劇評

劇団1980 素劇「あゝ東京行進曲」

執筆者:安住恭子(演劇評論家)

原作:結城亮一
脚本:藤田 傅
演出:関矢幸雄
出演:劇団1980

2006年10月 5日(木)19時開演
会場-小劇場

 劇団1980の「素劇・あゝ東京行進曲」(結城亮一原作、藤田傳脚本、関矢幸雄演出)には意表を衝かれた。歴史やある人物の評伝を、その当時の流行歌などを織り交ぜた歌でつづっていくという音楽劇は、よくある。また、何もない空間で、役者たちの動きとセリフだけでドラマを紡いでいくという舞台も、間々ある。けれどもそうした舞台には、何かしら安易さや薄さを感じたり、いかにも実験的という構えが鼻についたりした。ところが今回の舞台は、<素劇>という言葉から想像した素っ気なさはなく、実にカラフルで豊かだった。

 歌うのにピアノ1台の伴奏もないのはまだしも、その伴奏まで役者たちが「チャカチャンチャン」と声でやってしまう。列車や波の音などの効果音も声だけ。おまけに、ロープといくつかの箱を使って、背景や大道具、小道具を次々と作っていく。もちろんすべて、演じ、歌いながらだ。その役者たちの作業量は驚くべきものだが、それがまるで舞台で遊んでいるように楽しげなのだ。意表を衝かれたのは、この楽しさだった。声と身体が生み出す可能性の大きさに、感嘆の一言だった。

 描かれたのは、日本で初めてのレコード歌手として一世を風靡した、佐藤千夜子の生涯である。山形県天童市で生まれ、母親と共に教会に通ううちに聖歌にひかれ、歌手をめざして14歳で上京する。さまざまな曲折を経て、作曲家の中山晋平や詩人の野口雨情らに認められ、彼らが主張する「新民謡運動」の歌い手としてたちまち人気を集める。その中で日本で初めてのレコード製作に参加し、「波浮の港」や「東京行進曲」などを大ヒットさせて、スター歌手になっていく。しかしオペラ歌手への夢を捨てきれず、イタリアに留学。その路線の変更と戦争という時代の変化の中で、次第に孤立し忘れられていく……といった流れだ。

 舞台は、時々のエピソードを簡潔にスケッチしながら、そんな生涯をスピーディーに見せていくのだが、その運びが<素劇>。白いロープで山々を作り、ぴゅうぴゅうと役者たちが静かに発声すれば、そこには寒々とした山形の風景が現れ、黒い箱を組み合わせた十字架にやせた男優が手を広げればキリスト像になり、箱を並び替えてロープで引けば、列車は千夜子をのせて東京へ。「チャカチャンチャン」の口三味線は、ピアノやバンドの音にもオーケストラの演奏にも聞こえ、決してうまいとはいえない歌も、千夜子や藤原義江、藤山一郎らの歌声として聞こえてくる。

 つまりは私たちの心の中に、想像の世界が創られていくのだ。そしてそれは実に楽しく心地よいことだった。役者たちの無駄のない流れるような動きに驚き、そこからシーンが立ち現れ見えてくることに驚き、そしてそれが、あまりにも<あるべきもの>となっていることに驚いて、観客は笑ってしまう。もちろん、音楽そのものが呼び覚ます楽しさや、散りばめられたギャグの面白さもあった。けれどもそれだけでなく、演劇を見る喜びは想像力を刺激されることだ、ということの発見から生まれた笑いでもあったと思う。

 それにしても、ロープと箱と声と身体さえあれば、いつでもそのような舞台が生まれるとは限らないだろう。この舞台の成功は、音と形の像を結ぶ方向へときちんと組み立てていく、関矢幸雄の周密に計算した演出の結果に他ならない。「何もない空間。一人の人間がこの何もない空間を横切る、もう一人の人間がそれを見つめる――演劇的行為が成り立つためには、これで足りるはずだ」。私は、戦後の世界の演劇をリードしてきた演出家、ピーター・ブルックの、この言葉を思い出していた。この言葉が示す演劇の原型を、演出家と役者たちが緻密に創ったのだ。

 そして、そのような中から、明治、大正、昭和を闘いつつ生きた、1人の女性の肖像も確かに私たちは受け止めた。妾の子という出自をバネに、気の強さと向上心をたぎらせて、歌手へと突き進んだ姿。そしてそこでの成功にも満足せず、オペラ歌手になろうとする屈折。けれども、農村生まれの彼女の声は、オペラよりも新民謡=歌謡曲に向いていたこと、等々。それは、ヨーロッパの影響を受けながら、近代化の道を突き進んだ日本の姿そのものではないか。佐藤千夜子は、近代日本の一つの象徴なのだ。この舞台は、前衛的手法で大衆的世界を繰り広げながら、そのことを物語ったのだと思う。

 

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