劇評

ala Collectionシリーズvol.5「高き彼物」

作/演出:マキノノゾミ
出演:石丸 謙二郎、田中美里、品川徹、金沢映子、酒井高陽、細見大輔、藤村直樹

2012年6月22日(金)~2012年6月30日(土)
会場-小劇場

ala Collectionシリーズvol.5「高き彼物」

 「屑たばこ集め喫へれど志す高き彼物忘らふべしや」。
 ala cllectionシリーズの5作目『高き彼物』は、歌人吉野秀雄のこの歌をテーマにした作品だ。このシリーズは毎回見応えのある作品を作っているが、今回もまた、心にしみるいい舞台だった。鶴屋南北戯曲賞を受賞したマキノノゾミの代表作だが、マキノ自身が演出するのは今回が初めてという。その意味でも貴重な舞台だったといえる。
 人の「生き方」というものを正面から描いた作品である。それも幾度も幾度も失敗を重ねて生きる、私たちの隣人、市井の片隅の人を通して描くのだ。昭和53年夏、静岡県のとある町での話。元高校教師の正義は、父親と娘智子の3人暮らしで、雑貨店を営んでいる。その家に、東京の高校生秀一がやってくる。秀一はその春、町の近くでバイク事故を起こし、同乗の友人を亡くしていた。信州での受験の合宿に行く途中、その事故現場で友人を偲ぶ秀一を、正義は家に預かろうとする。少年にとって、受験よりもその心の傷にきちんと向き合う事が大切だという、教師らしい信念からだ。女性教師の野村は、そのような正義を教師の鑑と尊敬している。受験勉強ばかりを強いる親に反発していた秀一は、彼らのまっすぐな言葉に触れ、正義の家に滞在することにする。
 この始まりは、いわゆる熱血先生ものを思わせるが、そうではない。正義も秀一も重い秘密を抱えている。秀一の場合、事故は自分の無免許運転が引き起こし、その結果、友人を死なせてしまったのだ。しかもそれを隠していた。秀一の煩悶はそこにある。そして正義もまた、自分を許すことのできない煩悶を抱えていた。それは、15年前に、天職と思っていた教師を、突然辞めることになった事情だ。家族にも隠していたそれは、性の問題だった。教師としてあるまじきことをした。それによって生徒を深く傷つけた……。この作品が問うのは、こうした取り返しのつかない失敗を抱えて、どう生きるか、だ。死と性という最もヘビーな問題を提示して、それを問うのだ。
 そして答えは、この作品全体の中にある。正義の教師時代からの口癖、「ディシプリン、ディシプリン」という言葉が何度も出てくる。鍛錬や訓練という意味で、絶えず努力せよということだろう。それが勉学のことだけでなく、人生の応援歌のように聞こえる。「屑たばこを集めて喫う」ような失敗多き人生にあっても、「高き彼物」を求めて、がんばれがんばれ、と。「高き彼物」は与えられる教訓ではない。それを求め続けることこそが大切ということだろう。そしてそれは、大きな問題にぶつかった時、逃げずに正面から立ち向かうことでもある。最後の正義の自分を罰するような告白が、その姿を端的に示した。だからこそ秀一に、自分の問題に立ち向かう勇気を与えるのだ。
 そして性の問題は決して特異なことではないことも、舞台は密かに語る。正義のできの悪い教え子の一人である警官が、智子に横恋慕している愉快なエピソードをはじめ、正義と野村先生の淡い恋、智子の恋愛と、いくつもの恋愛話がある。恋と性とは誰の人生にもついてまわるのだ。死もまた同じだろう。だからこその「ディシプリン、ディシプリン」なのである。そしてそのような言葉を持たない、気のいい警官や、茶畑作りに励む祖父の日々もまた、実は「ディシプリン、ディシプリン」の積み重ねではないのか。市井の片隅でまっすぐ生きることの裏にある、努力と価値。この作品はその美しさを語っていた。舞台正面に広々と広がる茶畑の舞台美術が、そうした庶民の美しさを象徴しているように思えた。最後はやや強引なハッピーエンドにも思えたが、それもまた芝居の醍醐味だろう。
 それにしてもいいキャスティングだった。長年の屈託を抱えながら、生徒の人生に真摯に関わらずにはいられない教師の生き方が身についている正義を、丸ごとの人間として造形した石丸謙二郎。登場人物達をつなぎ物語をふくらませる智子を、生き生きと演じた田中美里の輝き。きまじめな野村先生の人の良さを、コミカルに見せた金沢映子。この3人がつつましく生きる清潔なサークルを作った。そして揺れる高校生秀一の藤村直樹、祖父の品川徹や警官の酒井高陽、智子の恋人の細見大輔もふくめ、全員が適役で、厚みのある人間ドラマになった。静岡弁がそのドラマのいいひと味となっていた。

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