連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三十五回 エスキモーは氷を買うか?— 地域ならではのマネジメント・メソッドを創出すべきとき。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「何処かにたどり着きたいなら、今いるところに留まらないことを決心することだ」(J.P.モルガン)
「あなたは、バスケットボールの試合のチケットは、バスケットボールの試合のチケットでしかないと思うかもしれない。その考えはあまりに狭すぎる」(ジョン・スポールストラ)

県立宮城大学・大学院研究科でアーツマネジメント、アーツマーケティング、文化政策を教えていたのはいまから五年も前のことになる。学部の三年生と四年生、大学院と三つのゼミを持っていたが、学部三年生の「文化事業」の講義の前期試験は、毎年、ジョン・スポールストラの『エスキモーに氷を売る』か、あるいは続編の『エスキモーが氷を買うとき』を精読してレポートを提出することを課題としていた。むろん、その授業にはゼミ生が入っていたことは言うまでもない。

ジョン・スポールストラは、NBA(全米バスケットボール協会)で5年連続最下位か、せいぜいそのひとつ上にしかランクされていなかったチーム、ニュージャージー・ネッツのCEOに91年に就任することになる。そして、戦績ばかりか、観客動員数も全米最下位だったチームだったニュージャージー・ネッツのチケット収入伸び率を、僅かな期間で全米1位に導くことになる。それも最弱のチームのままで高収益を達成する。当時ネッツの経営環境は最低だった。近隣には、ハドソン川を渡ればニューヨーク・ニックスという当時は常に優勝争いをしていた人気チームがあり、ニュージャージーのバスケットポール・ファンはネッツよりもマジソン・スクウェア・ガーデンを本拠としていたニックスにロイヤルティを感じていた。つまり、ニュージャージーの住民は、自分の住んでいる土地のチームにはアイデンティティを感じず、近隣のニューヨークに意識が向いていたと言える。

彼の経営戦略のキーワードは「ジャンプ・スタート・マーケティング」である。平たく言えば「常識破りのマーケティング」。つまり、私たちが持っている「常識」を一度リセットすることから始まるマーケティングを、彼はニュージャージー・ネッツで行ったのである。チームが弱いまま業績を上げる、というのは私の志向とは外れているが、それだからこその「ジャンプ・スタート・マーケティング」と言えるのだろう。

なぜ、私が三年生の最初の「文化事業」の授業で『エスキモーに氷を売る』か、あるいは続編の『エスキモーが氷を買うとき』を購入して、前期のレポートの課題と予告し、前期を通して全員に読ませようとしたのか。理由は至極簡単明瞭である。日本で文化芸術を仕事とする以上は、エスキモーに氷を売るような、まずとてつもなく高い障壁と向かい合うことが課せられるからだ。この障壁を越えて顧客価値の高度化を図れた事例は、日本では皆無に近い。

ここを越えないかぎり、アーツマネジメントも、アーツマーケティングも、文化政策も、すべて画餅となってしまう。象牙の塔の中での「学問としての芸術経営」ならまだしも、現場で通用するものにはならない。私が学生に与えた課題は、「アーツはさして生活するのには必要はない」とする日本人のメンタリティと正面から向かい合って、自分も持っているだろう「常識」をこなごなに粉砕することからしか現場に即したアーツマネジメントも、アーツマーケティングも、文化政策も、踏み出せないということだった。

「芸術」というと、日本では一部の愛好者にしか必要とされていないもの、生きていく上で無くても不便を感じないもの、人間形成にはあってもよいが必ずしも必須とは言えないもの、のように捉えられている。文化行政もまた、70年代に最後に行政に入ってきた比較的新しい分野で、不急不要のものとして、経済不況になれば、あるいは財政危機ともなれば、真っ先に削減される程度の認識しかされていない。それを国民も、地域住民も、当然のこととして受け入れてしまう。公共ホールで働く人間も、不承不承であっても、声を上げることはしない。声を上げようにも、文化芸術がどれほど人間生活に必要なものかを論理的に説得する理論武装はされていないからだ。それはまた、文化芸術の現場で働く人間も、国民が持っている文化芸術への考え方とさして変わりない程度の意識であることを意味している。

一方、芸術家や芸術団体は、強く抗議はしても、彼らも「芸術には公共性があり、いわば公共財であって、それを削減するのはけしからん」程度の、世論を形成するほどの説得力のある言動にはならない。「芸術」であるならすべての芸術作品に公共性があるとは、私には到底思えない。全米芸術基金の創設時にあった論議ではないが、部屋でギターを弾いている人間に公的資金は必要か、である。日本の芸術家、芸術団体の主張は、どうしても、国民や市民の受益には話が及ばない(語れない)ので、先に記述した、日々の生活をするのには芸術はさして必要はないとする日本人のメンタリティから見れば、彼らの言動が自己保身としか映らないのである。

日本において、アーツを人間らしく生活するために必要なもの、ライフスタイルの中にアーツや劇場を入れて豊かさを実感すること、自分は劇場や美術館には足を運ばなくても社会やコミュニティが健全に成立するためには必要なもの、と認知されるには、まさに「エスキモーに氷を売る」ほどの「常識やぶりのソーシャル・マーケティング」が必要となる。自己都合で考え、語るだけではコンセンサスは決して成立しない。成立しないばかりか、疑いなく反感さえもたれるだろう。私がやろうとしていることが「マーケティング」である以上、「エスキモーの気持ち」に寄り添うことがまず求められる。当然の理である。そこからしか、コンセンサスを成立させることのできる「アーツの公共性」への理論武装は出発できない。

岐阜県公立文化施設協議会の合同研究会で、文化庁芸術文化課文化活動振興室長の門岡裕一氏と(社)日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の芸能文化振興部長の大和滋氏と話をする機会をえた。門岡氏からは、戦後すぐの昭和22年に「教育基本法」が制定されたころに文化芸術と教育が関連づけられては考えられていなかった。しかし、昨今では、「文化芸術振興基本法」や文部科学省の初等中等教育局にコミュニケーション推進会議が設置され、芸術表現体験の必要性が論議されているように、コミュニティの崩壊をはじめとする環境の変化、すなわち時代が大きく変化してきていることで、文化芸術が社会形成のための施策として語られ始めているのではないか、という意味の発言があった。

同様に、大和氏からは、彼がこのところ一貫して推進している「劇場法」が必要になったと感じたモチベーションの背景には社会の仕組みの大きな変化がある、との主旨の発言があり、ともに「時代の変化」がニーズとしてあり、そのニーズからの要請によって文化芸術の専門家やそれを専らとする施設にも「変化」が求められているのではないか、というとりあえず結論に至った。短時間の鼎談であったために論議の深化は得られるはずもなかったが、非常に興味深い話となった。

私はこの世界に関わってから45年になる。地域に出て、地域文化行政に関わってから23年、確かに時系列で輪切りにすれば、社会の在り様もアーツの外部環境も激変している。阪神淡路大震災の折、「演劇を被災した子どもたちの心のケアと、孤独死を一件でも減らすために仮設住宅の中高年のコミュニティづくりのために演劇的な手法を」という私からの提案に、若い演劇人から猛烈な反発を食らい、神戸の地元演劇人からは「売名行為」と口汚く罵られたときから既に17年が過ぎている。とくに演劇人の意識の変化は、まさしくコペルニクス的な大転回ではある。ただ、だから何をすべきなのか、どのように考えるべきなのか、どのような行動律に従うべきなのか、は今もって不明である。

「誰かに」変わってもらいたかったら、まず自分が変わらなければならない。その「誰か」は、目の前にいる観客であったり、地域住民であったり、行政であったり、国民すべての意識であったりと、現在その人間が置かれている立場によっていろいろであるだろう。であるが、これだけは言える。日本において文化芸術が否応なく抱え込んでいる環境を変えようとするならば、まず自らが抱え込んでいる「常識」を変えなければならない。ジョン・スポールストラの「ジャンプ・スタート・マーケティング」が物語るのは、まさしくそのような「常識」とどのように対峙するかである。ミッションに従って思考し、行動すれば、エスキモーはかならず氷を買うのである。

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