館長エッセイ
- エッセンシャルワーカーとしての文化芸術「社会的処方箋活動」の実践 -戦略的アーツマーケティング(CSV)で文化芸術の社会包摂機能を解き放つ。
- 「評価」は学びと更なる発展の機会、理解できない「ヒョウカ・ヅカレ」の言説。
- この国を「人間の家」にするために -残っている時間を何のために、誰のために、そしてSDGsへ。
- コロナ禍で焙り出された「不完全な社会」から「未来」を創造する - コロナ禍での制約で、さらなる顧客志向の「劇場経営」を考える。(承前)
- コロナ禍で焙り出された「不完全な社会」から「未来」を創造する ― 文化芸術と劇場音楽堂等の諸機能を「いのちのルネサンス」へ向かわせる。(下)
- コロナ禍で焙り出された「不完全な社会」から「未来」を創造する ― 文化芸術と劇場音楽堂等の諸機能を「いのちのルネサンス」へ向かわせる。(中)
- コロナ禍で焙り出された「不完全な社会」から「未来」を創造する ― 文化芸術と劇場音楽堂等の諸機能を「いのちのルネサンス」へ向かわせる。(上)
- 試されている私たち、何故「社会を守る」が機能しないのか ― 「つながりの貧困」と「想像力の減衰」を克服してインクルーシブ・レガシーへ。
- 誰もが人間として尊重され、生きる意欲のあふれる社会構築へ ― 劇場音楽堂等の存在自体が「社会的処方箋」として機能するコミュニティへ。
- 見えないと始まらない、見ようとしないと始まらない ― 社会ダーウィン主義を超えるための「手段としての社会包摂プロジェクト」を。
- 「歴史の峠」を越えた向こうに見える風景は ― 人口937人/年増の意味と、なぜ、いま、社会包摂と共生社会なのか。
- 「承認欲求」の充足、非認知能力の「社会的相続」、そして「つながりの貧困」 ― 就学前教育への投資への道程。
- 社会的共通資本としての劇場音楽堂等と芸術文化を ― 成熟社会の綻びを回復に向かわせるために。
連載 「公共劇場」へ舵を切る
可児市文化創造センターalaは、特別な経営を施したり、有り余る予算があったり、特殊な人材がいるわけではありません。人口10万ちょっとの小さなまちにある、何処にでもある普通の公共ホールです。そこが年間30万人の来館者(平成25年度実績)を迎えて賑わっているのには、ほんの少しだけ工夫をしているのですが、その工夫は、何処の公共ホールでもちょっと知恵を出して、少し汗をかけばできることです。可児市文化創造センターalaは、各地域の特殊性に合わせてトランスレートすれば、何処でも真似のできる経営理念と経営手法を目指しています。
それに実は、衛館長が就任した当時、とても言うに言われないほどの酷い状態であり、塗炭をなめるような経験しています。それでも衛館長が就任してから日本を代表する地域劇場を目指し、その6年目に「国の特別支援施設」として認知されることになりました。それでもより高みを目指して、職員一同、日々、刻苦勉励をしています。
この「館長VS局長」は、2011年から「何処でもできる地域劇場経営」の教則本として、衛紀生館長兼劇場総監督と当時の篭橋義朗事務局長(現可児市教育委員会教育長)に、それぞれの立場から「これまで」と「いま」と「これから」を記してもらい、他館の「ハコモノ脱却」や「改革断行」や「健全経営」の参考になればと、この連載を始めることにしました。いわば、衛と篭橋の「備忘録」として記されたものが始まりでした。
その後、事務局長は桜井孝治、山本和美、山口和己と代わり、2019年度4月からは遠藤文彦が着任しました。それぞれに文化の専門家ではありませんが、地域経営の専門家です。その視点からのアーラの劇場経営に対して率直に思いを書いてもらえればとこの連載の所期の目的に適っていると思います。お気軽にお読みいただければ幸甚です。
館長
- 第八十六回 新型コロナウイルスが「パンドラの箱」を開けた。
- 第八十五回 「ノアの箱舟」は何処にある。
- 第八十四回 ブラックホールに呑みこまれつつある日本の、「新しい夢のかたち」とは?
- 第八十三回 「生き方」の穂を継ぐ ― アーラを日本の劇場経営のスタンダードに。
- 第八十二回 記憶に残る海外での食事は数えるほどしかない。
- 第八十一回 日本社会の分断化を象徴する南青山の出来事。
- 第八十回 「社会的処方箋」をスタートアップさせるために。
- 第七十九回 芸術と向き合うよりも、人間と向かい合う職員になれ ― 文化政策3.0によって何が変わるのか。
- 第七十八回 『みんなのピアノ』プロジェクト動かす。
- 第七十七回 「世界劇場会議国際フォーラム2018」で出来たこと、出来なかったこと。
- 第七十六回 考えるべきことを、考える時に、十分に考える、誤読と曲解のススメ― 劇場職員はアーツマネジメントとマーケティングをいかに勉強するか。