連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第十回 公立劇場・ホールは何をなすべきか ― アーツマネジメントの原理原則 (その4)。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

サービス・マネジメントで最も重要なことは、顧客がどのような印象を受けるかに尽きる。したがって、サービス・マネジメントに携わる人々は、顧客の心象を左右する要因に大きな注意を払うべきである。サービスを見直せば、顧客によりよい経験を与え、素晴らしい思い出を残すことが出きるはずだからだ。 サービス・マネジメントに携わる人々がその成果を実践するためには、イマジネーションを働かせる必要がある。顧客の身になってその経験を自分でたどってみることである。
(リチャードB・チェース スリラム・ダス『サービス・マネジメントの心理学』)

「居心地の良い劇場」とはどのようなものなのだろうか。来館者がくつろいだ時間を過ごせる劇場とは、いかなる雰囲気で満たされる空間であるのか。普通、劇場・ホールを経営する側は、気を配っているとしても鑑賞条件のみに対してであり、そのことによって顧客の期待感を高めようとする。笑顔を絶やさないフロントスタッフの対応、館長や芸術監督や経営監督の確信に満ちた来場するお客さまへの穏やかな眼差し、期待感に満ちた会話の交わされる客席のリラックスした雰囲気などに気を遣うのは当然のことであるが、可児市文化創造センターalaでは、前述したバースデイ・サプライズ(本連載 第六回「創客」の仕組みづくり―顧客志向のマネジメントその3参照)実施することで、「驚きと喜びと感謝」を演出している。

その月にバースデイを迎える御当人のみならず、その周囲の人々にアーラの顧客サービスへの姿勢を知らせて、可児市文化創造センターalaが鑑賞施設にとどまらないアットホームな場所でもあると感じていただき、開演前のある種の緊張を解いて劇場の空気を和ませる。自分たちの「居場所」であるとの認識を顧客に持ってもらうことが、素晴らしい鑑賞体験を劇場内にとどまらせず、日常の生活に戻ってもその経験価値と、そこから生じる記憶を反芻するようになる。したがって、この種のサービスがそのための必要条件であると私は考えている。劇場における顧客の心に明るさと温かさを演出することは肝要である。鑑賞体験が劇場内で自己完結してしまうようでは、マーケティングの観点から言っても、その顧客が固定客や優良顧客、リピーターには決してならない。

私たちが、市民や商圏の顧客の価値観や生活感を慮って、自信を持って提供できる舞台を創造し、あるいは選択するのは当然であるが、それだけでは顧客の心を激しく動かすことはできない。鑑賞体験が「点」であってはいけないのだ。これを「線」に、そして「面」にする仕組みを稼働させなければならない。「パッケージチケット」や「ビック・コミュニケーション・チケット」などのチケット制度(本連載「創客」の仕組みづくり―顧客志向のマネジメントその【1】【2】参照)も、「点」を「線」にする仕組みの一つとして考えられたものである。

「居心地の良い劇場」とは、チケットという対価を支払っていない来館者にとってもそういう場所でなければならない、と私は思っている。むしろ対価を求めない接遇こそが、劇場のようなサービス業に肝要な「ホスピタリティ」と言える。これが民間の興行会社ならば鑑賞対価を支払った人間だけをサービス対象にすればよいのだが、税金を徴収されている拠出者を含めてすべての市民を視野に入れてサービス対象と考えなければならない公立劇場・ホールは、すべての来館者にとって「居心地の良い劇場」でなければならない。そのためのマーケティングの第一歩は、来館者が劇場から「歓迎されている」と感じられる、劇場サイドの「ホスピタリティ」である。「ホスピタリティ」とは、対価を求めない心配りや気遣いや思い遣りや誠意のことである。これらは、私たち職員の働きかけに対して「大事にされている」と感じる気持ちによって成立する他者とのコミュニケーションである。報酬や対価を求めての行動では決してない。報酬は相手から発せられる「喜び」や「感謝」や「親しみ」などの無形の感情である。その意味では、「バースデイ・サプライズ」で館長の私が席まで御挨拶にうかがうサービス設計や、冬のイルミネーションの毎日行われる市民の点灯式に幹部職員が出そろってハッピーバースデイを歌ったりカウントダウンをしたり、記念写真をその場でカードにしたりというサービス設計も、市民に対する「ホスピタリティ」の仕組化である。

たとえば私は職員に対して、見知った顔のお客さまを見かけたら「おはようございます」、「こんにちは」、「おつかれさま」などの言葉を必ずかけるように指示している。名前が分かるなら「何々さん」と前後のいずれかに付けるようにと言っている。言ってしまえば、挨拶をするように、ということなのだが、これは儀礼としてのあいさつではない。「私たちはあなたに関心を寄せています」というメッセージとして挨拶をしなければならないと言っている。いわば、「人間」に示す愛情の第一歩が挨拶であり、「関心があります」というメッセージなのだ。この「ホスピタリティ」をルーティン化するためには、職員の資質というものが大きく関わってくる。第一に「人間が好き」なこと、第二に「楽天的な温かさと明るさ」、第三に何事にも関心を持って新しいことを学ぼうとする「知性」、第四に他人を喜ばせる自分の仕事への「誇り」と「モラルの高さ」、第五に他者の心に気を配れる、思いを馳せることのできる「共感性」、第六に「誠実さ」と「真摯さ」、第七に「自分の気分をコントロールできる自制心」の七つのマインドが重要となる。

お客さまやアーチスト相手の劇場という職場で「人間が好き」なのはもっとも基本的な資質である。私が就任した当時にはコミュニケーションができない職員がいた。だいたいコミュニケーションが苦手な人間が劇場に職を求めること自体に無理がある。どれだけ高い知性を持ち合わせていたとしても、不適である。大人数の職場ならまだしも、30人足らずの零細企業なみの「商店規模」の組織では、一人たりともコミュニケーション不全は許されない。総体的な「知性」は相手とのコミュニケーションを円滑に進めるうえで欠かせない。「知性」が「明るさ」や「温かさ」や「共感性」につながっていく。仕事への「誇り」や仕事に対する「モラルの高さ」は、業務と経験を重ねる過程で育まれていく。失敗も学習の機会、成長の機会とする職場の考え方が職員を育てていく。「誠実さ」と「真摯さ」は、人間に対する愛情のあり方であり、「人間が好き」であることが前提となる。問題は「自分の気分をコントロールできる自制心」である。場合によっては、気分をコントロールするということは強いストレスともなることで、自制心を働かせるには「人間としての大きさ」が必要になってくる。気分次第で「人間が好き」になり、「人間嫌い」にもなられては困るのである。したがって、「気分」をコントロールできる能力が不可欠となる。これらの七つのマインドは、インターナル・マーケティング(職場内部の関係づくり・意欲的な職場環境)を創り上げるうえでも重要なファクターとなる。インターナル・マーケティングがうまく組み上がってこそのお客さま対応なのである。当然、人事採用や人事管理のうえでも、無視することはできない職員のマインドである。「居心地の良い劇場」は良好な職場環境から生まれると言っても過言ではないだろう。相手の心を慮って行動できる能力 ― 「ホスピタリティ」に求められる資質は、やはり「想像力と創造力」である。

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