのが三谷の手腕。切羽詰まった人間の振る舞いほどおかしいものはないという、喜劇のセオリーに則った作りだ。その切羽詰まった感を盛り上げるため、まずは政治家達を思いっきりデフォルメした。首相の松方はお人好しで、逓信大臣の後藤(石井愃一)は伊藤の腰巾着。外務大臣青木(まいど豊)と内務大臣西郷(市川勇)もほとんどおバカで、さらに西郷にはものすごく足が臭いというおまけが付く。その頼りないメンバーの中で、一人気を吐くのが農商務大臣の策士陸奥宗光だが、その策こそがその場しのぎの連続なのだ。
それを元老の伊藤博文は、高みから見下ろして面白がっている。その大物伊藤にどうしても及ばない陸奥と松方が、必死で立ち向かう権力闘争の構図と、彼らのキャラの組み合わせで、いくらでもドタバタの笑いが生まれる。青木と西郷がロシア人を喜ばせようとコサックダンスを踊ったり、西郷の足の臭いの大騒ぎなど、ほほえましいギャグもある。
そして、それらのキャラクターを生かすのが、事件による切羽詰まった問題の数々だ。基本は、戦争を回避するという外交問題と、津田の犯行に対する日本の法律に照らした量刑をめぐる司法問題。その二つをしっかり根底に抑えているから、ドタバタが宙に浮かず、迫真の振る舞いの笑いになるのだ。まずはロシア側から首相の謝罪も面会も拒否され、けがの程度も分からない中で、融和の糸口をどう作るかという問題から幕が開く。そして津田の犯意は、皇太子が日本を奪う目的で来たと信じたからで、それがロシア側に伝われば一大事。さらにロシア側は津田の死刑を強硬に要求してくるが、被害者が生きていれば、日本の法律では死刑の適用はできないという問題へとつづく。一つ間違えば、日本は近代国家としての体面を失う。できたてほやほやの国家の正念場なのだ。

 

劇団東京ヴォードヴィルショー「その場しのぎの男たち」

このリアルでシビアな危機。それに対して政治家はいかに対処し、乗り越えていくかだが、それをこの舞台では、先のようなキャラ達が思いっきり右往左往する姿として見せていく。津田の犯意を隠すために、彼を狂人に仕立てようとしたり、しかしそれでは死刑にできないとなると、今度は皇太子を暗殺しようとしたり……。陸奥はその都度、一見なるほどの必殺技を繰り出すが、いずれも必死であるがゆえの珍策奇策。何しろ、江戸時代のなごりの女忍者まで登場するのだからたまらない。そしてそれらが、ことごとく失敗する。「打つ手打つ手がおもしろいようにはずれる」のだ。この混乱とおかしさ。
さらにそこに政治家達の保身と権力欲が絡む。どんなにデフォルメされても、その権力欲にこそリアリティがあった。松方の弱さも、策に走らずにはいられない陸奥の執念も、鼻つまみ者の後藤の底の浅さも、そして彼らをあしらいつつどこまでも生臭い伊藤も、政治家のあり得る姿だろう。そして佐渡は弱さに気品を見せ、佐藤は腹黒さをお茶目に、山本は大物の余裕を、それぞれ達者に演じた。市川、石井、まいどらもふくめ、ドタバタの楽しさをチームワーク良く見せきったのも、この劇団ならではだろう。そして、太って年老いた女忍者の登場が、まだまだ江戸が色濃く残っていた明治二十四年という時代を思わせ、そして右往左往する政治家達の姿が、昨今の目の前のことのようにも見えたのである。

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