連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第四十回 事務局長のひとりごと(7)~“念のため”の合議は最小限に~

可児市文化創造センターala 事務局長 桜井孝治

「西国三十三箇所巡り」というのがあります。和歌山・大阪・奈良・京都・兵庫・滋賀・岐阜にまたがる33箇所に、番外扱いの3つを加えた計36箇所を対象とした観音信仰の霊場を札所とする巡礼で、日本で最も歴史がありたくさんの参拝者が訪れています。この際には納経帳や掛け軸を持って回る巡礼者も多く、いわば“大人のスタンプラリー”です。
3年前の正月休みに「今年はどんな年にするのやら」と考えた時、この巡礼を始めてみようかと思い立ちました。目標を立てる際「毎日○○をしよう!」とすると三日坊主になりがちですが、ゴールに向かってコツコツ積み重ねていく方が自分には向いているようです。野球で例えると、打率よりは打点といったところでしょうか。

「三十三」という数字は、「観世音菩薩普門品」(法華経)に説かれる、観音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために同じ数の霊場の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し極楽往生できるとされています。
和歌山県の紀伊半島の南端、那智勝浦町にある那智の滝を臨む「青岸渡寺(せいがんとじ)」を一番札所として、最後の三十三番札所は岐阜の谷汲山です。この巡礼は寺の所在地からみると京都・奈良が多く、関西中心の設定になっているので、一番初めの南紀と最後の岐阜に圏域を大きく外れたポイントを設定し、ハードルを高くしてあると解しますが、私が居住する岐阜からすると、一番最後が全てのお寺の中で一番近いものとなっています。日帰り3時間コースといったところでしょうか。皆さんが良く知っている所では“清水の舞台”で有名な「清水寺」も十六番札所として含まれています。

中世初めにおいては三十三箇所すべてを訪れる巡礼が主に修行者によって行われていたとはいえ、観音信仰の性格からして一般人にも普及していたと考えられますが、結縁・結願することを頼りに徒歩だけで霊場を巡る旅をすることは当時としては極めて困難なことであったでしょう。
現在ではバス会社や旅行代理店によって多くの巡礼ツアーが組まれており、その利用者も多くなっています。内容は1回のツアーで数箇所を一気に回るスケジュールになっており、全部を半年くらいで終わらせてしまうものです。私はそれには少しというか、かなり抵抗感があります。何かご利益が分散してしまいそうで。後で振り返ると、どれがどれだったかお寺の印象が交差して判らなくなってしまいます。巡礼については効率や利便性を優先させるものではないでしょう。
人生の残り時間は誰にも分かりませんが、今の自分にはそれほど焦る必要はないかなと考えています。現在9箇所の巡礼が済みました。この1年に3~4つのペース配分で進めていくと、全部で10年位かかるでしょう。この先徐々に体力が落ちていくことを考えると、所在地の遠い所や山門から本堂までの高低差がある難所とされる所を先に進めていこうとしています。納経帳が全て記載された時、いったいどんな心境になるのだろうか今から楽しみです。達成感はもちろんあるでしょうが、これまで行ってきた悪行をこれで懺悔できたと感じているのか・・。まあこんな邪念を持っているようでは、まだまだかもしれません。

さて、組織の意思決定を行う場合は、原則として関係者が集い、意見交換を経て合意形成を行っていきます。例えば会社の業務執行の決定などを行う取締役会は役員の会議によらなければならず、持ち回り決議は例外的に許されるのみです。しかし会議を開催するということは手間・ヒマ・費用がかかるため、日常的な業務に関する定型的な判断や簡易な決裁は、事前に決裁権者を定めて一任することが多くなっています。判り易いところでは取り扱う金額によって区分を定める等、事務決裁規程の類を定めて重要度合いに応じた役職により事務を進めています。
また、組織において形成された意思の内容およびその形成過程は、文書の形で記録に残すことが望ましいのは言うまでもありません。これは目に見える形での情報の共有化のみならず、後で見直したり第三者から見た監査や調査をしたりすることを容易にするためでもあります。会議によって組織の意思を固めた場合には、決定された事項について会議録または要旨を記録した文書が作成され保存されます。

これに対して、文書によって意思を決定していく場合には、まず担当者が定めようとする内容を示した文書を作成、場合によっては作成の背景や意図を補足します。この文書を回覧して、承認した者はサイン・押印を記します。決裁権者は関係者が記載内容を承認していることを確認し、組織としての最終的な判断を下すという手順です。
このために作られる文書は、官公庁では「伺書」や「起案書」ということが多くなっています。一般企業では「稟議書」とか「立案書」などと呼ばれていると聞きます。ちなみに稟議書を私は「りんぎしょ」と読んでいますが、これは慣用読みで「ひんぎしょ」が正しい読み方のようです。
現実には最終的な決裁権者にすべての判断が求められると、個々の案件についての考慮・審査が充分にされないおそれがあります。事前に決定内容に関係する者が承認していれば、その後の業務執行が円滑に行われます。そこで、決裁権者が確定する前により慎重に幅広く考慮・審査する仕組みが「伺書」類の本来の目的です。

決裁後の業務の流れをスムーズにし、かつ責任の明確化を図るために作成する「伺書」ですが、一度印鑑を押すとその書類に書かれた内容について了承済とみなされます。時には直接のラインでなく“合議”という形で少しでも関連する部署を関与させる場合があります。「参考までに回覧しておきます、念のため合議をお願いします。」となる訳です。責任の回避とまではいかないでしょうが、転化という側面がこの辺りから少なからず発生してきます。前述のとおり押印した時点で“承認”です。合議の本来の趣旨から少し外れていますが、「そんな話、私は聞いていない」と言われるのを避ける意味合いもあります。「ここを見て下さい。ちゃんとあなたの押印があるじゃないですか!確認したのではないのですか?」という使われ方をすることがあるのも確かです。

合議が本当に必要な場合は数が限られています。可児市の例でいきますと、複数の課の事務を一つの課が取りまとめて行う場合(例:情報公開請求に係る対象文書が複数課である場合)や、意思決定に他課の権限が含まれる場合(例:全庁的なネットワークシステム構築の場合)等となります。単なる情報の共有、内容の点検や報告のために他部課に合議を回付する必要はありません。実はここが難しいところです。伺書にたくさんの印鑑が押してあるとついつい安心してしまいますが、組織としての素早い決断をするためには“念のため”の合議は最小限に留めなければなりません。もちろん決裁前には担当者レベルでの調整を行い、決裁後はその内容を関連する部署に情報提供や依頼という形で通知することは必要ですが、合議を取ったから安心という姿勢ではなく、起案担当部署が責任を持って事務を遂行すべきです。

また事務を滞らせないためには、決裁権者が不在時に事前に定めた次席者が代わって決裁をする「代決」制度も活用します。その際は本来の決裁権者に「実はこんな理由で急ぎましたので、代決にさせていただきました」と説明に行く「後閲」のフォローがセットとなります。
この「後閲」にはもう1つの解釈があって、決裁権者までの経由者(部長決裁の場合の課長、課長決裁の場合の係長など)が不在時で、急を要するような場合に、先に上位者に決裁を受け、後で経由者に押印願うことを「後閲」と扱うこともあります。
可児市事務決裁規程では前者を「後閲」としています。フォローの件については「予め決裁権者から報告又は後閲を要しない旨の指示を受けた場合はこの限りでない」とし、素早い行動を後押ししています。

なお、最終的には同じ顔ぶれの押印した文書が残ることとなりますが、「報告書」や研修・出張の「復命書」の類は上位者から回覧し、「伺書」「企画書」の類は担当者に近い人から加筆・修正を加えてより完成形に近づけたものを上位者に確認してもらいます。このトップダウンとボトムアップについては、混同されやすいので、今一度文書の目的や性質の確認が必要です。
「回覧」や「周知」を目的とした文書については、とにかくその場にいる人から、事務所内のネットワーク環境が整備されている職場ならLAN等も活用して迅速さを最優先します。また合議とは若干違いますが、膨大な原稿の校正時に多くの目で確認したいような場合もあるでしょう。この場合は取りまとめを担う人を決めた後に、一斉に配付し集約するのが効率的です。順番に見ていくのも合議を取るにも適しません。時には相反する意見も出ますので、上位者のオーバーコールが確定しないよう、最終的に取捨選択の判断の出来る人を軸にして進めます。
財団で取り扱う文書の種類を見ると多岐にわたっていますが、どの文書にも共通することは起案者だけが判るのではなく、誰が見ても判り易い文書の作成を積み重ねるとともに、組織としての素早い決断を行っていくことです。

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