連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第二十回 人事異動の季節 ― 劇場経営の組織とアーラのグランドデザイン。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

人材育成に対する考え方には、大きく分けてジェネラリスト(総合職・行政職)という考え方とスペシャリスト(専門職・現場職)という分類がある。ある人材をどのように育てるかは組織にとって重要な意思決定に属するだろう。たとえば、かつて私が演劇キャスターとして仕事をしていたNHKでは、組織と仕事の必要上、最終的にはチーフプロデューサーという役職にたどりつくジェネラリストとチーフディレクターになるスペシャリストにある時期に振り分けられる。劇場ではNHKの場合ほどある時期に明確に枝分かれすることはないが、アーラでも10年後には間違いなく私は退任しているし、現在、事業制作課、総務課、舞台技術課、顧客コミュニケーション室で働いているプロパー職員の中から館長あるいは事務局長を育て上げなければならない。つまり現場に携わっている職員の中から意思決定がしっかりと出来て、その決定にともなうキャプテンシーを発揮できる劇場の管理職(行政職兼専門職)を育成しなければならない。これは館長にとっては非常に難しい、しかも最重要職務である。

行政はどうなのだろうか。昔ほどではないにしろ、一般的に行政職員はジェネラリストであることが求められている。つまり、二、三年毎に異動を重ねてジェネラリストとしての職業上の容量を大きくしていくのである。それにしたがって等級を上げて出世をしていく。文化の世界では「二、三年で変わられてはたまらない、自分たちのことを理解してもらえるようになったところで異動になる」という批判がよく聞かれる。それにはそれで一理はあるのだが、行政が市民サービス機関であり、職員には必然的にジェネラリストであることを求められ、あるいはそうあることを組織が求めている以上は、「二、三年毎の異動」は致し方ないと私は思っている。異動に対する批判は「行政には文化は分かっていない」といういささかヒステリックな発言になることがままある。しかしそれは、文化関係の人間に「君には下水道が分かるはずがない」と言っているのと同じであることにアーチストたちは気付いていない。笑止千万である。しかしながら、私が役所に関わりを持って仕事をし始めたころに比べると、近年は一定の範囲内で異動をするようになったと感じている。以前は財政、人事などの総務を経験した職員は一貫してその畑を異動して典型的な役人体質であり、その周辺職務から動くことはなかったし、その頑陋さ故に他の領域ではまったく通用しない事例は枚挙に暇がないほどだ。

劇場経営においてはどうなのだろうかを吟味してみたい。アーラにあっても、役所の人事異動にともなう職員の出入りやプロパー職員の希望退職はあり、私が就任する前からの職員はわずかに3人になっている。23人中3人だから13%である。ほとんど入れ替わっていると言えるだろう。私の代になってからの職域と職務は大きく変化しているのが一因と言える。事業制作は買物の鑑賞公演の一般事務をやる仕事から創造型発信事業の「創って、地域に営業する仕事」になってアーツマネジメント事務へと180度変化しているし、私が館長になってから新設した顧客コミュニケーション室はマーケティングとブランディングの専門職となっている。また総務課も公益法人化によって仕事は大きく様変わりしているし、施設管理係を新設して「貸館」を事業として独立させ、劇場経営の付随業務という位置づけから転換させる。それにつれて職員に強く専門性が求められるようになり、以前の職務になじんだ職員が退職するケースも出てくるようになった。それにともなった新採用の職員は「アーラで働きたい」というモチベーションが高く、遠方からの受験者が急増している。役所の異動にともなう動きは致し方ないものの、正直、赴任当初、行政派遣の職員は気の毒で見ていられないほど職場文化の差に翻弄されることがある。

しかし、その中にも「余人をもって代え難し」という人材が出てくることがある。そうなると事務処理能力は充分にあるし、補助金申請事務などはお手の物である。役所の人間は帰属意識が高いから、プロパー5人分くらいの戦力になってくれる。アーラでは、現在の遠藤文彦事業制作課長はその好例と言える。したがって、良し悪しなのである。アーラのように市の中核施設となれば、役所も当然優秀な人材を送り込むようになるから、誰が来てもその潜在能力に疑いをはさむ余地はない。それを引き出せるか否かは私の責任とも言えるのである。ただ、他県の会館での話だが、行政からの出向者は「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が言えない、お客さまに頭を下げられない、という例があった。これは困る。劇場の仕事というのはホスピタリティを基幹とするサービス業である。人間が好きでないとどれほど事務能力が優れていても欠格である。これは行政からの出向職員に限らない。プロパー職員であっても、他者と関わり、コミュニケーションをすることが不得手な人間がいる。その手の人間は劇場で働くことはあってはならないと思っている。

あわせて、社会への洞察力のない人間はアーラのようなミッションを持った劇場経営への参加には不向き、というより資質として欠格である。アーラが文化芸術の機能をもって目指すのは、可児市の「社会的包摂の理念にそったまちづくり」である。年間328回を数える「アーラまち元気プロジェクト」はそのまちづくりのデザインに向けたワークショップ、アウトリーチを集束した事業である。再来年度に向けて準備しているのは、高齢者の健康維持と体力維持、支え合う仲間づくりのための新井英夫氏とアーラで3年間養成されたワークショップリーダーたちの組織ファン・ファン・アーラによるコンテンポラリーダンス・ワークショップ、JCDNの佐東範一氏によって開発された母親と幼児によるダンスワークショップによる育児困難の若い母親支援、大木とおる氏の主宰する国際セラピードック協会との提携によるすべてのアウトリーチにセラピードックを随行させる計画などである。核家族化などによる家族関係の崩壊、職域コミュニティの劣化などにより人間相互の関係、すなわち社会関係資本という社会の基盤が失われている現状を、劇場という社会機関をはじめ文化芸術の社会包摂機能で孤立や差別や社会的排除や社会的放縦による社会不安の蔓延のリスクヘッジとするのが最終的なアーラのグランドデザインである。「劇場の社会的便益と効用をもって健全なまちづくりをする」が最終ミッションである。将来的に想定する条例もそれに沿った内容となるだろう。それだけに社会への危機意識と人間の尊厳に対する強い確信がない職員はアーラでは欠格となる。

さて、篭橋義朗事務局長と堀部建樹総務課長が市役所に異動となった。局長は教育部長に赴任する。正直言って、思い切り推進力を上げて全国的な中小都市の劇場経営モデルに大きく近づこうと思っていた矢先だけに痛い。この4年間のアーラの躍進は、私と篭橋事務局長の連携で上げてきた成果であり、来年度からの次のステージに向けて新年度からの組織体制を変えて、人事異動による新シフトをひいただけに私が負わなければならない責任が飛躍的に大きくなる。また、彼は準備室時代からアーラとともに歩んできた人物だけに、彼の持っている市民との関係資本がなくなることは大きな損失である。しかし、一方では、社会的包摂による創造都市を視野に入れ、そのような健全なまちづくりを包括的に織り込んだ全国的に何処にもない「創造のまちづくり文化振興条例」の構想が私にはあり、彼が役所に戻ることはアーラにとっても、市民にとってもマイナスばかりではない。アーラのグランドデザインとしては、五年後、十年後をにらんだ今回の事務局長の交代であると私は位置づけている。アーラの中長期的な到達目標を考えれば間違いのないところである。

新任の事務局長には前文化振興課長の桜井孝治、総務課長には都市計画課の係長各務則行が就任した。ともに高い能力を持つ行政職員である。アーラの空気に慣れてくれれば早い時期に強力な戦力になってくれると期待している。次のステップとフェイズへの推進力としてアーラを未知の領域に運ぶ力になると確信している。来年度の各種パッケージチケットが、3月25日の「アラカルト・パッケージ」の発売で一応終わった。速報値で「演劇まるかじり」が198パック、これはパッケージチケットを発売した2008年比で4. 8倍、「まるごとクラシック」は227パックで、同比較1.8倍、「かに寄席」は578パックで2008年比2.85倍、地域拠点契約の新日本フィルと文学座とアーラコレクション、シリーズ恋文のアーラ製作ものの音楽と演劇の分野横断的な「ウェルカムパッケージ」が「アラカルト」とあわせて77パックで、これが同比較で12. 8倍で、分野横断的な観客を開発したいと思っている私にとっては、この伸びはとても嬉しい。パッケージチケットの発売が終わって、いよいよ新年度である。次の5年間で新しい地平に踏み込む第一歩、地域劇場のトップランナーとなるべく風を切って疾走する年としたい。

このページの上部へ