連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三十六回 指定管理者制度による二極化が進む公立劇場ホールの現状。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「市場における自由な競争に基づくいかなる結果も正当化できる」というのが小泉改革の目指した、そして現在の安部政権にも貫かれている新自由主義的な市場原理主義的競争原理であり、社会原理である。2003年9月の地方自治法の改正による指定管理者制度の導入の根底にもこの新自由主義の競争原理が流れている。もちろん、指定管理者制度の導入を全否定するつもりはない。導入以前の管理委託方式の劇場運営に較べて、緊張感のある経営感覚が求められて、緩みのない職場環境が担保されたという利点はある。

しかし、導入して10年経って、様々な歪みが露呈して来ているのも、また事実である。新自由主義の原理に基づけば、現在の公立劇場ホールのあり様は、どのような現況であっても正当化できるとなるのだろうが、指定管理料の多寡で何の疑いもなく選定が行われ、サービスの質の確保が見過ごされている現況には到底首肯することはできない。行政の不見識と、議会の議決を経る以上は議会の定見のなさを疑ってしまう事例は枚挙にいとまがない。指定管理料の多寡で選定されない事例をあげる方が容易である。その結果として、「ハコモノ」に堕してしまう事例が多く散見される。この事態を見過ごすわけにはいかない。自治体の見識のなさと議会の不定見が多くの県民市民になんら利益をもたらさない「ハコモノ」を、今更ながら指定管理者制度を使って拡大再生産しているのだ。無駄な公共投資の実例を現出させているのだ。何が税金の無駄遣いといって、後年度負担を含めると、これほどの無駄遣いはない。自治体と議会の行財政改革の近視眼的な対処には呆れるばかりである。

行財政改革の名を借りた指定管理料の多寡による選定に対して、「単なる価格競争ではない」旨の通知を、総務省は自治行政局長名で2010年12月に出している。次の通りである。「指定管理者制度は、公共サービスの水準の確保という要請を果たす最も適切なサービスの提供者を、議会の議決を経て指定するものであり、単なる価格競争による入札とは異なるものであること」と首長と議会議長宛てた通知がそれである。年が明けて1月5日の記者会見では、当時の片山善博総務大臣が「指定管理者制度をめぐる誤解とか、理解不足」を指摘して、「指定管理者制度が導入されてから今日までの自治体のこの制度の利用の状況を見てみますと、コストカットのツールとして使ってきた嫌いがあります。(中略)指定管理者制度というのは、一番のねらいは、行政サービスの質の向上にあるはずなのです。俗にお役所仕事とかですね、そういうものから脱却をして、民間の創意工夫とか、それから経験とか、そういうものを導入することによって、ともすれば画一的で、規則などに縛られて、利用者本位ではないと批判されてきた公の施設の利活用について、新風を吹き込みたいと。行政サービスの質を向上したい、住民の皆さんの満足度を高めたいということなのです」と述べており、指定管理者によって生み出されている「官製ワーキングプア」にまで言及している。

この「官製ワーキングプア」については、前々回の館長エッセイで「『時限爆弾』を抱え込んでいる公立劇場・ホール― 非正規雇用率の高い職場からは優れた劇場音楽堂は生まれない」ですでに述べているが、先の自治行政局長の通知にも「指定管理者が労働法令を遵守することは当然であり、指定管理者の選定にあたっても、指定管理者において労働法令の遵守や雇用・労働条件への適切な配慮がなされるよう、留意すること」と、労働環境の劣化を危惧して述べられている。私の知るホール職員の例で怒りさえ覚えたのは、週4日勤務で、その内3日間は1日8時間の通常勤務で、残りの1日は4時間という変則勤務と聞いた時だ。これは社会保険の雇用者負担をなくすために「週28時間勤務」にしているのである。この事例は直営館であったが、行政が脱法の抜け道を設けて、週30時間以上の労働に課せられている社会保険料の支払い義務から寸止めで免れているのである。驚くべき「行財政改革」である。正義に悖る「行財政改革」である。

閑話休題。指定管理者導入の際ばかりでなく、小泉改革時に繰り返し言われたことに「民間活力の導入」という言葉があった。民間のノウハウを導入すれば、官の不効率が是正されるという意味である。本当にそうだろうか。「誰がやっても同じ」という労働の平準化が可能な労働現場が日本の労働現場のスタンダードとなり、現在では、どのような職種でも代替可能な労働者によって回されるようになっている。日本の全労働人口5531万人のうち非正規雇用者は1811万人(2011年・総務省労働力調査)。劇場ホールの職員の多くは、この「1811万人」の側にいる。ひるがえって、劇場ホールの現場は、従事する年数によって集積する技術力と住民との関係資産がサービスの質を大きく左右する種類のものであることは言うまでもない。本質的には非正規雇用と劇場ホールの職質は、まったくもってミスマッチなのである。

指定管理料を低廉化するためには、どうしても人件費と施設管理の業務委託費の極限までの大幅な削減が必須となる。ただでさえ競争優位に運ぶために大鉈を振るって低廉化しているのに、絞っても水一滴出ない雑巾状態になっている。当然の帰結であるが、公募によって民間が指定管理者を取るケースでは、館長以下、すべての職員が非正規雇用となる場合が非常に多い。労働環境の劣化という以前に、経験集積の必要な職場に非正規雇用は到底馴染まないのである。そのような雇用形態で無理矢理に捻り出した収益が指定管理者内部に発生する。内部留保である。そもそも民間営利法人なのだから利益を内部に生まなければならないのは当然である。その利益は本社機能のある大都市に集められることになる。その経済的利得は、本来、地域社会の健全化ために、運営や事業を通して地域に投資されるべき原資(税金)であるはずだ。そもそもは劇場ホールの外部である地域社会に成果を生む原資であるべき公的資金が、内部留保として本社の収益部門に計上されるのである。おかしくないか。

それであっても、劇場ホールによる行政サービスの質が担保されるのなら良しとしよう。だが、民間が指定管理者となってサービスのクォリティが向上した事例は、ごく一部の例外を除いては、皆無である。ごく一部とは、鎌倉芸術館やシンフォニア岩国の指定管理者となっているサントリー・パブリシティ・サービス(SPS)のホール運営である。しかし、そのSPSでさえ、伊藤せい子パブリックビジネス事業部長によれば「無理な予算計画が多い。行政にやる気がないと民間が参入しようもない」と語っている。自治体の無いものねだりで、無理な仕様書をでっちあげて、廉価なら指定してやるという態度が目立つのである。いきおい、良心的な民間業者は手を出しかねて二の足を踏むようになり、極限まで人件費と管理費を削れるビルメンテナンス業者が「考えられない価格」で、行政が手に余った施設を拾いまくることになる。

首長の失政の結果なのだが、当該市民の名誉のために名を伏すことをお許しいただきたいが、ある施設が公募になったとたん民間がそれ以前のおよそ半額の2億600万円で指定管理者となり、次の公募で別の民間業者が1億2800万円で運営しているケースがある。2億600万円の時に2億が一般管理費で、600万が事業費、と「館長」が明確に答えていたのだが、それが総額で1億2800万となると、施設管理はどうなっているのか、人員の雇用環境はどのようになっているのか、安全は確保できているのか、想像を絶する経営になっているに違いないと思わざるを得ない。それでも、幾ばくかの内部留保は発生させているのである。やはり、おかしいとは思わないだろうか。

指定管理者制度の導入から10年、公立劇場ホールの現況は、明らかに大きく二極化してきていると言わざるを得ない。あるいは「二極化」というよりも、雇用形態や事業運営の方式で、さらに細分化されて「多極化・複雑系化」してきたと言えるのかもしれない。公立の劇場ホールは、究極的には「公共劇場」として良質のサービスを地域社会に供給し、地域の健全化に資する地平を目指さなければならない、と私は思っている。そのような前提に立脚して考えると、あるいは「二極化」と考えている現状は、指定管理者制度による「淘汰」なのかもしれない。とは言え、「芸術的良心」と「公共的良心」を合わせ持ち、しかも意欲のある若い職員がいながら、「淘汰」の網から漏れてしまうのには心が痛む。一人の人間の出来ることにはやはり限界がある。彼ら有望な若い人間たちのためにも、私が出来ることは、「第二、第三のアーラ」をつくることであろう。逃げないでその岨道を踏みしめ、辿ることで、彼らとの黙契は成立している、と信じて疑わない。

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