連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第二十二回 市制施行30周年、アーラ開館10周年に想う

可児市文化創造センターala 事務局長 桜井孝治

アーラがある可児は、昭和30年に2町5村が合併して可児町となり、昭和57年4月には全国650番目の市として市制を施行し30年が経過しました。県庁所在地の岐阜市及び愛知県名古屋市から共に約30㎞の距離にあり、昭和40年代後半からこれらのベッドタウンとして急激に人口が増加した街です。住宅団地への転入者は30~40歳代の世帯主とその家族が、よりよい居住環境を求めて一戸建て住宅を購入する例が多いので、それに伴い、小・中学校の児童・生徒も同じく急増することになりました。急増する子どもに学校の収容能力が追い付かず、市制施行後にも小学校1校、中学校2校が建設されています。それでも教室が足りずにプレハブ教室で学校生活を送った児童生徒もいます。人口6万1千人でスタートした市の人口は現在10万1千人を超え、世帯数は約3万9千世帯となっています。外国籍住民が総人口の5.6%を占めており、多文化共生事業を推進しているのも本市の特徴の1つです。

30年前の市制施行当時、総人口に占める65歳以上の方の割合は7.0%、人口14人に1人という大変若い街としてスタートしましたが、全国的な高齢化の傾向は本市でも例外ではなく、アーラが開館した平成14年にはその割合は13.3%で人口の8人に1人、その後10年経った今では20.5%、ついに人口の5人に1人という域まで達しました。これは従来から可児に住んでいる人が多い地区ばかりの傾向ではなく、住宅団地の開発に伴って転入された"新"住民の地区においても高齢化が進んでいることを示しています。人口ピラミッドを見ると、その山がラクダのこぶのように親世代・子世代で2つのピークがあるので、親世代の山が65歳にさしかかると一気に数字が跳ね上がるという構図です。地区別にみると35%、3人に1人を超すところも出てきました。アーラを拠点として文化芸術の振興を進める一方で、高齢化が着実に進行しています。(韻を踏んでしまいました)

なお余談ですが、人口統計の数値を算出する際、15歳と65歳がひとつの区切りとなっていることをご存じでしたか?これは「生産年齢人口」として過去からずっと生産活動の中心となる対象を15歳以上65歳未満として取り扱っていることに大きく起因していると思われますが、現実には15歳というのは中学を卒業した年齢であり、高校進学率が95%を超え、大学進学率が50%を超えている実情から考えると、もう5歳位遅くして20歳にすることが適当と思われます。高齢者の仲間入りの年齢も同様で、定年退職後に自分の時間がやっと持てるようになり、いきいきと活動している方々をアーラはもとより地域でも拝見すると、こちらも65歳ではなく少なくとも5歳ずらして70歳にすることが現状にあっていると感じます。

可児市はこれまでは主に名古屋圏のベッドタウンとして、着実に人口が増え、堅実な都市運営をしてきました。堅実といえば聞こえがいいですが、裏返せば面白味の無い街となるかもしれません。市外へ研修に出向いた時などは「可児市ってどんな街」と聞かれることがありますが、これといった地場産業はありませんので返答に困ることがあります。しかしこれまで私は市の特徴がないことは決して悪いことではないと思っていました。人間でもそうですが、全ての人が他人を押しのけ"俺が俺が・・"と前へ出ようとする人ばかりでは世の中うまくいくはずはありません。大多数の人は波乱万丈な人生を送ることはありません。毎日同じ経路を通って職場へ通勤したり、経営しているお店のシャッターを時間になると開け閉めしたりという日が続きます。そして稼いだお金を生活費としてきちんと家に納め、夕げの晩酌が唯一の楽しみという生活。他人から見ると面白味はないかもしれませんがこれは人生として尊重される生き方です。市の基幹産業というものが無くても財政基盤が安定している市、市民の皆さんがさまざまな業種や職種に就いているので、他の市と比べると不況に強い市、市民にとってこんな頼もしいことはないと考えています。この考え方は、ベクトルが外へ向いているアーラとは現時点で合っていません。

このような人口急増・年齢構成の変化の中、アーラは市制施行20周年記念の目玉として平成14年7月に建設されました。市制施行前の昭和55年から建設基金を積み立て始め、その間市民の合意形成や建物のコンセプトを固めながら建設事務を進めてきました。記録に残っている公式な市民参加による会議はゆうに100回を超えています。基金設置から約20年後の平成12年2月に建設工事に着手、今となっては何の違和感もないアーラ東側にある美濃加茂市と多治見市を結ぶ国道バイパスも開館に合わせて急ピッチで整備され、市中心部の風景が一変しました。街のランドマークとしての役割を担うこととなりました。道案内をする際、市内の方には"アーラの交差点を~"で十分通じます。その後10年が経過することとなるわけですが、市制20周年の時に建設したアーラが市制施行30周年時に開館10周年となるのはある意味必然的なことではあります。

今年度に入ってから各種事業が記念事業として実施されています。アーラにおいて実施される市制施行記念の受託・共催事業として行うものの1つとして、大型市民ミュージカル「君といた夏~スタンドバイミー可児~」の再演があります。5月の大型連休最終日に記念式典を小劇場で行った後、主劇場に舞台を移して行いました。これは総勢100人近くの市民出演者とプロのスタッフ、財団との協働により制作したもので、前回の公演で好評を得ただけに、一番の心配は"質の維持"でした。前回は先入観のない多くの市民の方に「良かった」という感想をいただいたわけですが、それは「事前に思っていたより」とか「私達と同じ立場の市民がやっていることを考えると」という前置きが付くからで、結果として出演者達は自分たちでそのハードルを上げることとなりました。今回は客席に座っている人の多くが前評判を知った上で、それを期待して見に来ることになります。前回と同じレベルの演技では、観客に満足を与えられません。

再演当日に向けて約1ケ月位前から自主練習により各自感覚を呼びもどし、4月末から本格的な通し稽古を何度も繰り返し行いましたが、素人目から見ても所々で集中力の欠如が感じられました。前日のリハーサルでは一番重要なエピローグでシンボルツリーに架かっているはずの帽子が、事前に落ちてしまうというハプニングも起きました。そんな状況のなかでしたが、敢えて前回とは演出を変える手法も用いて、当日の公演時に全員の集中力や一体感をピークに持っていくよう焦点を合わせた演出の先生方の指導力は見事でした。
今回も大きな拍手の中で公演が終了し、出演者や裏方の皆さんの達成感、客席に座っている方の満足された様子をこの目で確認しました。誰もがいい顔をしています。公演後の交流会では、脚本担当の方から"その後のストーリー"を参加した方だけにこっそり教えていただきました。燃え尽き症候群になっていると思いきや、先を見据えている人も多く頼もしい限りです。

この先のアーラの役割を考えると「開館10周年はまだまだ通過点」と強がってはみるものの、ひとつの節目であることは間違えありません。これまで運営に携わっていただいた方に敬意を表するとともに、これからは自分たちで道を拓いていくという自覚を感じた連休明けです。

このページの上部へ