連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第十九回 アーラの財産

可児市文化創造センターala 事務局長 篭橋義朗

今年度のアーラの大型市民参加事業は「君といた夏~スタンドバイミー可児~」です。出演者、スタッフ、サポーターすべての人が感動の涙を流して3月10日、11日の公演が終わりました。永遠の青春作「スタンドバイミー」をモチーフに昭和49年のあの頃のわが町を舞台に誰もが経験したキラキラ輝いていた少年時代を描いています。そして「いつだって僕らは永遠の友達さ」という言葉で終わります。6か月に及ぶ長丁場の稽古と2日間の本番が一瞬にして終わりました。舞台芸術のはかなさを感じます。しかし感動した人の心には強く刻まれたことと思います。今回は例年に増して好評であり、アーラとしてもひとつの到達点に来たのだと感じました。

市民ミュージカルを評価するのに、概して「参加することに意義がある。」「アマチュアなんだからすべて大目に見る。」などという意見があります。私たちはそうは思っていません。私たち主催者側が質の高さを追求する姿勢が大事なのです。今回も作家、作曲家、演出家等に第一線で活躍しているアーティストを配して、時間と労力をかけました。その結果としてほとんどの観客から称賛をうけ、感動の涙を流してもらうことになりました。

これで一昨年の「オーケストラで踊ろう!」、昨年の「わが町可児」、そして今年の「君といた夏~スタンドバイミー可児」として3本のオリジナル作品を持つことができました。これは私としては非常にうれしく、また誇らしく思います。おそらく可児市民もそのように感じているはずです。ハコモノに魂が入ったということです。ルーチンワークとして東京で制作された音楽や演劇作品を各種の営業資料で選択をし、公演を丸ごと買い取るという仕事は職員のモチベーションの維持も難しく、際限なく追われるように仕事をし、過ぎ去ってゆくだけです。市民としても一時的な興味を満足させるだけです。

「私たちは興行師ではない。」自明です。興行師とは「興行、イベント」を主催し、利益を得ることを生業とする人たちのことを言いますが、最近の私たち公立文化施設を取り巻く環境は大変厳しく、利益を得られない劇場運営は退場するしかないような風が吹いています。「興行師になりなさい。」と言われているようです。一方では旧態依然と採算は度外視でテレビ的有名人を呼び、一夜限りの賑わいを得るために高額な予算を支出している劇場も見受けられます。「大勢の観客が入ればいいんだ。」と。しかし今、東京で企画制作した作品、コンサートを購入して"自主"公演しても、その劇場・ホールの維持管理費、人件費等を合わせれば到底ペイできるものではありません。そういう中で市民の税金で運営している公立劇場はどういうモチベーション、夢を持つべきかという本質的な問いを考えさせられてしまいます。専門家の中には固定したカンパニーを持ってレパートリーを持つということが先進的であるとの論を持っている方がいます。しかし、少なくとも日本の地域劇場ではこれは予算的にも人材的にも論外で非現実的な夢物語です。地域劇場の"あるべき姿"として論じないでもらいたいと思います。

アーラではこの3作品をローリングしながら毎年公演します。またアーラコレクションシリーズでの演劇制作、そして森山威男JAZZNIGHTも毎年開催します。このように全国各地で行われる大小の祭りと同じように毎年新しい発想を取り入れて開催していくことが文化を創造していくことだと思います。しかもその担い手(市民)は成長とともに次の担い手に変わっていく。このサイクルを繰り返して市民の多くがアーラに関わり、共通の思い出を紡いでゆく。私にとっては、今回の市民ミュージカル「君といた夏 スタンドバイミー可児」で出演した市民、演出家をはじめとした指導者、スタッフ、サポーターのみんなで築いた強い絆はアーラを通して地域の劇場をどう運営するべきか、という疑問に対して長年右往左往した果ての解答の糸口となったような気がします。アーラの財産となりました。

文化財や名所旧跡に公費を使うことには国民のコンセンサスがあります。何故か、を考えるとそれらには国や地域としての誇り、愛着心や先人から受け継がれてきた心があるからでしょう。裏返していえば今の地域での舞台芸術にはそれだけのものがないということです。そこのところを今の私たちが着目して何を行うかを考えなければ収支の論争からは抜けられないと思います。

祭りは繰り返し、進化してこそ"祭り"となるのだと思います。時間がかかるのです。

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