連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三十四回 劇場の人間はなぜ黒い服を着るのか。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

役所から派遣される職員や新規採用のプロパー職員が、最初に違和感を覚えるのが職員の服装に黒を基調にしたものが多いことだと聞く。劇場のスタッフが黒を基本とした服装をしているのは、日本に限ったことではない。たとえ黒ではなくても、落ち着いた色調の服装を選んで着ている。夏でも冬でも、四季を問わずにダーク系の服装が選ばれている。夏はお客様に暑苦しく感じさせるのではないか、という疑問もあるだろうが、欧米の劇場の職員は軽い素材と涼しげなデザインでお客様に生じるやもしれない不快感を回避している。私の古い友人の英国地域劇場の経営監督などは、来日した折に、青山のイッセイ・ミヤケのアトリエで大量の買い物をしていた。もちろん、色は黒一色である。

舞台スタッフが黒を着ることから制作スタッフも黒が基調になったのだろう、と考える向きもある。舞台技術スタッフが黒を着るのは、むろん演劇などで暗転での舞台転換があり、「見えないようにする・客の観劇の邪魔にならない色を選ぶ」という理由がある。明白な理由である。最近は多くなった少し明かりを入れて舞台転換をする「明転」という方法があるが、その場合に黒をまとって転換作業を当然である。

歌舞伎の「黒子(クロゴ)」から来ているのではないか、という考えもある。歌舞伎においては、「黒」と「赤」、稀に「模様幕」は「見えないもの」という約束事があります。歌舞伎の「黒は見えないものという約束事」は、夜の場面で黒幕が舞台奥に垂らされることにも使われる。むろん、舞台は明るいままだ。『仮名手本忠臣蔵』の五段目山崎街道の場は、斧定九郎が舅の与市兵衛を誤って刺殺して五十両を奪うという強盗殺人事件の場面だが、舞台奥は黒幕が一面に垂らされている。闇夜、という約束事である。多くの登場人物が入り乱れて色々な型を見せる「だんまり」でも、「暗い」という約束事で黒幕が舞台奥に垂らされている。

しかし、現代劇のスタッフの黒は、直接歌舞伎から来たのではない。やはり暗転に時に見えにくくして観客の鑑賞の邪魔にならないようにするという機能面から来ていると考えられる。これは洋の東西を問わず、何処の国の舞台スタッフも皆、仕事をする時には黒を着ている。クラシック・コンサートで、ピアノの移動とか椅子の出し入れの時にステージに現われるスタッフは、黒いスーツをきちんと着用している。これは、むろん演奏者より目立たない、聴衆の邪魔にならない、という意味合いもあるが、それならスタッフジャンパーやTシャツでもよさそうだがスーツ着用なのは、「品質保証」という別の機能もあるのだ。制作者を含めて劇場スタッフが「黒」を基調とした服装をするのは、この「品質保証」という機能から来ているのではないかと私は思っている。

経済学的に言えば、舞台芸術のチケットには「認識の困難性」という性格がある。つまり、公演当日に観てみないと、聴いてみないと、良いのかつまらないのか分からないという性格があるわけだ。つまり、チケットを購入するということは、「あなたを感動させます」という「誓約」を購入しているに過ぎないのである。よく考えれば、紙切れ一枚に数千円、場合によっては数万円を支払うのである。この不確実性を減衰させるために、有名雑誌や大新聞やテレビを使ってのパブリシティをしたり、事前イベントやワークショップを開催したりするのだ。これらを「証拠固め」という米国の研究者もいる。有名雑誌や大新聞やテレビの社会的信頼性を使って、みずからの舞台芸術の「品質保証」を証し立てようとするのである。事前イベントやワークショップには、当該舞台の関係者(作家・演出家・俳優・演奏者など)との「関係資本形成」という企図がある。これも、「認識の困難性」を人間関係を形成することで軽減するという狙いがある。チラシも「品質保証」の第一歩と位置づけられる。私がチラシのデザイン、キャッチコピー、ボディコピー、紙の重さと紙質、使用インクに拘るのは、「認識の困難性」を軽減する、チラシがその第一歩だからだ。

この「認識の困難性」からの要請である「品質保証」が、劇場スタッフの「黒を基調」の本質的な事由である。宝石店の店員が黒を基調のきちんとした身なりをしているのと同様に、「品質保証」の意味がある。色彩心理学でいえば「黒」には、「威厳」、「高級」、「神秘」、「上品」、「格調高さ」がある。「品質保証」は劇場関係者には本質的な仕事であり、お客様に不安を感じさせないことは重要な使命である。想像してみてほしい、軽薄浮薄な色調やデザインの服装をしている劇場スタッフを。「認識の困難性」をより増幅するとは思わないだろうか。「誓約」の信頼性が激しく揺らぐのではないだろうか。

「黒」であれば問題がないのではない。仕立て、デザイン、着こなし、清潔感などは吟味しなければならない。高価なものである必要はない。仙台でプロデュースの仕事をしていた時、仙台市役所に「三大色シャツ男」と呼ばれる職員がいた。ダークスーツに色もののシャツというのなら問題はないが、その内の一人が、鮮やかな紫のスーツに藤色のシャツ、ピンクのネクタイといういでたちで打合せに来たことがあった。目が点になった。役所に来る市民は肝を潰すだろうな、と思った。市役所の職員なら、やはり「黒」を基調にした方が良いな、とその時に痛烈に感じた。「黒」は色彩心理学的には「保守的」のイメージがあるという。「保守的」ということは「安心」や「安定」につながる。場合によっては「保守的」であることも必要だな、と目が点になりながら思った。

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