連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第十一回 公立劇場・ホールは何をなすべきか ― アーツマネジメントの原理原則 (その5)。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「認識の困難性」という言葉がある。劇場サービスの多くの部分がこれに当たる。「これを観たいな、聴きたいな」と思えば、当然チケットを購入する。購入の利便性や情報を得てから購入までの時間のショートカット化、つまり「思ったら、すぐに購入できる」という意思決定から購入までの顧客の負担するコストの削減を企図するインターネット・チケットの仕組みの導入など、改良すべき箇所は数多くあるが、ここではそれはひとまず置いて、「認識の困難性」をどう克服するかに焦点をあてる。舞台芸術という無形財のマーケティングに「認識の困難性」は常に立ちはだかる障壁のようなものである。

「認識の困難性」とは、私たちが売っているチケットは、「素晴らしい舞台を観せます、演奏を聴かせます」、「十分な満足を約束します」という「誓約」でしかない、ということだ。実際に幕が上がらなければ、それが感動的であったり、心を大きく揺さぶるものかは知りようがないのである。顧客もそのような「誓約」を購入しているにすぎない。良いものであることを「信じる」しかないのである。舞台芸術はサービスの「生産」と「消費」が同時に行われる。すなわち、その場になってみないと分からないという商品特性をもっている。したがって、事前には認識できない、知覚できない「無形性」をもっており、売り買いは「誓約」によるしかないのである。

これほど曖昧で不確実性に満ちた商取引はない。したがって、その曖昧さを売り手は何とかして「有形化」しなければならない。この「認識の困難性」が売り手に大きな困難となるのは、顧客が購入の意思決定をしてからも、実際に購入するまでの間、無意識のうちに「だけど買ってもいいかな」、「下手な買い物にならないかな」という「反対の気持ち」をもっているからだ。「行こうかな」と意思決定した人間が、実際のチケット購入行動に結び付く割合がどのくらいで、「反対の気持ち」に従う人間がどのくらいいるのかという統計データはないが、実際に手に取ったり、操作のできる電化製品などの「有形財」を購入する時でさえ、「反対の気持ち」が働く体験は誰にでもあるだろう。ましてや、その場になってみなければ、それが優良な舞台なのか酷いパフォーマンスなのか、分からないのである。この商品特性が「取引」の大きな障壁になることは疑いのないところだ。

その「認識の困難性」を克服するために、劇場・ホールは様々な「証拠固め」の手を打つことになる。つまり「無形財の有形化」をするのである。ここで注意しなければならないのが、「情報の非対称性」である。劇場の側の人間、担当者と、潜在顧客とのあいだには、実施しようとする事業の詳細についての情報が非対称である、ということである。それを見誤って広報宣伝のツールをつくると、お客様には理解不可能なものになってしまう。たとえばチラシである。内容を暗示する魅力的なキャッチコピー、デザイン、出演者の写真などで構成されたチラシもまた、「証拠固め」のひとつである。地域のみならず、東京でも、劇場に行くと多くのチラシを収集する。しかし、その多くが「情報告知」にとどまっている。「情報の非対称性」に対する配慮がない。クラシックのチラシなどは、ソリストの写真が何枚も掲載されているだけだったりする。これは、そのソリストの名前を知っている人間だけを対象にしたデザインである。「情報告知」というポリシーでチラシを作成しているからだ。顧客の入り口を自ら狭めている。東京でも、その劇団を知っている者にとっては購入促進条件になるが、知識のない人間にとってはただの「紙切れ」でしかない。「情報の非対称性」に配慮していない。「無形財の有形化」のための「証拠固め」としてチラシを作成する、という意識が欠落している。

4年前に新国立劇場の、前々年の演劇賞を受賞した岸田国士作品を買った折に新国立劇場サイドから提案されたチラシのコピーが「岸田国士が現代に甦る、あの名舞台の再演」というものだった。私はこのチラシを使うことを拒否した。可児市民にとって「岸田国士」が何者かを知らないのである。それが「現代に甦って」も可児市民にとっては意味のないことである。チケットを買おうとするモチベーションにはまったくならない。可児市民にとってこのチラシは、はじめから「無形財の有形化」という潜在顧客とのコミュニケーションを拒絶しているものでしかない。可児市民にとってもそうなのだが、たとえ東京であっても、「岸田国士」を知っている人間には「証拠固め」になるが、知らない人間には何の効力も発揮しないチラシである。「無形財の有形化」には到底ならない。ここでも、「情報の非対称性」である。チラシの大きな役割である潜在顧客の顕在化という機能をみずからの手で狭めてしまっている。デザインも、正直言って、「これは何だろう」と手に取ってみたくなる類のものではなかった。単なる「情報告知」のツール、しかも偏りのあるツールだった。

このときに採用したのが、以前に仙台の青年文化センターでプロデューサーをしていたときに手伝ってもらったことのある若いグラフィック・デザイナーである。その後、宮城大学の教員をしていたときにも何回か仕事をしてもらっていたが、とびぬけた才能の持ち主である。その後、アーラのチラシや年間ブロッシャーなど、多くの仕事をしてもらっている。コピーは、私自身が30歳前後のころに博報堂でコピーライターの仕事をしていたのでほとんど自前でやっているが、デザインに対する軽視は大いに問題がある。「認識の困難性」という特性のある商品を扱っているのである。「無形財の有形化」は避けては通れない重要な仕事である。その最初のコミュニケーションツールがチラシなのである。したがって、そのデザインとコピーはおざなりにはできない。「情報告知」ではなく、「無形財の有形化」で認識の困難性を克服するコミュニケーションのツールであり、それが併せて潜在顧客を掘り起こすのだということをしっかりと肝に銘じなければならない。

可児市文化創造センターalaの事業の多くは、事前に「関連企画」を仕組んで無形財の有形化を企図し「認識の困難性」を克服しようとしている。『向日葵の柩』を約1ヶ月半のアーチスト・イン・レジデンスで創造した時には、作者の柳美里氏とアドバイザリースタッフの朝倉摂氏の参加を得て、市民とともに「向日葵の絵」を大きなパネルに描くというワークショップが関連企画として行われた。出来上がった「向日葵の絵」は、それからおよそ40日間、どこからも見える野外に展示した。2年前の大型市民参加事業『オーケストラで踊ろう!』は、可児交響楽団の「シベリウス交響曲二番」で、市民およそ100人がコンテンポラリー・ダンスを踊るという企画であったが、関連企画として、舞台美術を担当した井上信太氏の水鳥をつくるワークショップが連日行われ、出来あがった水鳥を館内や屋根などいたるところに展示して館内を水鳥でいっぱいにした。このように大掛かりな関連企画から、関係する映画の上映という関連企画まで、「認識の困難性」を克服しようとする試みは枚挙に暇がない。

有名俳優やタレントをキャスティングするのも、無形財の有形化である。「観る前に分かる」ことが、それによって大きくなるのだ。マネジメントとして王道か否かは別にして、少なくとも顧客にとっては「証拠固め」にはなる。最低限の品質保証にはなる。ただし、アーツマネジメントの使命は一言であらわせば、「顧客創造と維持と進化」である。その点から言うと、この手法は「一過性」の集客であり、たとえ満席になったとしても瞬間最大風速であって、「顧客創造と維持と進化」というプロセスとは無縁である。したがって、有名俳優やタレントのキャスティングは副次的なマネジメントと捉えておかなければならない。「無形財の有形化」となるものの、劇場経営の視点からはその効果は継続性に欠けるからである。

もっとも有効な「認識の困難性」の克服は、劇場それ自体のブランディングである。劇場それ自体をブランド化することで、「あそこでやるものなら間違いがない」という「証拠固め」になる。「無形財の有形化」はほとんど完璧である。「だけど買ってもいいかな」、「下手な買い物にならないかな」という「反対の気持ち」は、ほとんど封じ込められる。そのためにアーラがやっているのは実に基本的なことである。サービスの品質を守ることと、ホスピタリティを徹底することである。その点については「真摯さ」を遵守する。たとえば事業については、可児市民の価値観、生活信条、社会観などの「半歩だけ前に行く」舞台や演奏を、その品質を最重視して創造し、あるいは選択購入している。この「半歩だけ前に行く」というニュアンスは説明しにくい。可児市とその周辺地域を含めたおよそ30万商圏の地域性やそのメンタリティを熟知したうえで、想像力と創造力が最大限に働く鑑賞行為となるような「半歩だけ」の環境になる。何歩も先に行くものでは、想像力と創造力が働きにくくなってしまう。そうなると鑑賞後の達成感にかけてしまうし、当然満足度は低くなる。言うまでもないが、「顧客維持」と「顧客進化」は非常に困難となる。これは可児市でのマネジメントの考え方であって、都市部ではまた違った顧客政策になるだろう。

劇場のブランディングを進めるためには、供給するサービスとホスピタリティの隅々にまで目を配る神経が要求される。たとえば、フル・オーケストラのコンサートの前に、可児市文化創造センターalaでは、「ビフォーディナー」という、弦楽四重奏などの生音楽を聴きながらフルコースの食事を楽しむ機会を設定している。劇場内のレストランは業者が入っているのだが、メニューのチェックは厳しくしている。就任してすぐに始めた「ビフォーディナー」だが、はじめレストラン側が出してきたメニューは、ビュッフェ・スタイルの立食形式で、大皿のパスタやサンドイッチ、ピラフのようなものでしかなかった。すぐに社長を呼び出して、ビフォーディナーで商売して今日の利益を取ろうとするな、明日の利益を生む機会とするように、と厳しく言った。職員手づくりのネームカードのある席に着いて、ゆったりと音楽を楽しみながらのフルコースを楽しむ、しかもメインにはローストビーフの切り分けをパフォーマンスとして見ていただきながら食していただく。この味が良ければ、レストランの評判はバズマーケティング(クチコミ)で広がる。100人の参加者はバズスターターとなる、と社長を説得して、アーラのビフォーディナーは「良質な晩餐会」となった。その後、レストランが売り上げを伸ばしたことは言うまでもない。食事だけに劇場にいらっしゃるお客様もいるくらいである。いまでは業者の最優良部門となっているくらいである。これもまた、「無形財の有形化」である。ここのメニューが、「黄色いカレー」と「赤いナポリタン」と「煮つめたコーヒー」という、一般的な公立ホール内のレストランメニューであったら、可児市文化創造センターalaのブランドはキズものとなってしまう。信用を失うのである。劇場内で起きることについては一滴の漏れも許さない「気配り」と「真摯さ」が必須であり、それがブランド価値を創り上げ、ブランド価値を進化させるのである。

劇場やホールは、舞台芸術とは異なり有形物である。しかし、有形物であっても、それを居心地の良い劇場、心安らぐ劇場と思っていただくためには、先の事例とは逆に、無形財化しなければならない。それが劇場・ホールという建造物のブランディングである。コダックはフィルムという有形財を売っているのだが、本当に売っているのは、顧客が受け取る「色鮮やかな思い出」である。劇場のブランディングにも同様のことが言える。私たちが提供しているのは、私たちの「事業定義」にある「私たちは<経験価値>と、そこから派生するかけがえのない<思い出>と、さらに新しい価値による行動の<変化>とその<生き方>」である。可児市文化創造センターalaは「事業定義」にあるような無形財を提供しているのである。その有形物の無形財化が、無形性の舞台芸術を有形財化するという好循環を起こすことは言うまでもない。

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