連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第二十三回 市の組織機構における文化の位置付け

可児市文化創造センターala 事務局長 桜井孝治

可児市ではこの4月から組織機構を見直しました。その規模は近年では例のない大幅なものとなっています。これからの持続的な発展を支えるために、類似・重複した事務事業を洗い出して整理統合する一方、重点事業を推進できるよう限られた職員を効率的に配置する組織を目指すものですが、これだけ変わると職員ですら詳細を把握することができません。職員がこんな状態ですから、一時的とはいうものの市民の方には戸惑いを感じさせています。 全国の市町村を見渡すと、行政組織には本当に様々な形態があり、言いかえるとこれがベストという確定型がないので、各自治体は試行錯誤しながら、また市町村の方針や国・県等の上位機関との関係を考慮して決めている場合が多いようです。状況が変われば毎年微修正していきます。本市の見直しの概要としましては、戦略的な企業誘致や地域経済の活性化を進めるため従来の企画部と経済部を統合して「企画経済部」とし、市民活動や市民生活に密接に関わる分野を集約した「市民部」を新設しました。教育委員会は義務教育の小・中学校に特化することとし、それに付随する給食センターやPTA活動等の学校支援の事務、教育委員会に置くことになっている文化財の事務のみを残すこととしました。従来教育委員会で所管していた幼稚園に関する事務は保育園を担当する福祉部門に統合することとなります。幼保一元化については上位機関の省庁の関係もあり、担当者の今後の苦労が予測されますが、市民に解りやすい組織であることを優先し、今回子育て支援や就学前の子どもに関する業務の集約化を図っていきます。

教育に関することをもう少し付け加えると、従来教育委員会にあった文化振興とかスポーツ振興に関する事務や、青少年育成に関する事務が市長部局の市民部へ移ることとなりました。図書館や地域にある公民館も同様です。公民館の建物内には住民票の交付や市の簡易な窓口業務を行う連絡所(出張所)が併設されており、そこで働く職員は従来は市長部局の職員として住民票を発行し、教育委員会事務局職員として公民館の企画運営を行っていたことになりますが、公民館が市民活動の場として多くの利用があることから市長部局へ移ったことにより、今後は名実ともに一体的に対応できる体制を整えました。文化創造センター・アーラの管轄も教育委員会から市長へと変わりました。管理運営に関する基本協定や年度協定も、従来教育委員会と締結していたものを、市と締結し直します。しかし、予算科目は"教育費"を相変わらず使うというねじれ現象は残ってしまいました。決算処理や過去からの統計を考慮するとやむを得ない部分はあると考えますが、いずれにしても職員にとってやり易い組織とするのか、市民にとって解りやすい組織にするのか、そのどちらを優先するのかという選択により後者に落ち着いたものと受け取っています。

ここで改めて考えてみると、そもそも文化センターの類はなぜその多くが教育委員会に属しているのでしょうか。時代の流れをみると、文化は長い間社会教育・生涯学習として取り扱われ、各種講座の開催やグループ育成の活動拠点として、まずは"中央公民館"の役割を果たす施設として位置付けられたからではないかと考えます。地方都市の多くは、各地域に公民館と呼ばれる共有施設があり、趣味を同じくする同好会等のサークルが日頃そこで活動している。普段はそれで充分なのだが、年に1回くらいは大きな会場で発表したいよネ、という声が聞こえてくる。市内あちこちで同様の声が首長に寄せられ、生涯学習施策を全市レベルで行う施設として中央公民館が必要とされるようになってきました。その後中央公民館は"生涯学習センター"や"文化センター"へと名称や形態を変えていったものと私は捉えています。昭和54年に生涯学習都市宣言を行い"生涯学習によるまちづくり"を推進した静岡県掛川市は時代の先駆者でした。以前一度庁舎を訪れたことがありますが、ガラス張りの開放的なもので、木を多く使用し、段々畑をモチーフにしたような構造であり、建築マニアの私にとっては印象深い建物でした。その後"福祉によるまちづくり"や"環境によるまちづくり"を自治体運営の柱に据えるところが続きますが、掛川市ほどのインパクトやオピニオンリーダーとしての役割はなかったように感じます。話が逸れましたが、アーラの建設にあたっても「文化施設と生涯学習施設の融合した施設」「文化活動のための中核施設」として位置付けられ、教育施設としてスタートしています。

可児市の場合、昭和57年の市制施行以来まずは地域に密着した地区公民館の整備を優先して進めてきました。ほとんどの公民館に行政の支所である連絡所を併設し、バレーボールコートが1~2面とれる体育館もしくは2~300人が収容できる冷暖房完備のホールを備えて市民の文化・スポーツ活動の振興に寄与してきました。人口が多い地域では「これが地区公民館?」とビックリされる程の規模を持つものもあります。その数は市内14館あり、市全体の利用者の総人数は年間54万人を超えており、こちらも市民のいきいきとした各種活動を地元に根付いたものとするよう支援しています。

開館10周年を迎えたアーラの活動内容はどうでしょうか。確かに生涯学習に関連する発表会や鑑賞事業の利用も多いですが、その実状はまちづくり・福祉・多文化共生など、狭義の"教育"の枠にとらわれない活動が活発に行われています。 優れた文化芸術を鑑賞するのみでなく、市民文化の創造の場として、また市民の交流や生きがい創出の拠点として成果を積み重ねてきましたので、今回の組織機構改革はアーラにとってみれば、先行していた活動内容にやっと組織機構での位置付けが追いついた現状追認といったところでしょうか。今回の組織の見直しにより、アーラでの事業を通した市民参加を前提とした独自の施策展開が今まで以上に長期的な視野で行える環境が整いました。なおアーラを建設する際には、財源の調達という点や、世代間で公平に負担するという観点、すなわち後年度に施設を利用する市民の方にも負担いただくということからお金を借りて建設したわけですが、その資金は「地域総合整備事業債」いわゆる"まちづくり債"として借りています。この制度は返済費用の90~75%が交付税措置されることから自治体が競うように利用した借入れ枠ですが、今振り返るとこの時点から教育施設としてはもちろん、まちづくり施設としての側面を持っていたことになります。

最後に最近行われた行事を1つ紹介します。これはアーラの玄関前から繋がるレンガに手書きのフレーズを入れたものを埋め込む「手作りレンガ事業」で、アーラの運営に協力いただいているNPO法人alaクルーズを中心に財団も共催して行うもので、開館から通算4回目の実施となります。今回はアーラ開館10周年、市制施行30周年記念として、222人の市民の方に参画いただきました。6月初旬の日曜日に市内工業団地内にある製造工場に集まっていただき、焼く前の柔らかい粘土状態のものに、ヘラや棒で絵や文字を削っていきます。子どもさんと一緒に参加される方も多く、なかには手形や足形を縁取る方もいて作業場はワイワイガヤガヤ楽しそうでした。市長や財団理事長もお忙しいなか時間を作ってかけつけていただきました。当日出来上がった原版はこの後焼きの工程に入り、7月にはアーラの敷地内に埋め込みます。仕上がりをお楽しみに!

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