連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第二十一回 よろしくお願いします

可児市文化創造センターala 事務局長 桜井孝治

本年4月の定期人事異動により(公財)可児市文化芸術振興財団の事務局長として就任しました桜井と申します。3月までは市教育委員会の職員としてアーラの指定管理者を財団にお願いする立場でしたが、今回逆に指定される立場に変わりました。開催事業の多くは土・日曜日や祝日に集中し、平日でいえば夕方以降に動きが生じるという、市役所とは正反対のシステムに体内リズムが軽く抵抗しています。アーラの立ち上げから建設・運営に携わった前任者(通算12年とお聞きしていますが)からこのコーナーを引き継ぐこととなりました。専門分野を深く掘り下げる館長のようにはいかないので、広く(ここが難しい)浅くとなりますがよろしくお願いします。今回は初回ということもありますので、簡単な自己紹介と前職について、そしてアーラの第一印象についてお話したいと思います。

今を遡ること30年くらい前のことになりますが、私は学校で教育学・教育心理学を専攻しました。細かなことは忘れてしまいましたが、内容としては「同じ遺伝子を持った双子で生まれても、その後の環境によってどの様にでも人格は形成される。小説の題材になりそうな話だが、1人は犯罪者、もう1人はそれを捕まえる側になることもある。よって人を育てる教育の役割が重要である。」といったことだったと記憶しています。今でも知らず知らずに人間ウォッチングをしている自分がいます。将来の職業選択を考えた時期には、生涯にわたってやりがいのある仕事は、学習意欲のある方のお手伝い・後押しであるとの判断で司書資格を取ったものの、資格を発揮できる機会はなく現在に至っています。20代の頃は年間100本の映画を観ることを自分のノルマと課していました。最近では映画館へ出向くことはなくなってしまいましたが、それでもDVDは年間60~100本見ます。備忘録としてメモしたものは1,000本を超えました。音楽の趣向は1980年代のアメリカンロックで止まったままで、進歩・成長がありません。オーリアンズやレイナードスキナード、ドゥービーブラザーズは懐メロではなく現役のままです。最近ではレッドガーランドやトミーフラガナンが耳に心地よくなってきました。今は木下航志のステージを誘致することを密かに企んでいます。

前職については、市役所におけるアーラの窓口として議会対応や教育委員会対応を行ってきました。それと共に文化財も守備範囲でした。たいそう昔のことですが、桃山時代には市内久々利地区の大萱・大平で瀬戸黒、黄瀬戸、志野、織部など日本を代表する茶陶の名品が数多く生み出されています。また、この地域は織豊時代からの郷土三英傑の権力や人間関係の移り変わりの点でも、大変重要なポイントを占める地域のひとつとなっています。PRついでで恐縮ですが、可児市は平成17年に旧兼山町と飛び地合併をしましたが、そこに位置する県指定史跡の「金山城址」は山高170mほどの大変興味深い城跡です。破城後の後世の改変が少なく、自然地形を利用した山城の築城構造や戦国織豊期の土木工事技術をうかがい知ることができます。今年は国指定史跡に向けての申請事務が大詰めの段階で、その結果を直接見届けられないことが残念ですが、遠方からアーラを訪れる際にはぜひこちらにもお出かけいただきたいものです。また、市内にはバラに特化した「花フェスタ記念公園」があります。ばらの最盛期に合わせて予定を組まれるのもよいでしょう。

前任の事務局長との引継ぎの際には、市役所からアーラ勤務にあたって、まず第一に"発想の転換"をするよう求められました。現在アーラで働いている職員の立場は大きく分けて5つの立場から構成されています。その他受付だったり警備や清掃で携わる方もおり、同じ施設内にいてもその勤務背景がバラバラです。その人達に一様に市役所のやり方を押しつけても通用しないということです。本年度から新たに事務所で働く2人は乾いたスポンジのように、これからどんどん吸収して成長していくことでしょう。この2人はそれぞれ秋田と東京から強い意志を持って可児に来てくれています。楽しみです。私自身はこれまで26年間の事務職としての習性がかえって妨げとなり、新人以上にたちの悪い存在になっている感も否めませんが、外部からの新鮮(?)な視点で時には職員に耳の痛い小言を言うのも自分の役割かなと捉えています。

アーラにはこれまでも1市民としてまた1職員として何度か訪れていましたが、あらためて自分の職場として感じることは、この施設は本当にすっきりしているなあと感じることです。かといって人の気配がないわけではありません。イベントや行事が無くても館内では本を読む人、友達と一緒に勉強をしている人、静かに音楽を聴いている人、パソコンに向かっている人・・それぞれが干渉し合うことなく、適度な距離を保ちながら同じ時を共有しています。屋外の芝生広場を見ても、立て看板の類は一切ありません。すっきりとした光景です。これが、行政による直営だとこうはいかないでしょう。「犬の散歩はしないで下さい」「ゴルフの練習をしないで下さい」「裸足で水の中に入らないで下さい」・・・看板だらけになってしまいます。想定されることに対して先手をうっていく。ここにこうして書いてあるので、やっては駄目ですという行政の発想です。条例・規則の不備を指摘されることは作成者の能力不足を指摘されることであり、重要な会議の際には両手に抱えきれないほどの資料を持って臨みます。ありそうもない想定質問にまで前日遅くまでかかって答えを準備します。行政の悲しい性です。

館内の行事から感じたことを1つ。4月初めの日曜日、小劇場で子どものピアノ発表会が行われていました。ステージでは可愛い衣装を身にまとった子どもたちが順に1曲ずつ演奏していました。客席ではその姿を記録する保護者の方々、ホワイエでは贈られた花を持って記念撮影をするご家族もあり、ほのぼのとした雰囲気が漂っていました。きっとその日の夕食時には家族の会話も弾んだことでしょう。演奏した子どもさんにとっては、アーラの舞台で演奏したことは一生の思い出になるでしょうし、この子たちはもっと成長してからはアーラの良きリピーターになってくれると信じています。一度舞台上で拍手を受けた子どもたちは、アーラへ来ることに対するハードルが極端に低いと考えるからです。また、この演奏会の映像や写真を大きくなってから見た時に、自分が弾いたピアノがスタインウェイだったことに気付いてくれるはずです。

義務教育や上下水道などでは全ての市民に同じサービスを提供することが行政の役割です。また環境や福祉の分野では目の前に困っている人がいます。その人達に対してはすぐに対応しなければなりません。それに比べて文化芸術はどうでしょうか。比較すること自体無意味との意見があるかもしれません。総論では市民の方がいきいきと活動することに対して何も異論はないでしょう。しかし市の財政事情が悪化し、既存の事業が全部できずに何かをカットしなければならなくなった時、市の施策として何を優先していくのか。決して文化芸術の分野は聖域ではありません。このような状況の中でアーラは結果を出し続けなければならない宿命を背負っています。そのために自分がやるべきことは何か、自分らしさをどう出していくか。

以上就任2週間目の雑感です。これから自分の考え方がどう変わっていくのか・・楽しみです。

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