連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第十六回 劇場音楽堂の社会的効用が問われる時代に。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する検討会」の第10回目が開催された。ここで11月15日に提示された「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する中間まとめ(案)」へのパブリックコメントが加味された修正案が公表された。文化芸術振興基本法と今年2月に閣議決定された第三次基本方針を貫いている「社会包摂機能」が大きく加筆された修正案を一読して、正直ほっとした。太下義之委員が議論のなかで「以前は狭い意味の文化振興を協議していたが、今回の中間まとめでは広い意味の文化振興になっている」と言っていたように、劇場音楽堂救済法的な視野から、6月段階に大きく舵を切って、検討会の空気が最終受益者である国民・市民との合意形成を図る立場にシフトしたことが反映された「中間まとめ(案)」になったと思う。良かった、と胸をなでおろした。この手続きを省略して大きな予算を劇場音楽堂に充当することは、将来にわたって悔いを残すことになると思っていたからだ。多額の補助金を劇場音楽堂に費やしても良いほどには、文化芸術と国民・市民の関係は成熟していない。まずは文化芸術への国民的・市民的合意を得る前提となる手続きをすべきだと思っていた。「急がばまわれ」である。

12月7日に開催された文化芸術推進フォーラム主催の「文化芸術振興基本法制定10周年記念 フォーラム・シンポジウム」で司会の鈴木寛参議院議員から「我々音議連の役割は次期通常国会に劇場法を上程することです」という意味の発言がなされたが、是非とも「中間まとめ」(修正案)の方向で法律が成立することを願ってやまない。この鈴木議員の発言には大きな意味がある。震災前の検討会は、先の大下委員の発言にあるように、芸団協案と平田オリザ私案を中心に討議されており「狭い文化振興」に終始していたが、文化庁内部の空気はそれでは法律として成文化できないという感触だった。あわせて法制化の強力な推進力となる国会議員の存在も見当たらず、正直言って「闇夜の手探り」状態だったことは否めない。

震災直後の3月の検討会が中止されて5月に再開した時に、私は「空気が変わった」と感じた。あるいは「3・11」が「狭義の文化振興」から「広義の文化振興」へと委員の意識をシフトさせたのかもしれない、と思った。6月の検討会で、舳先ははっきりとそれまでの議論の方向からまったく違う方向に切られつつあった、と私は認識している。私はこれなら法制化が容易になると思ったが、当時はまだ鈴木議員は文部科学副大臣であり、いわば当事者であったわけでどのような道筋で法案上程にたどりつけるかはそれまでと変わらずまさに暗中模索だったと思う。したがって、先の鈴木発言は、文化芸術振興基本法のときと同様に音議連として法制化を推進するとの強力なメッセージと受け取って良いだろう。議員立法として上程できる環境が整ったと言える。進行する社会の劣化が大きな課題となっている今日の状況で、「社会包摂機能」を前面に押し出した法律を作ることは社会課題の克服という点でニーズにマッチしている。

指定管理者制度についても、「地方公共団体においては、指定管理者におけるノウハウの蓄積や人材の確保の観点から、それぞれの状況を踏まえつつ、地方公共団体が策定する文化芸術に関する施策を継続的に実現するために必要となる期間を適切に設定することが重要である」との文言が入ったことは高く評価してよいだろう。近年、指定管理期間が5年という事例が多くはなっているが、現場での実感としては、地域社会の特殊性を視野に入れた中長期的な戦略及び人的資源戦略においては、7年、10年、15年という選択肢もありうると思っている。 それには自治体との戦略の共有が前提となるだろうが、この考え方を法律で提示できるだけで随分と環境は変わってくるだろう。

まったく問題がない訳ではない。「国は、国立劇場や新国立劇場等において企画制作された公演や舞台技術に係るノウハウ等を地域の劇場、音楽堂等に提供することが求められる」くだりである。文面だけをみているのなら何の問題もないのだが、実際に「企画制作された公演」を実施すると、とてつもなく大人数のスタッフを連れてくるのと、同人数程度の技術スタッフの地元増員を求められる。さらに私たちなら当日仕込みで7時開演が可能な程度の舞台なのに仕込みに二日間もかけるのである。そのまま実施すれば、民間の劇団に比して40%から50%も割高な費用がかかってしまう。

可児市文化創造センターalaでは、演劇公演は小劇場で金土の2ステージにするのが慣例だが、民間では間接費も含めた総額で400万円を少し超える程度だが、新国立劇場の場合、520万円前後となってしまう。日当は5500円から3500円に減額させたが、随行スタッフの人数は、いくら制作に掛け合っても減数することはない。推測だが、技術をマネジメントが押さえられない事情があるのではないか。「新国立劇場の時とクォリティを同じにするため」とマネジメント担当は言うが、これでは普通の地域劇場では受け入れられないだろうことは想像に難くない。ましてや「舞台技術に係るノウハウ等を地域の劇場、音楽堂に提供する」など余計なお世話である。地域の劇場では、もっと少人数で、短時間に仕込める技術を持っている。随行する技術スタッフをコンパクトにして巡回公演を組み、相手劇場に余分な負担をさせない程度のマネジメント能力もある。三好勝則委員が「国立、新国立を頂点にしたヒエラルキー、というわけではないが」と言っていたが、上記の文言は「ヒエラルキー意識」のなせるものである。実態を知らな過ぎるのである。困ったものである。

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