連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第五回 「創客」の仕組みづくり ― 顧客志向のマネジメント(その2)。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

就任してすぐにお客さまがどのようにチケットを入手しているのかを聞いて、いささか驚いた。午前9時から午後7時まで開いているインフォメーション・デスク(いわゆるボックスオフィス)に、アーラまで車でいらして、現金でチケットを購入しているということだった。それはそれで行動心理学的には「期待感」を高めることにはなるのだが、劇場までの往復の時間と労力というコストをお客さまに負担させているということでもある。そのうえに他のチケット入手の選択肢がまったくない。ともかくもお客さまに足を運んでいただくしかないのである。どこの公立ホールでもよくある委託販売のプレイガイドも可児市にはなかった。これは劇場サイドの怠慢であると私は思った。完全な待ち受け型(waiting mood)のチケット販売方式であった。これは早急に改革しなければならない。あわせて、チケットの管理(票券管理)は、事業課の職員の一人が兼務するかたちをとっていた。お客さまにとって劇場とつながる最初のポイントがいかにも軽視されている。さらに、劇場との最初のコンタクト・ポイント(CP)であるインフォメーション・デスクの外部委託職員と劇場の職員コミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。お客さまにとっては最初のCPが劇場の評価を決める。これも改善点として、併せて考えなければならないことだった。

非常勤の週3日勤務でアーラの「現在」をつぶさに観察した後、しばらくして来年度からの組織改革の案を事務局長に提案した。チケットの管理、マーケティング、ブランディング、企業メセナ、ウェブサイト管理等を所掌する部署として翌年度からの「顧客コミュニケーション室」の新設である。公演のチラシの作成は、これも新設する「事業制作課」の担当に委ねることとした。事業の内容を熟知しているのは事業制作課の担当者であるからだ。「顧客コミュニケーション室」の仕事の最終的なミッションは、可児市文化創造センターalaのブランディングであり、基本的には社会、地域社会、市民との双方向のコミュニケーションを柱とする。あわせて、CPとなるインフォメーション・デスクとの密なコミュニケーションによって情報と思考の方向性を共有することを業務とした。事業関係は、創造事業課(鑑賞事業以外のワークショップ等を担当する)と事業制作課(いわゆる買取り型の鑑賞事業を担当する)に分けられていたのを事業制作課に統合した。「創客」の考え方から、ワークショップやアウトリーチなどの創造事業と鑑賞のための公演事業が一体化しなければならないと考えたからである。

「顧客コミュニケーション室」の新設の先には、インターネット・チケット制度の導入を視野に入れていた。顧客コミュニケーション室のコンピュータでチケットを一元管理する省力化は、内部的には必要であるし、お客さまが自宅に居ながらチケットを予約でき、決済できるようにすることで、お客さまが支払っている無駄なコストを限りなくゼロに近付けることができる。それが、チケット購入の間口を飛躍的に広げると考えた。東京圏の劇場・ホールは、芸術愛好者のデマンド(欲求)を前提としてチケッティングが考えられているが、地域においては、ましてや人口10万人の可児市においては、愛好者以外の市民の潜在的なニーズにまでアプローチできる仕組みとブランディングが必要であると考えた。それだけに、チケットを購入する際の余分な手間をできるだけ排除する必要があった。お客さまがチケット購入の際に支払うコストを極限まで削減できるシステムでなければならなかった。ましてや、私の構想するチケット制度は、東京のそれよりも四半世紀は先に行っているものであり、それにも対応しているか、あるいは将来対応できるにしてもコスト負担のないソフトでなければならない。チケット制度が進化するたびにコスト負担が大きくなるのでは経営を困難にする。

就任直後からコンピュータ・チケッティングの導入を提案していたが、第一にそれまでのオーガスというチケット管理ソフトを破棄するコストと労力の負担の問題があった。オーガスはチケット管理のみのソフトであり、私が想定していたのはコンピュータ画面上でチケットを予約し、決済できる仕組みであり、全面的にチケッティングの仕組みを総入れ替えするのである。しかも、オーガスのチケット管理は前時代的であり、すでにその時点で陳腐化していた。早晩破棄するしか選択肢はない。この時期にチケットシステムを総入れ替えするコストを支払っても、「明日」に投資できるシステムを選択すべきとの経営判断が私にはあった。典型的なイノベーションの局面であり、意思決定であった。私には、チケットぴあよりもローソンチケットよりも先に行ける可能性のある、しかも廉価な負担で済むシステムの導入でなければ、オーガスの廃棄に関わるコスト負担に見合うとは言えないと思っていた。さらに、マーケティングに必要な統計数字のアウトプットが比較的容易に、しかも職員の労力だけで社内的にできるシステムであることが望ましい。オーガスは、その都度に多大な請求書が送られてくるシステムであった。要するに、マーケティングの統計的な判断材料をいつでも必要な時にすぐにアウトプット出来なければ、マーケティング・ツールとしてのチケッティング・システムとは言えない、と判断していた。

第二には、導入に反対意見はなかったが、「インターネットに可児市民が対応できるか」という懸念が行政からの派遣職員のなかにあった。いわば慎重派の存在である。私はブロードバンドの岐阜県の普及率を調べ上げ、全国平均を上回っていることを示した。さらに、50歳代まではみもうすでに会社でインターネットを使って仕事をしているし、これからはそういう世代がリタイアしていくわけで、コンピュータを使いこなせる人口は増えることはあっても、減ることはない。すなわち、インターネット・チケット・システムの導入は「明日への投資」になると主張した。ともかくも慎重派を説得するためにトライアルをすることとなる。事業としては、急遽私が決めた緒形拳さんの一人芝居『白野』になった。システムとしては、㈱リンクステーションのゲッティ(Gettii)をトライアウトすることにした。結果としては、可児市内の購入者が53%、それまでほとんどいなかった愛知県内・名古屋市からのアクセスが9%に上った。インターネットを使うことで、マーケットが広がったのである。インフォメーション・デスクの閉まっている時間外の購入者が半数を超えて51%となり、しかもほとんどの購入者が、当時2軒しか可児市内になかったコンビニエンスストア(セブンイレブン)で発券していた。これは、新しい消費行動であり、ライフスタイルの変化を強く予感させるものであった。しかも、クレジット決済がおよそ40%であり、これがのちの窓口へのクレジット決済システム導入の根拠となる。クレジット決済の分析では、クレジット決済だとメンタル・アカウンティングが働いて、売り上げがおよそ6.59%伸びることが分かった。現在では、窓口でのクレジット決済は40%を超えている。

いずれにしても、ゲッティの導入は、アーラに大きな「変化」をもたらすことになる。むろん、その仕組みが市民に理解されるまでのタイムラグはある。しかし、それがライフスタイルのなかに組み込まれれば、チケッティングに安定性をもたらし大きな力となる。ただ、ゲッティのようなインターネット・チケッティング・システムを導入さえすれば、おのずとチケットが売れるようになるというのは大きな「誤解」である。インターネット・チケッティングは、魔法の箱でもなければ、打ち出の小槌でもない。「ゲッティを導入したのだが、チケットの売り上げが伸びない」と東北のあるホールの館長から言われたことがある。原因はすぐに明らかになった。ウェブサイトの改良がまったく為されておらず、サイトは以前のままの魅力に乏しいものだった。インターネット・チケットによるチケット販売は、ウェブサイトの魅力と強く関連している。更新が頻繁に行われ、読み物としても、情報収集としても、魅力的なサイトでなければ、まずそこにユーザーは訪れない。「入口」で顧客を拒絶しているに等しい。当然だが、したがってウェブサイトの更新に専任の担当者がいなければならない。アーラでは顧客コミュニケーション室の一人の職員が更新を担当している。

次いで大きなチケッティング改革は「パッケージ・チケット」であるが、その詳細は前回述べた。しかも、常勤年度からは、パッケージ化を想定した事業選定をすることが出来て、魅力度と期待度をさらに高度化することが可能となる。2011年度からは、自分の好みで4公演のチケットをパッケージできる「アラカルト・パッケージ」を新規に導入することになった。パッケージ・チケットは、シングルチケットでは決して買うことのなかった公演との「幸福な出会い」を起こさせる企図のある仕組みだが、分野横断的にいろいろな舞台を鑑賞したいという要望が市民からあり、それをかたちにしたものが「アラカルト・パッケージ」である。もとより、音楽や演劇の分野を超えた良き鑑賞者を可児市に多く育てたいと思っており、分野横断的なパッケージは「ウエルカムホーム・パッケージ」に次いで二つ目のパッケージである。今年度は81パッケージが売れている(6月27日現在)。それか多いか否かは即断できないが、この種のパケージは、初年度からはおよそ4倍の販売数になっている。

次いで、「DAN-DANチケット」、「ビックコミュニケーション・チケット」を制度として設けることになる。これは、「装置型産業」である劇場に「一物多価」という考え方を導入して、顧客の経験価値を高めようと考えたものだ。理屈は簡単だ。音楽でも演劇でも、限りなく満員の状態で鑑賞する方が空席の目立つ客席で鑑賞するよりも絶対に「受取価値」は高まる。至極当然な理屈である。経験的には誰もが感じていることではあるはずなのに、それに対する対策が、民間も含めて、何処も為されていない。

日本では、前売券よりも当日券の方が割高に設定されている。当日券の方が席は悪く、鑑賞条件が劣るのに、である。経済合理性はまったくない。これはかつて、芸術団体が公演に向けての運転資金を公演前に入手したかったからにほかならない。つまり、芸術団体の経済的な困窮、自転車操業が編み出した方式である。あまり他の国にはないのではないか。芸術団体なら分からないわけではないが、この前売りディスカウント制を日本では公立劇場・ホールも未検証で踏襲している。そして、誰もその「不思議」を考えない。何ともおかしくはないか。私はその経済合理性のなさを以前から指摘してきた。アーラも私が就任する以前はそうであった。「DAN-DANチケット」は、その不合理性を糾して、なおかつ顧客の経験価値の最大化を企図して考えられた制度である。公演の2週間前から15%OFF、公演当日はインターネットでは午前零時から、窓口でも当日直前まで50%OFF(ハーフプライス)になる仕組みである。ハーフプライス・チケットは、米国ではブロードウェイのタイムズスクエア、英国ではウエストエンドのレスタースクエアにその売り場がある。その嚆矢は、芸術経済学の古典的名著『実演芸術 その経済的矛盾』の著者のひとりボウモル博士の提唱で、開演と同時に価値を失う空席を半額であっても販売する方が合理的である、という経済学的根拠で始まったものである。ただ、アーラのハーフプライスは、売る側の合理性ではなく、正価で購入した顧客の経験価値を高めるために仕組まれた制度で、出発点は顧客の「受取価値の最大化」である。

DAN-DANチケット導入の提案をした時に、主に行政から派遣されている職員から「ハーフになるまで購入を控えるのではないか、正価の顧客とディスカウントの顧客が混在するとクレームの原因になるのではないか」という懸念が出された。前回のパッケージ・チケットの説明でも書いたが、誰にでも良い席で鑑賞したいという欲求がある。「安くなるのを待つ」か「良い席で見たいか」の選択である。経済合理性はないが、良い席を手に入れたいという欲求が往々にして勝つ。行動経済学とか経済心理学と呼ばれる研究の知見である。クレームはあり得ない。今日では、マイレージで特典航空券を使っている人の隣に数万円の正価で購入した航空券の人間が座っている。我々の生活の中には「一物多価」はいたるところにあり、日常化している。クレームになりようはない、と私は判断した。この制度でディスカウント・チケットの入場顧客割合は、9.5%から11.4%(サンプルはフルオーケストラのニューイヤーとサマ―・コンサート)である。ほとんどが正規の金額で購入されたお客さまであり、その正規料金の顧客の鑑賞環境を高度化するためにDAN-DANのお客さまが寄与している、という狙い通りの結果が出ている。あわせて、劇場産業は、廉価なら購入するという「価格弾力性」が比較的小さいことが証明されたと思っている。「価格弾力性」が大きければ、ディスカウント・チケットの比率がもっと大きくなるはずである。

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