連載 館長 vs 局長	「公共劇場」へ舵を切る その理念と経営の実際

第三回 最悪の職場環境から創造的な現場へ、その改革の作法。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

アーラに初めて出勤した日のことは忘れようにも忘れられない。事務所に入ってデスクに座り、事務室を見まわすと、何をしているのか分からないがひたすらコンピューターのモニターに向かっている職員、技術職員の上から目線の言動にナーバスになっている制作職員、事務室の空気は濁って、しかも淀んでいた。正直言って、「困った」というのが実感だった。当時の制作職員が「アマチュア」なのは一見してすぐに分かった。制作事務ではなくて、買い公演の一般事務をしているに過ぎないと思ったからだ。技術職員の「その程度のことが分からないのか」という気分は公平に言って理解できた。それでも、制作職員が技術職員に隷属するのは、文化的な仕事をしている、しかも近い将来に創造的な事業経営にシフトしようと考えている私には、職場の雰囲気としては最悪の条件であった。

前館長からの申し送り事項は二点だけ。「○○(職員名)には気をつけろ、行政からの派遣職員も気をつけろ」だった。それから類推して想像はしていたが、事態は想定を超えていた。可児市文化創造センターalaから「館長に」という話があって、総務省のキャリア官僚や文化関係を所轄する団体のエグゼクティブなどに相談したが、答えは決まって「内部が混乱しているからやめた方が良い」という反応だった。それでも県立宮城大学を辞して可児市にシフトしようと思ったのは、人生最後の職場は現場でありたい、という気持ちがあったからだ。

北海道劇場計画に7年間主査として携わっていて、知事交代と同時にその計画が「凍結」されてしまった。日本に前例のない劇場を、という思いから相当につくり込んだ計画だっただけに「理想的な地域劇場を創りたい」気持ちの挫折から、年齢を考えるともう二度と劇場経営には関与できないと思った。それがあって職場を研究室にシフトし、若い学生・院生にそのDNAを移すつもりだったから、可児からの話には、迷いはなかった。可児市文化創造センターalaの劇場としてのポテンシャルは非常に高いと評価していたし、私の劇場経営や事業経営の知見や手法からいえば、零から出発しても3ヶ年あればとりあえずの到達点に辿りつけるだろうという思惑もあった。それにしても、事務室は酷い雰囲気だった。「零から」、というよりも「マイナスから」の出発であった。谷底から谷の深さと山の高さを同時に見上げている、という気分であった。就任した一年後に分かったことだが、私が来る前には午前2時まで糾弾集会が開かれたり、怪文書が流れたりしたようである。相談した方々が「やめろ」と言った意味をその時点で納得した。職場の雰囲気が酷かったのも宜なるかな、である。

館長室から出る、という私と事務局長らとの思惑が図らずも一致して、私は事務室のデスクで仕事をすることになった。館長室は応接間としての用途と、のちに始めることになる「館長ゼミ」の教室がわりに使うことになる。職員全員を見渡せる位置に事務局長と机を並べることになって、あらためて事務室全体を観察してあらためて分かったのは、「会話がない」、「笑い声が聞こえない」、すなわち職員間のコミュニケーションが最低限しか起きていないという「事実」だった。文化の仕事をする雰囲気ではなかった。仕事の90%が市民やアーチストなどとのコミュニケーションである仕事場の雰囲気ではなかった。

私は就任してすぐに四つの「小さな改革」をした。一つ目は事務室の真ん中に4人掛けのテーブルと椅子を設えさせることだった。100円ショップに行ってバスケット二つを購入して、山盛りのお菓子を持って出勤した。そして、そこにコーヒーポットを置くように指示した。事業に関する打ち合わせをはじめ職員間の交流のための「止まり木」をつくったのだ。当初は誰も寄り付かなかったが、やがて打ち合わせや親しいお客さまに茶菓子を出してコミュニケーションをする場となった。二つ目は、私が大声で喋り、一番大きな声で笑う、ということだった。トップの私が大声で喋り、笑えば、職員に「遠慮」がなくなるだろうという考えが私にはあった。三つ目は、見知ったお客さまを見かけたら、きちんと相手に伝わる声で「おはようございます」、「こんにちは」、「ありがとうございます」、「お疲れさまです」の挨拶をかけることだ。

これは、私が阪神淡路大震災の折に神戸の仮設住宅で活動した経験から必要と思ったもので、挨拶は習慣や儀礼ではなく、「あなたに関心があります」というメッセージであるということだ。仮設住宅で生活している人たちには、「孤立感」とか「取り残され感」がある。挨拶を大きな声で掛けることで、「あなたに関心があります」というメッセージを相手に伝える。自分に関心を持っている人間がいる、というだけで挫けそうな気持は支えられる。劇場では挨拶の効用はそういうことではないが、すくなくともマーケティング(関係づくりの作法)の第一歩になる、しかもアーラと職員が明るくなったという印象を市民に与えることができる。

四つ目の改革は決して「小さな」ものではなかった。制作職員にアーツマネジメント、アーツマーケティングの意識と技術、公共施設としての使命を教えて、専門性を高度化することだった。これは根気のいる仕事だった。On The Job Training(現場の仕事を通して技術向上を図る)と、Off The Job Training(文献や資料にあたって知見を高めて創造的に問題解決をする能力育成)を組み合わせて、現場と学習の往復循環運動が各自のなかで出来るようにする方法を採った。ドラッカー、コトラー、レビット、バーンスタインに触れながらの2週間に一回の「館長ゼミ」はそうして設けられた。これへの参加は業務命令である。あわせて、折あるごとに、「言葉を共有する」、「言葉を揃える」という私の組織論を、現場の仕事と「館長ゼミ」での学習の両局面で推し進めた。「社会機関としてのアーラ」、「芸術の殿堂より人間の家へ」、「私たちは崇高な芸術ではなく人間の仕事をしている」、「私たちは興行ではなく経験を提供している」が、職員と共有している言葉である。このすべてに共通するのは「顧客志向」である。

「踏み分けし 麓の道は多かれど 同じ高嶺の月を見るらん」という相聞歌がある。逢瀬を楽しむために麓の沢山ある道のひとつを私は登っているが、他の路を今頃登っているだろう貴女も、きっとあの月を見ていることでしょう」という恋歌である。私の「組織論」は、この「高嶺の月」さえ見ていれば、どんな登り口からでも、どんな登り方をしても構わない、というものだ。日本人はともすると同じ道を、足並みをそろえて歩くことを組織的に職員に求めることが多い。その方が「まとまっている」という感覚が持てるのだろうが、それでは、職員個々の「強み」は薄められてしまう。職員一人ひとりの「強み」を最大限活かすための組織論がこの「高嶺の月」を共有することである。「強み」を最大限に活かし、「弱み」を薄めて、無力化するヒューマンリソース・マネジメントである。「言葉の共有」とは、この「高嶺の月」であり、組織で言えば「ミッション」である。同じ月を見ていることが職員たる条件で、違う月を見ているのなら職を辞してもらう。厳しいかも知れないが、これは組織が進化していくための最低の条件である。なぜなら、「言葉を共有する」あるいは「言葉を揃える」ことで、コミュニケーションが起きる最低必要条件が満たされるからである。コミュニケーションの成立とは、受け取る側のアンテナによるところがすべてである。さらに、発信される言葉と受信される言葉が揃うことがコミュニケーションの前提であり、それによって化学反応が起きる。化学反応だから、当然「新しい価値」を生み出す可能性を孕んでいる交流と言える。職場を活性化して成果を外部に生むためには、この「言葉の共有」や「言葉が揃う」ことが必須の条件となる。

今年は新規採用の職員が4人と、役所から新規派遣された職員が1名いる。彼らには「館長ゼミ」とは別に、2週間に一度の「新人ゼミ」を設けて、3ヶ年ですでに専門性を持った先輩職員に追いついてもらうために基礎的なアーラの経営理念と手法を学んでもらっている。アーラのブランディングが進んだせいで、昨年の公募には全国から50人弱の受験者があった。12倍を超える倍率のハードルをクリアして残った人材である。それぞれ優れた能力を持っており、遠からず「人財」になってくれるだろうと期待している。

公共文化施設を批判する時の常套句のひとつに「行政からの派遣職員が何をするにしてもネックになっている」というのがある。大抵は、アーチストかアーチスト寄りの者から発せられる批判である。「アーチスト=善、行政=悪」という二項対立型の考えである。これは、同じ意味で、「アーチストやアーチスト寄りの人間が何をするにもネックになる」でもある、と私は思っている。創造現場における「絶対的な自由」を得たいのならば、アーチストは自己責任でやればよいのである。公共文化施設は、強制的に徴収した税金で設置し、運営しているのである。その大前提からすべては出発する。その地域社会や住民に対する責務があり、責任も生じる。劇場・音楽堂の「所有者」は市民であり、住民である。全国の劇場・音楽堂にアーチストを芸術監督として派遣すれば「ハコモノ公共ホール」は劇的に変化するという平田オリザ氏や芸団協の考えは短絡的に過ぎる。

そういう仕事のできるアーチストも中にはいるだろうが、大半は前提でつまずく類の意識の持ち主である。そして一番困るのが「アーチスト寄り」の現場を知らない研究者や評論家、言うところの「有識者」である。研究室や机上で学習した「方程式」ですべての問題が解決できると思い込んでいる。万能感さえ漂わせている。しかし、現場での「応用問題」は、方程式を知っているだけでは決して解けない。劇場現場はすべてが「応用問題」なのである。劇場経営は、一瞬々々のすべてが「応用問題」である。そんな彼らは多くの場合にほとんど例外なく「アーチスト=善、行政=悪」という論理で物事を判断する。行政を叩く方が楽だからである。アーチストを批判するのが憚れるからである。なぜ憚れるかは、読者の想像力に任せることにしよう。

「少なくとも」と一応断りを入れておいた方がよいかもしれないが、可児市文化創造センターalaの行政からの派遣職員は、まったく問題はない。私の経営手法はまったく前例のないことばかりであるが、それを阻む者は皆無である。むろん、経営学的見地や行動経済学的見地から言葉を尽くして論理的に説明をする。当然である。盲目的に私に従われては劇場経営のリスクヘッジとならない。私は「裸の王様」となるばかりである。しかし、「前例がない」という反対意見は、うちの行政からの派遣職員の口から聞いたことはない。チケットシステムだけとっても、民間でも「前例のない」ことばかりをやっているのに、である。それはやはり、「館長ゼミ」を通して「言葉を共有する」、あるいは「言葉を揃える」という手続きをしっかりと踏んでいるからに他ならないだろうと思っている。そして、さらには私の経営方針と劇場のミッションが、可児市役所とも共有できるものであることが大きい。可児市文化創造センターalaは可児市役所の政策手段であり、ともに目指すところは可児市を住みやすい、いのちの格差のないまちにすることである。ここでも「高嶺の月」である。行政からの派遣職員が、一番それを実感しているのではないだろうか。二項対立型の経営は何も生まない。生産的ではない。そればかりか、劇場への投資を無駄なものとしてしまう。

むろん、行政からの派遣職員には行政マンとしての体質や矜持はある。それはそれで私は認めている。同時に、長いこと域内で仕事をしてきた行政マンでなければ持っていない情報や多様な人間関係、団体とのリレーションシップという「強み」がある。それを劇場経営にどのように活かすかが、経営責任者のマネジメント手腕にかかっている。何処から、どのように登っても、「高嶺の月」さえ見ていてくれればよいからである。いわゆる「行政批判」は、一部の特殊な派遣職員の行き過ぎた矜持や職務意識を一般化して「すべて駄目」と乱暴に腑分けしているに過ぎない。マネジメントする側に問題あり、と考えるべきではないか。

全国の公文協から呼ばれて講演をする機会が多い。そんな折に交流会で聞かれる言葉は、館長職や管理職からは「うちの職員には意欲がなくて」であり、一般職員からは「うちの館長は思い切ったことができない。ブレーキばかり踏んでいる」、「館長や課長は何でも承知していないと気が済まない」である。私の同じ講演を聴いての両者の言葉である。互いに壁をつくって引き籠っているのである。当事者にとって大変に不幸なことではあるが、何よりも不幸なのはその地域に住んでいる市民である。特効薬の処方箋は、ともに「市民のために、地域のために仕事をしている」ことに気付くことである。「市民主権」を肝に銘ずることからしか始まらない。そのうえで自分から歩み寄って、腹蔵なくコミュニケーションを図ることしかない。コミュニケーションを活発にするには、「言葉を共有する」ことであり、「言葉を揃える」ことである。その機会を設けることしかない。館長を責めたり、職員を苛んだりしても、何ひとつ解決はしない。相手を変えたければ、自分が変わることである。心を開いてもらうには、まず自分が心を開くことである。頑なに自分を変えないで、相手だけを変えようとするのは理に叶っていない。ほとんど「暴力」でさえある。

職場をつくっているのは自分たちである。したがって、自分たちが動かなければ何も変わらない。あわせて、職員はお客さまと接触する最前線のCP(コンタクト・ポイント)である。このCPに関わる人間が気持ちよく、誇りを持って働かなければ、職場の淀みと濁りはお客さまに伝播してしまう。したがって、職場の改善は、CPに関わる職員に働き甲斐のある環境を用意することである。管理職はその環境を整えるのが仕事なのである。出来るかぎりの権限の移譲、すなわち「まかせる」ことが肝要となる。そのことで職員は大きく育つ。失敗は学習の機会であり、成長の機会である。「管理する」のは、管理職の副次的な仕事でしかない。そう考えると、職場の雰囲気を変えるキーマンは、管理職であり、その意識改革と言えよう。館長や局長や課長は、ほっておいても「館長」であり、「局長」であり、「課長」なのだ。裃を脱いで、職員の目の高さまで下りて行けば見える「景色」は変わってくるだろう。文化的に、そして創造的に変えられない職場は決してないのである。変えられないのは「意識」であることに気付くべきである。自分だけの城に閉じこもっている「意識」の扉を自ら開くことからしか始まらない。それは一般職員にも言えることなのは言を俟たない。

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