連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三十一回 「カラオケ」は排除すべきか ― いわゆる「市民会館」のリニューアルについての考え方。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

この10年で公立ホールが100館程度は増えると考えられている。合併特例債によって新規に建設される公立劇場ホール、さらに60年代から70年代に建設されたいわゆる市民会館を建て直す方向の自治体もある。「第二次ホール建設ラッシュ」の趣きさえある。合併特例債の恩恵に浴せない自治体は、財政事情も悪くて、旧い市民会館をリニューアルして継続利用することを選択せざるを得ない。しかし、施設によっては新築するのとさして変わらないバジェットが必要になるケースもある。たとえば、劇場建築の知識のまったくない地元業者に丸投げしてしまった結果、今日的なホールとしての機能を満たせていない施設が間々ある。

間口は八間たっぷりあるのだが、舞台の奥行きは五間程度しかない、用途としては講演会場にしか利用できない、いわゆる「公会堂」時代の遺物のような市民会館が全国にはかなり多く存在する。そうしたホールのリニューアルは、舞台奥行きを八間以上取るために、客席をつぶして舞台を前に拡張するしかない。当然であるが、シーリングライトをはじめとする照明設備の位置がずれるために、天井をそっくり剥がして、配線等もやり直すなどすべてを造り直さなければならなくなる。これには膨大な予算が必要となる。バトンの操作もほとんどが手引きであり、音響や照明の機器もコンピュータ時代以前のもので使い物にならないからそっくり入り変えなければならない。これにも億単位の予算が必要となる。フライタワーも新設しなければならない施設がほとんどである。

それらを積み上げれば、建て直した方が、後年度のことを考えると経済合理性があるのは疑いのないところである。音響反射板に人間が通り抜けられるほどの隙間ができているという岡崎市のような例もある。これは構造躯体自体が経年劣化しているからだ。となれば、いずれ近い将来には建て直すという選択をしなければならなくなる。長期的展望に立てばリニューアルすることはそれこそ「ムダ」なのだが、財政の現況や首長の判断でリニューアルを選択しなければならないケースもあることは理解できる。

そうであるならどのような意思決定をすべきなのか。私は市民の利用に供することに特化する「貸館専用ホール」にするのか、あるいは巡回公演を受け容れるプロ仕様の「鑑賞型ホール」にするのか、最初にその意思決定をすべきだと考えている。それによって修繕予算の多寡が大きく変わってくるからだ。当然だが、敷地や建物スペースによる制約は厳然としてある。したがって「創造型ホール」は選択肢には入ってこないだろう。私がそういう意思決定をまずすべきと言ったら、岡崎市の職員から「衛館長はそうは言わないと思っていた」という発言があった。私が「貸館専用ホール」などと言うはずもないと考えていたようだ。だが、それは誤解である。いわゆる有識者と言われる人の中には、「貸館」を否定する向きがある。「貸館」のようなことを通常業務とする劇場ホールを否定して、「ハコモノ」として批判する傾向がある。「カラオケ」に貸すという愚を犯している、とする有識者もいる。しかし、それは間違っている。すべての公立の劇場ホールの設置条例には、「地域文化の振興に資する」という文言があるはずであり、それなら地元の人々が文化に参加し、親しむ機会を提供する「貸館」も立派な施設の公共的な使命であり、立派な「事業」である。

そもそも、地方自治法244条には、「2 普通地方公共団体(次条第3項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取り扱いをしてはならない」とある。「公の施設」の条文である。したがって、「カラオケ」だからと言って排除することはできない。もし、マルチ商法や粗悪な商品の頒布会のようなものを締め出そうとするなら、利用における優先順位の内規をつくれば良い。北九州芸術劇場のように条例で文化芸術の利用にプライオリティを付与している場合もある。可児市文化創造センターalaでは、「利用調整会議」で優先順位を文化芸術分野の利用としている。

平田オリザ氏は「劇場法」によって公立の劇場ホールを地方自治法から切り離して244条の制約を受けない施設にすべきと考えていたようだが、それも一つの見識ではあるが、都市部ならまだしも、中小の市町村に立地する公立ホールにあっては、それは現実的ではないだろう。「劇場法」は文化芸術振興基本法の個別法として構想されていたのであり、地方自治法に触れることになるとそうは簡単に成立はしない。ましてや議員立法でどうにかなるという類の法律ではなくなる。

したがって、むろん「カラオケ」でも良いのである。私は何の問題もないと考えている。ピアノ教室の発表会よりは優先順位は低いが、マルチ商法や欠陥商品の頒布会より優先順位が高いのは当然である。カラオケで歌うことを自己実現の機会としていることを誰も否定はできないだろう。憲法第十三条の「自己実現の権利」は、公共の福祉に反しないかぎり、すべての国民に等しく認められている権利なのである。「カラオケ」はハイアートではないから「公立」のホールから締め出そうとする行為は、誰であっても出来ないことである。芸術家や知識人のエリート主義が芬々と臭う。やってはいけないことだ。「貸館=カラオケ」という図式で創造型劇場のステータスを強調する論法は厳に慎むべきである。そして、貸館を立派な事業として認知すべきと私は考えている。

したがって、60年代に竣工した旧い市民会館をリニューアルする場合、市民の貸館利用に特化して、その工費を低減化することは、私は正当なひとつの見識だと思っている。総務課と施設課と舞台技術課の三課体制で運営していけるし、後年度負担の軽減を考える自治体はこの方式を採用しても何ら不当ではない。それはそれで胸を張って良いことである。日本一の貸館ホールを目指せばよいのだと思う。いわゆる行政的ではない、貸館ホールの専門職としての矜持をもった職員を配した日本一の貸館ホールを目指すべきなのである。そうであれば、それは決して「ハコモノ」とは呼べない施設となるだろう。旧い市民会館をリニューアルするのなら、そういう姿勢をきちんと持つべきであると、私は思っている。

このページの上部へ