連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三十三回 やりがいのある仕事、生きがいとなる仕事― 職員のモチベーションをマネジメントする。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

何かの一員になることが人間としての証明であり、人間としての成長を約束する。この人間の社会性への卓眼は、組織運営のための箴言でもある。「何かの一員になる」というのは、経験、使命、目標を他者と共有している状態のことである。経験とそれによる思い出の共有はコミュニティ形成のための前提である。つまり、生活を共にして、思い出という経験価値を共有すればコミュニティが形成されるわけで、「家族」はその最たるものだろう。組織経営にあっては、これに加えて「社会的使命」と「事業定義」と「到達目標」の共有が求められる。「新しい価値」を生むために構成員の有機的な結びつきが求められるのだ。この「新しい価値」が経済的な利得(儲け)である場合もあるし、社会的貢献による価値の生成(利他的利益)という場合もある。いずれにせよ、何か「新しい価値」を生むために前提となる「価値観の共有」という状態をつくることが組織経営にはまず求められるのだ。

とは言っても、「一丸となる」とか「一糸乱れぬ」という状態を目指すべきではない。日本式の「一致団結」は、個性の多様性を価値とする文化施設にはまったく不適である。「踏みわけし 麓の路は 多かれど おなじ高嶺の月を見るらん」。相聞歌である。「あなたとの逢瀬の約束した場所への麓の路は沢山ありますが、想い人がどの路を歩いて逢瀬の場所へ向かっているのかは定かではなくても、きっとあの高嶺の月を私たち二人は同じ様に見ているのでしょうね」という意味の恋歌である。「共有」する状態というのは、この「おなじ高嶺の月を見るらん」ということであって、「麓の路は多かれど」は人間が寄り集まった時の前提である。つまり、どの路を、どのような速さで、どのような手段で、どのような格好で登っても良い、というのが私の「組織論」の前提であり、問題は「おなじ高嶺の月」を見ているか否かなのである。

この「高嶺の月」が、前述の使命、定義、目標である。人間の「強み」と「弱み」は人それぞれにあり、組織構成員個々の「強み」を充分に活かして「弱み」を意味のないものにするならば、組織のポテンシャルが余すところなく引き出されて「高嶺の月」に限りなく近づける、ということである。この「人それぞれ」を許容できるか否かは、管理職の人間的な寛容さにかかっていると言って良いだろう。ハーバード・ビジネススクールのリサーチ部門ディレクターで心理学者のテレサ・アマビルは、「内発的動機付けは創造性につながり、統制された外発的な動機付けは創造性を奪う」と主張している。創造性を重視する組織にあっては、あくまでも職員の自律性を重視すべきなのである。

たとえば、アーラの定める「社会的使命」と「事業定義」は、〔私たちは「経験価値」と、そこから派生するかけがえのない「思い出」と、さらに新しい価値による行動の「変化」とその「生き方」を提供する。 私たちは地域社会にコミットして、すべての 市民を視野に入れたサービスを提供し続ける「社会機関」である。決して興行をしているのではない。ましてや、啓蒙しようとしているのでもない〕、である。つまり何らかの「変化」が、私たちの提供するサービスによって市民にもたらされる「新しい価値」であると規定している。また、職員全体で共有する劇場の理念は、〔「芸術の殿堂」ではなく、人々の様々な思い出の詰まった「人間の家」へ〕であり、事業を決定する基準は〔市民より半歩先へ、決して一歩は踏み込まない〕、である。さらには、現段階での職員と共有する「到達目標」は、文化庁の補助事業である「優れた劇場音楽堂からの創造発信事業」での「国の特別支援施設」としての5年間の継続事業としての採択である。昨年度は「地域の中核施設」としての5年継続採択で、補助金額2600万円で、全国での補助額順位が9位だったが、現在の目標設定としては金額の多寡よりも「特別支援施設」としての社会的認知である。職員にとって補助額の多寡より、「地域の中核施設」から「国の特別支援施設」にステータスが移行することを目標にする方が分かりやすいからだ。補助金額の多寡は職員の現場実感や仕事のモチベーションには直結しない。このあたりは、ともかくも分かりやすい平易な言葉で目標を設定し、決して抽象的な文言と内容にしないことが肝要である。ここまで来れば、職員のモチベーション・マネジメントの7割方は終わったことになる。「高嶺の月」はほぼ共有できていることになる。

次に「やりがいのある仕事」、「生きがいとなる仕事」とは何か、である。「やりがい」や「生きがい」は、一言でいえば「必要とされている実感」であり、「役に立っているという実感」である。いずれも他者(市民)を介在させての実感(受取価値)である。受取価値であるということは、コミュニケーションの結果としての実感であり、その相互関係によって他者のみならず自分の価値観にも「変化」をもたらすことと言える。自己変革である。たとえば舞台芸術の上演を決して自己目的化しない、自己完結しない、という意識が要諦である。アウトリーチにもワークショップにも、さらに日常的な顧客対応でも同じことが言える。観客は鑑賞の結果としての「新しい価値」を求めているのであり、アウトリーチもワークショップも参加の結果としての「新しい価値」がニーズとして根底にある。鑑賞や参加それ自体が目的ではないのだ。鑑賞や参加は単なる「行為」でしかない。鑑賞や参加を施設の目的としている、あるいはそれらの機会を市民に提供しているとしか認識できていない劇場ホールは、それだけで自己完結している底の浅さからは抜け出せない。自己満足に陥ってしまう危惧を抱えているからだ。

劇場ホールは、本来的には鑑賞や参加の結果として生まれる「新しい価値」と、それ受容した結果である「変化」を価値としているのである。したがって、決して事業実施を自己目的化しない、絶対に自己完結しないことである。他者を経由した結果としての「変化」こそが職員にとっての「新しい価値」となるように、価値の循環を企図した事業の構造と仕組みがそこでは必要となる。そんなことは当たり前だ、という向きも多いだろうが、上演を自己目的化したり、自己完結して、しかも自己満足している公演やアウトリーチは枚挙にいとまがない。「観る」、「聴く」、「参加する」はあくまでも行為であり、それ自体は「価値」ではない。その表層を見るだけでは同じ上演であり差別化できないが、「価値」のやり取りという循環が猛烈な勢いで内部に交流や価値の交換が起きている場合には、職員の意識の変化と成長が成果としてもたらされることになる。

ならば、何を施せばよいのか。それは「観る」、「聴く」、「参加する」という行為のもう一つ先にある「顧客価値」を提供しているという「目的と使命と事業定義」と向かい合うことである。それが「やりがい」と「生きがい」に必須となる「意識づけ」である。誰のために、どのような機会を提供しているのか。それを認識して、なおかつ自己の行動を意識下におくことで、「やりがいのある仕事」や「生きがいとなる仕事」はおのずと手に入ることになる。

モチベーション・マネジメントとは、インターナル・マーケティング(組織内部へのマーケティング)の一側面である。アーツマネジメントの三つの役割には、

(1)組織に特有の使命と事業定義を果たさせ、満足させる。
(2)使命と仕事を通して働く人たちを生き生きとさせる。
(3)自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について事業を通して貢献する。

がある。その(2)の「使命と仕事を通して働く人たちを生き生きとさせる」ことが、組織の活性化を生み、サービスの享受者としての市民に「変化」をもたらし、まちを健全化するのである。職員に活気がなく組織が機能不全に陥っていれば、市民に「変化」をもたらすようなサービス価値が生まれるはずもない。ましてやまちが健全化するはずもない。職員のモチベーションを高めるのは、観客の心が満たされた時の笑顔を見た時であり、来館者の居場所を見つけられたという安堵する姿を目撃する時であり、顧客との交流が何らかの達成感をもたらした時である。したがって、「働く人たちを生き生きとさせる」には、観客や来館者という「他者」が必要であり、そこを経由しないことには職員の仕事に対する意欲は高まらないし、決して「変化」しない。そのような組織が衰弱するのは必定である。

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