連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第八十三回 「生き方」の穂を継ぐ ― アーラを日本の劇場経営のスタンダードに。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生


72年も走り続けてくると、何処かしらに錆が出たり、ガタがくるものである。東京に出張する時にたまに会うカミサンからは「無理なスケジュールを組みすぎる」と小言をもらうことしばしばである。私は根っからの回遊魚のような性格で、鮪のように動き回っていないとボンヤリしてしまう貧乏性なのである。こればかりは生来のものであり、体調が少しばかり崩れたとしても変えようがないのだから、仕方ない。ただ、90年代初頭から考え続けて、可児市でようやく形となって国の政策に影響を与えた劇場の在り方だけは誰かに承継してもらいたい。できれば、アーラの職員や今年3年目となった「あーとま塾」の全国からの受講者たちが巷間言われている「可児モデル」をさらに進化させて、国民市民の「WELL-BEING」(ウエルビーイング 幸福と健康)を担保する劇場の未来を具現化してほしいと切に願うのである。劇場を円滑に経営するだけでは物足らない。日本の劇場を再定義するための「政策提案」を実際の劇場経営に即してしてほしいのである。

95年の阪神淡路大震災の折に「神戸シアターワークス」を組成して、急性ストレス障害を抱え込んでしまった子どもたちの「心のケア」と、仮設住宅での「コミュニティ形成」を使命として96年から4年間活動したが、その時に深く考えさせられたのは、大震災という災害が焙りだしたのは、穏やかな清流の水底に深く沈殿していた「つながりの貧困」と蒼く佇んでいる「孤立している人々」だった。夥しい数の孤独死、格差による生活環境の復興の度合いの違い、子どもたちの居場所のなさ、あの時に感じたのは、「たまたま震災で露わになったが、この生きづらい状況は日本中、何処にでも現れる人々の窮状だろう」との思いだった。私たちの日常では「見えにくい」、「聴きとりづらい」には違いないが、それを見て、聴きとらなければ、本当の意味での利他的な生き方は出来ないという強い決意のようなものだった。私が講演等で良く引用する金子みすゞの『星とたんぽぽ』の「昼のお星はめにみえぬ 見えぬけれども あるんだよ」はその時に出会った私の導きの杖のような言葉でした。私がアーツマネジメント(劇場経営)に関わる人間のファンダメンタルな要件として「晴れた空に星を見出す眼」と「助けてと細く呟く声を聴きとれる耳」を、何よりも第一の「資格」としたのは、阪神淡路大震災の際に神戸というまちで目撃した「生きづらさ」を抱える人々から受けた衝撃によるものだった。

96年5月に書いた「神戸シアターワークス」結成のご挨拶文は、近日アーラのウェブサイトにアップされる「館長エッセイ」の冒頭に引用した文章を見てほしい。先日、「神戸をほんまの文化都市にする会」での講演で、その原稿を読んだのだが、四半世紀経っているが何も変わっていないばかりか「人々の生きる環境」はむしろ悪化し、劣化しているとさえ思った。

私たちは、「人間が人間を支え、人間が人間を守る」ことこそが私たちの望んでいる《まち》である事を実感しました。どんな建物よりも、どんな道路よりも、何があっても壊れないのが「人間と人間の絆」であることを、そして多くの人々が、子どもたちが、いま其れを求めていることを、私たちは知っています。《まち》とは人と人の絆の集積であることを、いま私たちは確信をもって言えます。それは「生きる権利」の最初の一歩だと、私たちは考えています。しかし、それを求めることが、こんなに困難な社会だったとは……、とも私たちは知らされました。

上記は「挨拶文」からの抜粋だが、「つながりの貧困」という一点だけでも当時私が感じていた地点よりも平成の時代を経てさらに劣化していると私は思っている。「格差とつながり」が当時よりも露わになっているのだ。少しだけ注意をすれば、それらによる「生きづらさ」に気付けるほどになっている。

2011年に『文化芸術振興のための第三次基本方針』で「文化芸術の社会包摂機能」という文言が初出して、公的資金の投入は「戦略的投資」と捉えることが明確になったわけで、そうである以上は健全な社会形成に文化芸術の機能を有効に活用することが求められていると考えるべきである。ただ、この場合留意しなければならないのは、公的資金が投入されているという限定である。税金の投入されていない民間芸術団体や劇場ホールはその限りではないのは言うまでもない。しかし、公立の文化施設は税金で設置し、後年度の運営も公的資金で賄われているのだから、「設置自体も戦略的投資」であり、社会の変化というアウトカムが投資対効果として行政及び地域住民から求められているのだ。

そのようなスキームにある施設経営が、単なる音楽通や演劇通、あるいは文化フリークスに出来るものでないことは明々白々である。公立の劇場音楽堂等が、単なる趣味と娯楽と嗜好の配給所でないことが国の施策として求められているのだから、「音楽通や演劇通、あるいは文化フリークス」は必要条件ではあるものの、決して十分条件ではないのだ。90年代はじめに文化庁主催で「文化行政初級講座」を東京芸術劇場でやったことがある。若いプロパー職員から行政からの現職派遣、同じく退職派遣の館長クラスまで、年齢の幅は広い、多士済々という感じの受講者だったが、現職派遣と退職派遣の職員は一様に「文化は初めてでまったくの素人です」と言っていた。それに対して私は、「あなたたちは文化機関に配属されるのは初めてかも知れないが、いままで自治体という社会包摂機関で何年間、あるいは数十年働いてきたのだから、十分に有資格者です」と答えた。「役所の人間に文化は分かるはずない」と巷間盛んに言われていた時代でしたから、彼らはこれまた一様に鳩が豆鉄砲をくらったような表情を浮かべていた。長崎の「のこのこ劇団」での学習障害児たちの取り組みや富良野老健のプロジェクトを事例に出して、音楽や演劇の「半可通」ならば、それが却って邪魔になって、劇場が本来地域の人々に果たすべき役割を阻害してしまう、と話した。受講者は皆「目から鱗でした」と言い残して帰って行った。

私は「劇場にはそこの館長の人間性が表れる」と講演などで言っている。それは館長の文化的趣味や芸術的嗜好が表れるという表面的なことではなく、その人間の「生き方」が館内の空気になるのである。「~しないでください」や「~禁止」の貼り紙の多いところほど閑散としているのは当然で、そのような貼り紙を自分の家の中に貼る者などいないだろう。市民はそんな禁止事項の貼り紙が多い劇場を、居心地の良い「自分の家」とは決して思わない。それが何を意味するかは言わずもがな、である。「会ったことのない誰かのために」こそ、私たちの仕事はあるのです。そのような利他的な生き方が劇場の空気を創るのです。それだけに可児市文化創造センターalaの承継には、漠然とですが20年弱程度のデザインの輪郭は描けています。アーラのような社会包摂型劇場経営の施設は、まさに「生き方の穂を継ぐ」ように承継されるべきとずっと長いこと考えてきた。むろん経営的な才覚と知見の最低限は必要であるし、カリスマ性は必要ないが求心的な人望に欠けるようでは欠格である。そして、承継が順調に進んで、何年後か或いは10数年後の未来に、私が可児で蒔いた一粒の種が、あるいは長崎の「のこのこ劇団」との出会いで私に植え付けられたDNAが、芽を吹き引き継がれて、日本の劇場経営のスタンダードになれば良いなと夢想するのである。



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