連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第八十回 「社会的処方箋」をスタートアップさせるために。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生


「生きづらさ」、「生きにくさ」を感じている市民の心に飛び込んで、「つながりの貧困」を文化芸術の持つ社会的機能を援用して「安心できる他者」との出会いの中で克服しようとする「社会包摂型劇場経営」の日本で唯一と評価される劇場となって、次のフェーズに踏み込む時が来ているという現況認識を持っている。冨田市長から「可児は社会包摂のま ち」、あるいは「アーラは可児のまちづくりの大事な軸」との評価をいただけるようになって、しかし現況に安住していては駄目であるとの思いを強くしている。次のフェーズは、4年前からその情報を得て、日本ではもう少し定義を広範なものにしたいと思っている「社会的処方箋」をスタートアップさせたいのだ。

「社会的処方箋」(Social Prescription)活動は、英国の国民保健医療センター(National Health Service NHS)の公的医療扶助の慢性的な赤字を抑制化するために英国芸術評議会と協働する予防医学的な芸術活動で、ガーディアン紙に掲載された芸術評議会議長の記事では医療に投下される費用の50分の1程度で予防効果があるとされている。これにならって、日本では予防医療に限定せずに、予防社会福祉政策・教育政策にまで対象をブローアップして、日本における社会課題を包括的にケアする「日本版社会的処方箋活動」を、私は4年前にその情報にアクセスした直後から考え続けている。貧困が健康に大きな影響を与えて寿命を有意に短くするという社会疫学の知見によれば、予防社会福祉政策・教育政策はともに保健政策にインパクトをもたらして、公助による医療費の削減という国家的な喫緊の課題に直結するプロジェクトとして構想されるだろう。

たとえば一例として、日本劇団協議会の理事としてスタートアップさせた社会包摂プログラムでは、高齢化社会に対応した認知症患者への「演劇情動療法」の減薬効果による医療費の公的支出の抑制である。東北大学医学部の藤井昌彦先生によって開発されて、何回かの学会で報告されている「演劇情動療法」によって有意に症状が改善している、この非薬物療法は、昨年度までの2年間は社会的インパクト投資調査のみでこのプロジェクトを追っていたのだが、今年度は藤井先生とも協議して、減薬効果の具体的数値を出すという社会的投資還元率(SROI)に踏み込んでいる。サンプリングした患者さんのレセプトを過去にさかのぼってチェックして実証的な減薬による医療費の削減額を算出するという膨大な労力の掛る作業になるが、保険対象になっていない高額な向精神薬の大量投与で、しかも症状が必ずしも改善しないという現状に一石を投じるアウトカムが出ればと思っている。それによって、介護をしていた家族への負担が軽減化され、それによって働きに出ることが出来たという「変化」を含めてのSROI値を出したいと考えている。

また、教育に関してだが、7年前に全国ニュースになった中学校での陰湿ないじめ事件があり、可児市が全国の自治体で初めて「いじめ防止条例」を制定して、その後に期せずしてアーラが市内小学生を対象にして、体奏家の新井英夫さんと金沢の黒田百合さんを代表とする「Ten seeds」によるコミュニケーション・ワークショップを通年で実施している。一昨年のことだが、「そういえば中学校が落ち着いてきた」という印象が篭橋教育長との立ち話に出て、それを発端としてSROI調査を掛けたところ2.31という数値が出た。これはこの事業に仮に100万円の予算を投資したとすると231万円のコスト削減になったということを意味する。あわせて、県立東濃高校でのワークショップも7年前から行っているが、当初は毎年40人アベレージで中途退学者が出ており、問題行動・遅刻も6000を超えていたのだが3分の1に激減した。このプロジェクトの昨年度のSROI値は16.7で、県教育委員会でも驚く数値が出ている。中長期的には、およそ30人の中途退学者を減らしたことで、彼らが地元に就職するとして地元自治体への租税収入が12億2880万円、社会保障費負担金は8億5440万円増加することになる。日本財団による「子供の貧困損失レポートによれば、0歳児から15歳までの損失を推計すると、15兆9000億円にも上るとされているから、地元自治体の免れる歳入損失が推計20億8320億円という数値に妥当性があると考えられる。

アーラの事業だけでも、プロジェクトによる「変化」を数値化して、そのSROIの数値を裏付ける実証的・学際的なロジックを導き出して政策エビデンスを付与するのは大変な労力と時間と予算の掛ることであり、「社会的処方箋」には少なくとも複数の自治体と幾館の劇場音楽堂等の参加とネットワーキングが前提となるであろう。しかし、その困難な作業を前提としても、生きやすい社会を形成するためには、何としてでも実現しなければと思うのである。



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