1. HOME
  2. 特集
  3. 劇評:日英共同制作公演『野兎たち MISSING PEOPLE』

SPECIAL

特集

劇評:日英共同制作公演『野兎たち MISSING PEOPLE』

野兎たち
野兎たち
野兎たち

執筆者:小島祐未子(演劇ライター・編集者)

作 :ブラッド・バーチ
翻訳:常田景子
演出:マーク・ローゼンブラット + 西川信廣

出演:スーザン・もも子・ヒングリー、小田豊、七瀬なつみ、サイモン・ダーウェン、アイシャ・ベニソン、田中宏樹、永川友里

2020年2月22日(土)- 2020年2月29日(土)計7公演
可児市文化創造センターala・小劇場

可児市文化創造センターが初めて国際共同制作を実現させた。パートナーとなったイギリスのリーズ・プレイハウスとは2015年に提携を結んでいるが、衛紀生館長にとっては1998年から交流を深めてきた劇場でもある。念願叶った今回、キャスト、スタッフどちらにも日英の精鋭が並ぶ理想的な運びとなった。

新作『野兎たち MISSING PEOPLE』は、受賞歴もあり活躍著しい劇作家ブラッド・バーチが日本を取材し、可児市を舞台に書き下ろした家族劇。それをプレイハウスのマーク・ローゼンブラットと文学座の西川信廣が共同演出している。見事だったのは字幕の電光掲示板を舞台美術と一体化したこと。それは時に本棚になったり神社の鳥居になったり、あるいは風景が映し出されることもあり、可動式なので字幕も縦横いろんな位置で表示されて驚かされた。

モチーフのひとつには「失踪」がある。大阪の釜ヶ崎を訪れたバーチが日本特有の現象だと感じ、題材に取り上げた。早紀子とは対照的に従順な息子としてエリート人生を歩んできた弁護士の弘樹は、ある案件が暗礁に乗り上げたことから責任を押しつけられ、思いつめた末に妻を残して姿を消してしまう。この出来事は日本的なのかもしれないが、徐々に日本とイギリス共通の問題も浮かび上がってくる。

弘樹は一度の挫折で、妻や両親、仲間と断絶してしまった。それは本作の主題である孤独をくっきり表すとともに、別の人生の選択が難しいことも示唆している。格差が広がり続け、勝つか負けるか二拓しかない現代社会で、道をそれることは負けに等しい。どんなに世界が多様化しても、幸せの基準にさほど変化はないのだ。その要因に「他人が見る自分」を意識せずにいられない現代人の生態がある。弘樹が会社や家族に相談しなかったのは、どう見られるかを気に病んだからではないのか。いわゆる世間体は保守的・因習的なコミュニティにだけ残っているわけではない。それは例えばSNSの「いいね!」の数で一喜一憂する「承認欲求」に姿を変え、いっそう複雑に人間の心理を操作している。そして「見せたい自分」と現実の自分が乖離した時、人は事実を直視できない。

主人公は可児出身、ロンドン在住の早紀子。彼女が婚約者ダン、その母親リンダを連れて帰郷するところから物語は始まる。早紀子は父・勝の常に頭ごなしの態度に反発して家を飛び出した経緯があるものの、結婚式の相談をしようと帰国。ダンやリンダを実家に招き、両親に紹介する。しかし勝も母・千代もどこかよそよそしく、早紀子は居場所がないという想いをあらたにする。ところが、兄・弘樹の同僚・浩司の訪問によって、両親の異変が自分のせいだけではないと気づく。

早紀子は職を失い、海外での長期滞在が危ぶまれていた。ダンも決して裕福とは言えず、母親のリンダは離れて暮らす息子に不満を覚えている。弘樹の妻・康子は積み上げたキャリアを守ろうと仕事に没頭してきたが、夫の失踪で動揺を隠せない。勝と千代の夫婦も仲睦まじい老後に見えて、お互い干渉しないだけ。しかも二人は弘樹の失踪を認めず、周囲に嘘をつき続ける。誰もが、本当の自分を見せられる相手がいない孤独に目を背け、他人から見た自分ばかりに苛まれている。

もちろん思いやりや愛情ゆえに取り繕うことはある。登場人物はみな、幸せそうに見せることで家庭の平穏が保たれると思っているはずだ。それでも早紀子は自分の生き方を一旦あと回しにして、日本で家族の再生をはかろうとする。そうした変化を経てみると、ラストシーンは意味深に映った。幕開けと同じ居間なのに家具の向きが反転して、客席から食卓がよく見えなくなる。この見せない演出は、「他人が見る自分」から解放されたことを示していたのかもしれない。

改稿を重ねたという戯曲からも現場の苦労の痕がうかがえたが、バーチ自身は翻訳や通訳の仕事が作品に貢献していると語っていた。特に日本演劇界を支える翻訳家・常田景子の功績は大きいのだろう、シリアスな会話の多い中、時おり台詞が詩のように美しく響いて聞き惚れた。また家族の普遍性を描く一方で、バーチは日英の差異にも触れている。面白かったのは、信仰に対するリンダの反応。千代が仏壇にお祈りするのは、キリスト教徒であろうリンダには共感できない。なぜなら対象が神ではなく祖先、死者だからだ。しかし数日とはいえ彼らと共に過ごして帰国する時、リンダは亡き夫への伝言を仏壇に向かってお願いする。それは彼女の宗教的変化ではないが、日本人の生活に少し心を寄せる、そんな瞬間だった。

ひと口に国際共同制作と言っても、とてつもなく膨大で繊細な作業の上に成り立っている。早紀子とダンそれぞれの家族が最後ほんのちょっと近づいたことは、プレイハウスとアーラの関係にも重なって見えてくる。終幕、二つの家族にかすかな光が差した。二つの劇場の未来と絆も、今ここから、より確かなものになっていくだろう。