連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三十二回 大型市民参加型事業「オーケストラで踊ろう!」の企図すること。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

宮城大学の教員をしていたころだから、いまから10年近く前のことになるが、『ベルリン・フィルと子どもたち』というDVDを見て、非常におもしろいと思った。社会的に有意義な試みだと感じた。上演された舞台の映像よりも、ドキュメンタリーでプロジェクトを丹念に追ったメイキングの方に強い関心を持った。サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団の首席指揮者から、クラウディオ・アバドの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任した直後、彼は、ベルリン・フィルの若年層の聴衆および音楽人開拓のための活動である「Zukunft@BPhil」と称されるプロジェクトに取り組み、その一環として映画『ベルリン・フィルと子どもたち』を制作することになる。それが息をのむほどにおもしろかったのだ。サイモン・ラトルは、芸術至上主義に偏っていたベルリン・フィルに、英国風のコミュニティ・プログラムを持ち込んだのである。バーミンガム市響を世界的な楽団に育て上げた卓抜の芸術家が、ベルリン・フィルで優れた社会活動家でもあることを証し立てたと言える。

その数年後、私は大学の教員の身分のまま、可児市文化創造センターalaという劇場の館長兼劇場総監督を非常勤で兼務することになった。非常勤の1年間は、翌年からの経営のための組織的な地ならしと、翌年度からの具体的な事業の準備に奔走した。まず、核となる芸術団体とのフランチャイズ提携を模索した。高い芸術性は必要条件だが、合わせてコミュニティ・プログラムにも長けていなければ地域では十分条件を満たしているとはいえない。そして、ともにコミュニティ・プログラムの経験値が高く、技術集積もある新日本フィルハーモニー交響楽団と文学座との地域拠点契約を締結した。地域劇場にはその双方の力量がどうしても必要だったからである。コミュニティ・プログラムが弱ければ、またそのように地域に踏み入ることを蔑視するようなエリート意識を芬々とさせる芸術集団なら、地域では到底パートナーになれないというのが私の持論である。芸術的使命と社会的使命の等価性を構成員の個々が持っていなければ、その集団は地域では無力に等しいと私は思っている。

チケット制度の整備とインターネットチケット・システムの導入、カード決済システムの導入など、のちに創客経営として威力を発揮する経営とマーケティングの制度も計画立案して仕組んで行った。そして、観客席に閉じ込めることなく市民にも舞台に上がってほしい、という思いで、年度末に大型市民参加事業を組もうと考えた。初年度に沢山の市民参加の見込めるミュージカルを置いて、コミュニティ・ダンス、演劇とジャンルを変えて、3年でまたミュージカルに戻るというローテーションを考えた。それぞれの3年間でアンサンブルにいた子が主役を勤めて、主役の子が成長して脇を固められるという世代循環が起こることを期待した。

初年度はオリジナル・ミュージカルを創り込むだけの時間的な余裕がなく、島根県民会館から『あいと地球と競売人』を借りることにした。と同時に、その3年後には映画『スタンド・バイ・ミー』の可児版オリジナル・ミュージカルを創ろうと動き始めていた。あわせて、非常勤時に考えていた翌年度のコミュニティ・ダンスの演目を仕込むことを試行していた。可児には可児交響楽団というアマチュアのオーケストラがある。これを「強み」として、オーケストラの生演奏で市民が踊るという舞台ができないかと思った。むろん、そこには『ベルリン・フィルと子どもたち』が念頭にあった。今回の『新世界』の振付演出をしている井出茂太氏にもその構想を話した。とてもユニークでおもしろい企画だ、と言ってもらえた。『あいと地球と競売人』を可児ウインドオーケストラの生演奏でやることになっていて、生演奏でパフォーマンスをすることがどれほど大変な作業になるかはある程度は予想できたが、コミュニティ・ダンスは生演奏でやれなければ何の意味もないと思っていた。

就任初年度の6月頃だったと記憶しているが、可児交響楽団の定期演奏会がアーラで開催された。そこで彼らによるシベリウスの『交響曲第二番』を聴いて、この物語性が豊かな曲ならばダンスは俄然おもしろくなると直感した。すぐに可児交響楽団に企画案をプレゼンテーションして、振付演出をモノクロム・サーカスの坂本公成氏にオファーを出した。思えば電光石火の早業だった。翌々年度の演劇は平田オリザ氏で『わが町可児』をと構想していた。つまり、4年後のオリジナル・ミュージカルまでが就任初年度の夏までに腹案として決まったのである。『わが町可児』は途中で青年団演出部にいた柴幸男氏にバトンタッチしたが、彼がその年の岸田国士戯曲賞を受賞するという僥倖にも恵まれた。

それに加えて「アーラみんなの同窓会」構想も同時に進めていた。大学の教員時代に読んだアメリカの研究論文に、幼少期に芸術に親しんだ子どもが大人になってもその芸術に親和的な態度(attitude)を持ち続けるには、幼少期の人間関係や友人関係が青年期になっても継続していないと難しい、という内容の研究論文だった。人間関係が途絶えると、芸術との距離も離れてしまうというのである。その論文にヒントを得たのが、市民参加事業に出演した人々が年に一度、プロジェクトの指導者にも集まっていただいて交流を図る「アーラみんなの同窓会」構想だった。今年から2月の建国記念日の祭日に開催することになった。今年も100人近い市民が集まって、大写しになった舞台のDVDを見ながら、歌ったり、踊ったりして、交流を深めていた。コミュニティ形成に肝要なのは、「思い出の共有」と「途絶えることない交流」であることは明らかである。

さらには『オーケストラで踊ろう』には、子どもを含めた参加する市民にクラシックに関心を持ってもらう、という狙いがある。今年の『新世界』は良く耳にして馴染みのある曲であるが、シベリウスの『交響曲第二番』などは、クラシックに縁のない人間ではなかなか耳にすることのない曲である。しかし、5ヶ月ちかくその曲で踊っていれば、嫌でも耳に染みついて、クラシックとの距離も以前の比べて劇的に親和的になるだろう。人と人のあいだをクラシックが繋ぐのである。耳にだけでなく、身体に染み込んだクラシックが人と人を繋ぐ役割を果たすことになる。『オーケストラで踊ろう』というコミュニティ・ダンスは、その意味で、紛れもない「エディケーション・プログラム」である。

今年はドヴォルザークの『新世界』である。新しい曲を仕込むには膨大な時間と経済的負担が生じるので、可児交響楽団のレパートリーから、物語性の強いものを選んだ結果である。振付演出は井手茂太氏で、彼とは5年越しのプロジェクトとなった。可児の大型市民参加事業には、さまざまな狙いが込められている。そして、究極のミッションは、在留外国人、障がい者、高齢者、子どもたちを含めた多様なコミュニティを生みだすことであり、それによって様々なバリアを排除して、社会包摂性の高い地域社会をデザインするという壮大な企図が込められている。成果は私が館長を退任した後に現われるだろう、そうあって欲しいと願う、息の長い企画意図である。何十年後かにその成果が地域社会に現われると信じたい。可児市がそういうまちになってほしいと強く願っている。

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