劇評

市民参加演劇 『MY TONW 可児の物語』

執筆者: 亀田恵子(Arts&Theatre→Literacy)

作  ソーントン・ワイルダー
構成 柴幸男 (ままごと)
演出 高橋正徳 (文学座)
客演(文学座)  大原康裕、名越志保、鈴木亜希子、高塚慎太郎
出演 市民58名
平成26年3月8日(土)18:30開演、9日(日)14:00開演
可児市文化創造センター・主劇場

市民参加演劇 『MY TONW 可児の物語』

 可児市文化創造センターalaは、2002年に開館。二つの多目的ホールと様々な文化創造空間・練習施設を持つ総合文化施設だ。センターの前に広がる少し窪地になった芝生広場や、天井から床まであるガラス壁は開放的で、自然と人を招き入れるような優しさを感じさせる。設計は香山壽夫氏によるもので、劇場が市民相互の交流の場となるような工夫であふれている。
 2007年に現館長の衛 紀生が就任、劇場がより市民生活の賑わいの場となるような積極的な取り組みが行われている。今回ご紹介する大型市民参加事業『MY TOWN 可児の物語』(演劇)もその1つだ。“演劇”を1つのツールとし、劇場が市民と舞台芸術の世界の橋渡しを担うこの事業は、市民が自分たちの暮らす地域をより好きになることや、さまざまな市民が参加することによる相互交流が目的とされている。子どもたちでもインターネットを当たり前に使いこなす現代社会では、ややもすれば何事も自己完結(人と関わらなくてもいろいろ出来てしまう)しがちで、地域への意識も薄れがちだ。精神的にも肉体的にも、地元を知り、そこに暮らす人同士が顔を合わせて交流することは、人として大切な営みではないだろうか。
 『MY TOWN 可児の物語』は、アメリカの劇作家・小説家であるソーントン・ワイルダー(1897-1975)の原作『わが町』を、構成:柴幸男(ままごと)、演出:高橋正徳(文学座)により再構成した作品だ。原作ではニューハンプシャー州のグローバーズ・コーナーという架空の町が舞台になっているが、本作品では可児市に設定。作品に登場する町の人々も可児市民が役者として登場する。ソートン・ワールダーの「何も特別なことは起こらない日常を描いた作品」という言葉にもある通り、劇中ではごくありふれた日々の生活が描かれていく。だが、この何気ない日常を垣間見るような物語の中に人が体験する喜びや悲しみ、痛みが散りばめられているのが魅力的であり、じんわりとした感動が沸き起こっていく。長く続く平和な現代に暮らす私たちにとっては身近な感覚で接することが出来る作品かも知れない。

市民参加演劇 『MY TONW 可児の物語』

 実はこの事業は、今回が初めてではない。2011年にも柴幸男が構成・演出共に手がけ、同ソーントン・ワイルダーの『わが町』を“地域の物語『わが町可児』”として上演している。事業として同じ原作を用い、異なる演出で上演する取組は珍しいとも思えるが、日ごろそれほど舞台芸術にふれる機会の少ない市民にとっては馴染みが出来て、より物語(=可児の町)を愛するきっかけになるのではないだろうか。柴幸男の演出では、舞台冒頭から舞台上に参加市民を一列に登場させ、物語の中に登場する建物も人のポーズでユーニークに表現するなど“人”に強くフォーカスした群像劇という印象があった。現代口語で話される若者言葉の挿入や、普段着で登場するさまざまな市民の姿は多様性や同時性を感じさせるが、メインとなる役者と群集とが一度に目に飛び込んでくるヴィジュアルは、演劇を観慣れない人にとっては、やや抽象度が高いとも感じた。今回の高橋正徳の演出では家の区画を木の柵でつくって物理的に2つの家庭があることをイメージしやすくし、人物も物語に沿った形で登場させ、想像力を乗せるベースを優しく設定した印象がある。また、この事業では文学座の役者も市民といっしょになって作品に登場させている。市民参加型の舞台作品は、ともすれば作品の質が課題になることも多いが、プロが中に入っていくことで質も向上し、市民もプロも新たな刺激を受けて相互成長することも可能になるように思う。こうした取り組みは今後も、市民参加型事業の課題をクリアにしてくれる優れた試みになるだろう。

市民参加演劇 『MY TONW 可児の物語』

 この作品の魅力はたくさんあると思うのだが、作品の中で描かれる“時間の扱われ方”についてふれてみたいと思う。この物語では、町の過去・現在・未来が描かれていくが、単純な時系列で物語が進行するわけではない。物語は2001年の可児の町…過去からはじまる。すでに過ぎ去った時間を現在に取り出すことは“終わったこと”の再認識でもあり、“終わり”を意識することでもある。また、今は存在しない人たちの物語を現在という時間に重ねてみるとき、そこには“今も昔も変わらない人々の暮らし”がみえてくる。それは同じ地域に住む者どうしにしか感じられない、自分と過去に生きた人たちとの地繋がりな感覚でもあるだろう。また、この物語で描かれる未来にも登場人物たちの“死”が描かれている。これは決して人の生涯が死に囲まれているということを表すものではなく“終わりを踏まえた生”を精一杯生きることのかけがえのなさを示唆しているように感じられる。劇中で描かれる絵美と穣治の成長ぶりがそれを物語る。美しい歌声が眩しい10代のころの絵美、個性を保ちながら変わらぬ優しさを持つおっとりとした青年に成長する穣治・・・そこには人の命に限りがあるからこその瞬間の輝きがあふれており、地域性を超えたすべての人々の暮らしに通底する普遍性が含まれている。
 最後に、今回の可児市文化創造センターalaの取り組みの魅力と可能性についてもふれておこうと思う。取り組みの目的については冒頭にふれた通りだが、参加者に対しては可児市をよく知るための『可児市を巡るバスツアー』、一般市民に向けては『可児市がわかる!小さな学校』(可児市の歴史や文化などをゲストから学ぶ講座)、『アイ・ラブ♥可児 写真展』(可児の好きなところを表現した写真の募集)、『これが僕らのカニシティ☆』(理想の可児市を巨大模型でつくる工作教室)などを開催しており、作品上演だけに終始しない可能性も感じさせる。劇場側からの積極的なアプローチがあってこそ、市民参加型事業は成功もし、発展もしていくのだと思う。作品の素晴らしさだけでなく、あわせて評価されるべきだろう。

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