連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第八十二回  アーラでの貴重な体験を糧に

可児市文化創造センターala 事務局長 山口和己


劇場関係者の方々であればよくご存じのことと思いますが、かつて例年名古屋市にて開催されていた『世界劇場会議国際フォーラム』が可児市のアーラで開催されるようになって5年の月日が経ちました。今年も、2月7日、8日の2日間で、『世界劇場会議国際フォーラム2019㏌可児』が開催されました。私の着任以降、続けて4年間追及してきた「劇場は社会に何ができるか、社会は劇場に何を求めているか」というテーマで劇場関係者の皆さんをはじめ、いろいろな職域の方々が集まって、講演を聴き、事例発表に耳を傾け、議論を交わし、情報を交換してきました。2年目からはサブタイトルが設けられ、その変遷は、2年目が「日本版社会的処方箋は可能か?」、3年目が「鑑賞者開発と資金調達環境の改善を両立させる劇場経営」、そして、今回が「文化芸術による社会的処方箋の扉をたたく」でした。

私にとって、今回のフォーラムで非常に印象に残った場面があります。それは、初日に基調講演をされた社会活動家の湯浅誠氏が、2日目の総括セッションで素朴な疑問というか、提案のような形で発せられた言葉から始まりました。 それは、社会包摂に目が向いていない芸術関係者を「芸術至上主義の人達」と捉えるべきか、「芸術聖域主義の人達」と捉えるべきか。すなわち、何を第一に考え、何を第二に考えるか、あるいは、芸術を極める手を休めて社会包摂に目を向けるのか一切別物と考えるか、などで「至上」と「聖域」とでは、まったくニュアンスが違う。これまで様々に表されてきたかもしれない芸術界における社会課題への無関心者を「芸術聖域主義の人達」というように表現したらどうか、といったものでした。

確かに私もこれまで、衛館長が「社会包摂」を訴えられる際に、それに反対の立場をとる人が具体的に誰で、無関心な人が実際に誰、というようなこともわからずに、ただ漠然と自身の芸術的技術だけは磨き、名声を高めるためだけに芸術に没頭していればいい、あるいは、その関係者が携わる中で、国や地方公共団体、企業から資金が提供されることは当然と考えているような人たちのことかなあ、くらいに感じていました。 文化芸術の分野と社会包摂(課題)を別物と考えると、芸術を極めようとする人は、常に自身のスキルを磨くことのみに熱心になり、社会的課題に関わっていこうという人は、文化芸術においては大成しないということになるのでしょうか。

このことに対して、英国芸術文化組織コンサルティング会社インディゴ社業務執行役員のセーラ・ジーさんは、イギリス社会では芸術を目指す人たちは、すでに前提として刷り込まれており、つまり、誰もが自然に社会包摂的義務のようなものを負って芸術家として成長していくような発言をされたかと思います。社会の根本にある風土というか、風俗というか、スタートの部分で日本とイギリスでは文化・芸術に抱くイメージが違うようです。それでは、わが国ではこれから先、どのようなプロセスを辿るべきなのか考える必要があります。 そのヒントとして、セーラ・ジーさんに続いて、衛館長がわかりやすく説明を加えられました。それは、文化芸術という柱と社会包摂という柱の2本の柱を中心にして、螺旋を描きながら上に向かって登っていく、といったイメージです。 そして、次のようなエピソードを紹介されました。

アーラの自主事業の中に『アーラ未来の演奏家プロジェクト』という、すでに活躍をしている若き演奏家2人が初めてこのアーラで出会って、5日間ほど滞在をし、地域の人たちと様々な交流プログラムを通じて音楽を作り上げていくという企画があります。具体的には、リハーサルの公開、ゲリラ的に行うロビー・コンサート、小学校へのお出かけ授業、地元学生への個人レッスンなど、濃密な技術研鑽を行い、最後は集大成のコンサートを行います。 今年度も6月にフルート奏者の渡久地圭さんとピアニストの大橋春奈さんを招いて行いました。大橋さんは東京芸術大学のピアノ専攻で修士課程を修了した後フランスに渡り、パリ地方音楽院に学び、その間にもヨーロッパ各地で演奏活動を行い、音楽院は最高位で卒業、国際コンクールでも多数受賞経験を持ち、9年間のパリ生活を経て一昨年帰国、可児市へは初めての訪問でした。

この大橋さんが、最後のコンサートで、「自分は小さい頃からピアノを習い、親元を離れて東京やパリで本当にピアノ漬けの生活を続けてきたものの、また、コンクールでの受賞もしてきたけれど、自分のピアノは世の中のためになっているだろうか、誰かのためになっているだろうか、と常に自問していた。それが、この可児での、アーラでの活動で答えを見つけました。特に小学校への出張授業にあっては、子供たちが目を輝かせながら曲を聴いてくれたり、興味深くピアノの周りに集まり、下に潜ったり手の動きを凝視したり、子供たちが心の底から感動してくれている雰囲気が伝わってきて、間違いなく自分は、今、この子たちの役に立っているんだ。という実感を味わうことができました。」と、大粒の涙をボロボロ流しながら5日間を振り返って、お礼の気持ちを述べた、というエピソードです。 実は、この場には私自身もおりましたので、少し詳しく描写をさせていただきました。

文化芸術と一言で言ってもあらゆる分野があり、それぞれに成り立ち方や歴史、特性があって、社会的課題に対してアプローチしやすいものとそうでないものがあることは否定できないと思います。 音楽の世界は、演劇等と比較して、どちらかというとアプローチは困難かもしれません。しかし、大橋さんのように自分のピアノが、自分の存在が人の役に立てた。と実感した時、大橋さんは周りに影響を与えただけでなく、自分自身も一つ上のステップに上がれたのではないかと私は思います。 このことを思うと、セーラ・ジーさんの言われた文化芸術の根本に刷り込まれているというイギリス事情も理解できますし、館長が表現された「二本の柱を螺旋的に上へ」といったイメージも理解できるのではないでしょうか。

今回の『世界劇場会議国際フォーラム』では、湯浅誠氏という社会活動家の目から、劇場や文化芸術を見て、つまり、市民の生活や一般社会の視点に立った、言うなれば素朴な目に映る劇場や文化芸術が炙り出されたことから、同一テーマのもと過去に行った3回のフォーラムが繋がり、目指すところの『社会的処方箋』に近づけたような気がします。 全く文化芸術に疎くて、事務局長着任時には、自信もなければ不安ばかりの自分が、衛館長の諭すような「社会包摂」談義で、少し自信とやる気を持てたといったことを最初のVS原稿に書きました。それ以来、このアーラで一流の芸術、文化におけるすばらしいパフォーマンスを体験できましたし、「まち元気プロジェクト」等では、社会包摂の意義を目の当たりにして胸を熱くするなど、どっぷりとアーラのファンになった私がここにいます。

ところで、私事で恐縮ですが、3月31日をもって定年退職となり、このアーラを去ります。 4年間の在職中には、前記したように、それ以前の30余年の市役所内での行政事務中心の仕事とは明らかに異なった貴重な体験や感動を得ることができました。 今こそ言えますが、私が着任した頃、館長は、『市役所の職員は、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」のことばを言えない』と公言しておられました。私は逆に「館長こそあの風貌とあの低い声でちゃんと言えているのか」とちょっぴり反抗心を持ったものです。確かに市役所内では、なかなか挨拶としてこの言葉は発しないところですが、私は何の抵抗もなく4年間この言葉を以てお客様をお迎えし、お見送りをしてきました。館長は誰を想定してこの発言をしていたのか、歴代の事務局長?市からの派遣職員?それとも公務員に対する漠然としたイメージだったのでしょうか。 一方、館長は、というと、しっかりと声を出し、強面の顔はなかなか崩せませんが、しっかりと実践しておられ、いつも私たちと一緒にお客様をお出迎えし、お見送りをしておられます。そういえば、ここ1~2年、当初の発言は聞かなくなりました。

時折、立場上館長の“虎の尾”を踏んで大きな声を張りあげられ、こちらもついつい大きな声になってしまうこともありました。 館長の体調の具合を聞きながら一喜一憂しながらも、私が着任する前にあったような酷い体調不良は影を潜め、館長が精力的に仕事をこなしてこられたことに心から安堵するとともに、常に館長には敬意と感謝を表しているところです。 私としては、退職後も何らかの形で社会のためにお役に立てれば幸いと思っていますし、社会に関わっていなければ自分の生きる価値も見出せないとも思っております。このアーラでの貴重な経験や長い公務員生活を活かしながら第2の人生をスタートさせたいと思っております。 4年間、本当にありがとうございました。



 

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