連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第十四回 市民参加について考えると

可児市文化創造センターala 事務局長 篭橋義朗

可児市文化創造センターは、その建設において市民参加を取り入れ、運営においても市民参加を促進させたいと努力しています。その手法が先進的であるということで全国各地からの視察も多くあります。その説明時や質問を受けている時にいつも違和感を覚えます。私がアーラのボランティアや市民参加について説明しているいることは「可児市にはNPO法人アーラクルーズという団体があり、私たち財団はその団体と対等な関係です。パートナーです。運営にもアドバイスはあっても介入するとかお手伝いをすることはありません。お互いが自立しています。したがってアーラの事業立案にも参加はしません。唯一組織的につながっていることは当財団の理事に役員が就任し、最終的な決定に参加してもらっています。」ということです。そういうと他人行儀な関係のように映りますが実際はそうではなく公演でのチケットもぎりや客席への案内などのフロントスタッフ業務は一手に引き受けてもらいますし、財団のイルミネーション事業にもあかりアート講座を自主的に開催してもらい花を添えてもらいます。アーラの敷地にある遊歩道のレンガをデザインして製作してもらいます。まだまだ他にもたくさんの事業をされておりますが指揮命令系統はアーラクルーズの中で完結します。そのうえで我々財団とは日常的に非常に良好な関係が築かれています。

私たちが考える市民参加を要約するとアーラ建設時の目的である「可児市民の文化芸術振興」について、財団ができることは市民全体の文化芸術振興と専門性を受け持つということであり、市民参加でできることは草の根的に市民の発想で活動するというものです。干渉し合わないで同じ目的に向かって進むということです。それぞれの市民の自己実現が直接に市民サービスの向上につながるものが「市民参加」であるべきと思っています。
一方では純粋に「お手伝いをしたい。応援したい。」という参加方法もあります。事例として、アーラ自主製作演劇(アーラコレクションシリーズ)の制作サポーターとして一カ月以上の稽古についていただき楽屋まわりのケータリングや小道具の製作、チケット販売などをしていただきます。また、映画祭実行委員会を組織し作品の選定やチケット販売のお手伝いをしていただきます。この場合の指揮命令系統は財団にあります。

そのような中で各地の劇場運営を見てみると劇場・ホールの事業決定や予算編成にまで主体的に参加している団体が多く見られます。私はそれはちょっと違うんじゃないか、と思っています。社会教育的にいえば「要求課題」には対応できるが(それも疑わしいが)「必要課題」はないがしろにされる場合が多くなってしまうと思います。公共団体の文化芸術施策の推進の中核である劇場・ホールの運営ということを考えれば全市民に対して大変大きな責任と義務が付きまとってきます。そこのところはボランティアの仕事ではありません。

市民に発信する劇場・ホールの「姿勢」、「色」といったのもで最も分かりやすいものが自主事業のプログラムです。一定の予算の中で経営と可児市の文化振興を両立させなければならず、その事業選択は長い時間を要します。その結果、アーラの現時点での事業の大枠は「舞台芸術作品の自主制作」「アウトリーチやワークショップの集合体であるアーラまち元気プロジェクト」の2分野となっています。集客を目的とした「一夜限りの公演」購入事業の連続ではありません。プログラム選択の過程において市民参加を取り入れ、市民の意見を聞くという理屈は一見民主的であると錯覚しますが、実はごく一部の市民の"好み"に左右されるというデメリットの方が大きいと思います。やはり広く深い見識の上に立った目と定点観測的に市民の意見を聞く耳を持った劇場・ホール側の人間・組織が決定していくということが大事だと思います。その結果を市民が評価すべきなのではないでしょうか。
ちなみに平成22年にニッセイ基礎研に委託したアーラの調査研究で今後の事業展開の質問の中でワークショップ等の市民とつながる事業や障がい者・高齢者・小中学生などへの事業展開は「ぜひやってほしい」「まあやってほしい」という回答が約75%であったり、平成18年に行った制作評価のための基礎調査でも福祉的なニーズを市民が求めていることがうかがわれます。アーラもその方向で「アーラまち元気プロジェクト」として事業展開をしていますが、私が聞く市民要望は鑑賞事業のラインナップと貸し館における意見、要望がほとんどです。アーラは可児市民全体の財産です。したがって意識調査における市民の多くの声を尊重した公共劇場の運営も忘れてはならないと思います。

やはり衛館長の「一部の芸術愛好家のためではない劇場」という方針が正解であることが証明されています。冒頭に「市民参加において違和感がある。」と書きましたが、一部の関係団体の代表を集めただけの会議であったり、数回の会議だけで市民参加を標榜することに違和感があるのです。特に建設時の市民参加は既成事実としてではなく市民の合意形成においてもっと長期間に広く市民に呼び掛けて行ってたいと思うのです。ただこのことは非常に重要なものであり不可欠な手続きであると思いますが、そういう場面で出てくる意見が市民を代表した意見であると錯覚しないことも大事です(同じように専門家の意見もですが)。違和感がある、というのはそこのところで、施主である自治体が責任を持って運営していかなければならないのにあまりにも尊重しすぎて本来の目的からずれていくことがあると、反省をしながら思うところです。

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