劇評

ala Collectionシリーズvol.6『秋の螢』

執筆者:安住恭子(演劇評論家)

作  鄭義信
演出 松本祐子
出演 細見大輔、渡辺哲、小林綾子、福本伸一、粟野史浩
平成25年9月28日(土)ー10月6日(日)計8公演
可児市文化創造センター・小劇場

ala Collectionシリーズvol.6『秋の螢』

 かつての名作を再創造する、可児市文化創造センター制作の「アーラ・コレクション・シリーズ」。清水邦夫の『エレジー』や、マキノノゾミの『高き彼物』など、優れた作品に再び光を当て、東京はじめ各地でも巡演するなど、高く評価されるシリーズだ。その六作目に当たる今年は、鄭義信作の『秋の蛍』を取り上げた。十二年ぶりの再演になるそうで、初演と同じ松本祐子の演出。
 古い池の端にある、見捨てられたような貸しボート屋に集まる人々の物語である。経営しているのは、伯父の修平(渡辺哲)と甥のタモツ(細見大輔)。二十一年前に父親に捨てられたタモツを引き取り、親子のように暮らしてきた。そこに失業中のサトシ(福本伸一)と、修平の恋人らしいお腹の大きなマスミ(小林綾子)がやって来て、棲みついてしまう。さらにタモツの前に、死んだ父親の亡霊(粟野史浩)が出没し――。

ala Collectionシリーズvol.6『秋の螢』

 都会の片隅でひっそり暮らしていた二人の前に、突然ちん入者が現れ、巻き起こる波紋を通して、家族とは何かを問う物語である。彼らを易々と受け入れる修平に対し、二人の絆にすがってきたタモツは不信と苛立ちを募らせる。それらの葛藤の中で、それぞれの事情が明らかになっていく。マスミは修平の恋人ではなく、結婚詐欺にあって妊娠していた。サトシは大手証券会社のサラリーマンだったが、会社が倒産し、離婚もした。修平もかつて自分のせいで、生まれるはずだった子供と妻を亡くしていた。タモツだけでなく、みんなが自分の愛する者や、生き甲斐を失ってきたのだ。その彼らが漂着したこの場で、やすらぎ、傷を癒していく。まるで疑似家族のように。
 こうした内容で、非常に分かり易い展開だ。親に捨てられ、男に捨てられ、会社に捨てられ、と不幸のパターンが出そろい、葛藤のあげく大きな事件が起こり、それによって大団円になるという、絵に描いたような運びである。また、タモツだけでなく彼ら全員のささやかな生と希望を、蛍の光に重ねた詩的なイメージもある。「秋の蛍」というタイトルに込められた、寂しさと美しさ。さらに、「絶対にウソをつかないことにしよう。家族だから」という子供の頃のタモツに語った約束と、「ウソも何もひっくるめて分かち合うのが家族だ」という、家族とは何かを語る伯父の言葉もある。だからとても良く分かる。だが、深い興趣にまでは至らなかったように思う。

ala Collectionシリーズvol.6『秋の螢』

 それは、一つは構造が見えすぎたこと、もう一つは、家族についての二つの言葉が端的に示すように、言葉で語られすぎたことがあるのではないか。情報の断片からイメージをふくらませ、それが心に染みこんでくるというよりは、説明的な場面とせりふで、頭で納得してしまうのだ。タモツにだけ見える父親の亡霊も、その一つだろう。彼はタモツの不幸な事情と、孤独を説明し、その屈折を救うために、都合良く創られた存在のように思えた。彼を出さずに描いた方が、決して表社会には出ようとしないタモツという男の心の痛みが、より鋭く立ち上がったのではないか。そしてその彼と、また別の孤独を抱える修平とが寄り添って生きる場だからこそ、傷ついた人達が漂着してくるのだということが、より強くイメージできたように思えてならない。もちろん、彼がコミックリリーフとして、このドラマの笑いの役割を担っていたことは理解する。しかしそれも役割として認識されてしまう。私はむしろ、時には子供を捨ててしまう残酷さを、もっときちんと描いた方が、この作品の厚みになったように思えるのだ。
 しかし別の充足感もあった。出演者達が良かったからだ。自分のことはさておき、下手なダジャレを飛ばしながらみんなを受け入れる、修平の渡辺哲のおおらかな優しさ。それは家族という関係の危うさ脆さを知るからこその姿である。そして一人働く姿に、タモツの隠者のような影と、彼が本来持つ強さをにじませた細見大輔。小林綾子も、場末で飲み屋を切り盛りしてきた女の世慣れたたくましさを、華奢な身体で骨太に見せた。福本伸一と粟野史浩も、軽快にそれぞれの役を演じた。そして彼らの姿は、孤独なんて当たり前!と思わせ、目の前の小さな光を見つめて生きることを、清々しく主張したと思う。

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