劇評

文学座『長崎ぶらぶら節』

執筆者:安住恭子(演劇評論家)

作 :なかにし礼
演出:鵜山仁
出演:赤司まり子、平淑恵、清水馨、太田志津香、北村由里、
岡寛恵、頼経明子、藤﨑あかね、鈴木亜希子、金松彩夏、
石川武、大滝寛、押切英希、大原康裕、吉野正弘、
横山祥二、大場泰正、上川路啓志

2012年3月2日(金)~3月3日(土)[全2回公演]
会場-小劇場

『長崎ぶらぶら節』は、なかにし礼の直木賞受賞作による舞台である。作詞家としてめざましい活動をしながら、小説も手がけ、たちまち受賞した。しかも、歴史に埋もれた二人の人間に光を当てたその作品内容も注目され、映画やテレビドラマ、舞台にもなってきた。今回の文学座作品は、なかにしが自ら戯曲を書いたオリジナルの舞台だ。
 埋もれた二人とは、長崎学の民間学者として大きな事績を残した古賀十二郎と、彼の長崎の民謡発掘に協力した丸山遊郭の芸者愛八である。舞台は、その古賀との関わりを中心に、愛八の女の一生ものとして進む。愛八の臨終の場に始まり、彼女のナレーションでその生涯を振り返る作りだ。
 長崎の漁村に生まれ、10歳のときに丸山遊郭に売られてきた。芸と気っぷの良さで丸山遊郭を代表する芸者の一人になりながら、貧しい子供を援助せずにはいられない気性の持ち主だった。相撲を愛し、自分もお座敷で土俵入りを見せた。そのような中で、財産を蕩尽して学問に打ち込む古賀に出会い、彼の希望で、民謡発掘の旅を二人で続ける。ついに「長崎ぶらぶら節」を発掘し、レコード化するまでにいたる。そして、その契約料もふくめたお金の総てを、子供のころから目をかけてきた妹分の芸者の病気を治すためにつぎ込み、自分は貧困の内に亡くなる――。
 このように波乱に満ちながら、みごとに自分の意志を貫いた女の一生である。古賀を慕いながら恋として実ることはなかった。その悲哀もありながら、二人は似たもの同士の相寄る魂として描かれる。古賀の民間学者としての苦
節は、貧しい漁村に生まれ、遊郭の芸者として町の芸者にも蔑まれる愛八の屈折と重なるからだ。そして二人は誇りを持って自分の仕事に打ち込み、そのための貧しさもいとわなかった。
 そしてなかにしは、そのような二人の人生を描きながら、「歌」というものの力や、それに対する自分の思いも随所に込めた。それがこのドラマに一種の詩情を与えたように思う。例えば、長崎の歌探しの旅を始めようとする古賀の、「歌は言葉と音楽という二つの翼にのって空を翔ぶ」という言葉。また追い求め続けたぶらぶら節を、ついに九二歳の老芸者から聴いた時も、「歌は精霊のごたるもんたい」と言う。人々の心に入り、潤す歌は、ひとたび消えても永遠に空中に漂い、再び口から心へと伝えられるということだろう。さらに、隠れキリシタンの里に行った時には、そこでの歌は苦難の歴史を後世に残すものとして語られる。これらはすべて古賀の信念だが、そのような仕事にともに携わったことで、愛八の幸せから遠い人生にも光が与えられたのだ。
 ただ、さまざまなエピソードを時間軸に添って描いていくため、映像作品のように場数の多い舞台になった。廻り舞台の手法でうまく処理してはいたが、やや散漫になったようにも思う。エピソードを追うのに忙しく、表面をなぞりがちになるからだ。それでも一場一場を充実させたのは、やはり文学座の役者の底力だろう。男優陣も女優陣も当たり前に着物を着こなし、明治から昭和の初めにかけての日本の男と女のたたずまいがある。芸者衆を演じる女優陣は、三味線を弾き歌い踊ってお座敷の華やぎを見せる。独特の長崎弁も使いこなし、濃厚な雰囲気をつくった。
 その中で平淑恵が、女丈夫の強さと大らかな人柄の愛八を、愛嬌たっぷりに演じた。古賀との歌探しの旅の喜びと緊張、思慕をつのらせながらかなわぬ切なさなどを、コミカルさも交えてきびきび演じていく。それを大滝寛の古賀が、どっしりと受け止めた。大店の旦那らしく遊びも知りつくした学者を、その屈折もふくめて骨太に見せた。そして酸いも甘いも飲み込んだ料亭の女将役の赤司まり子、洗練された町芸者の岡寛恵らが、個性的に脇を固めた。
 印象的だったのは、やはりぶらぶら節に初めて出会うシーンだ。老芸者(北村由里)が、三味線をつま弾きながら枯れた細い声で歌う。それを食い入るように愛八と古賀が聴き、記録する。そして愛八が、しっかりと三味線を弾き、はつらつと歌う。それはまさに、歌の精霊が、再び生きる瞬間だった。

このページの上部へ