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第八十五回 「ノアの箱舟」は何処にある。

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

以前から問題のあった歯と歯茎が2月末に口腔崩壊をして、日英共同制作『野兎たち/Missing People』の英国・リーズ公演には薄めに作ったマウスピースで抜けそうになった歯と抜け落ちた歯列空間をカバーするという悲惨な状態で成田空港を発つありさま。当然ですが、当地滞在中は、リーズ市場のベトナム屋台のチキンフォーか、劇場レストランのサラダか豆カレーのようなシチューをポロポロのインディカ米にかけてカレーのように半ば呑み込むか、コンビニのあのボソボソした英国の不味いサンドウィッチをコーヒーで飲み下すかという、何といっても食事が悲惨極まりないものでした。いかに英国の料理が不味いとの定評があっても、空腹は最高の調味料で、咀嚼できれば満足感はあるのですが、今回はエサを食している感のつきまとう劣悪な一週間でした。4月にはアーラと一緒で「大規模改修」に入ります。

そして、挙句の果てに、ボリス・ジョンソン首相のコロナウィルスに関する緊急声明の一時間半後のロックダウン。そして開演一時間前にリーズ・プレイハウスの芸術監督ジェイムス・ブライニングからの公演中止の通告。しかも、その日は全国紙と地方紙の演劇記者をはじめとする演劇ジャーナリスト、英国内、スコットランドからの劇場関係者が一堂に会する「プレスナイト」の日、つまり全国的な評価の行われる日で、その2、3日後に舞台評価が出るという試金石の日でした。リーズ・プレイハウスがウエストヨークシャー・プレイハウス時代にジュード・ケリー芸術監督の下で一時代を築いたマーケッターの友人であるケイト・サンダーソンが初日を観て大いに評価してくれて、プレスナイトでの再会も約束していました。英国公演でも私がお客様を出迎えて、終演後にお見送りしたのですが、その折に多くの方々から「ありがとう」、「良い仕事ですね」と声を掛けられたことも重なって、ロンドンのナショナルシアター(NT)からの招待も期待できる環境にあったのでした。NTの小劇場であるコッテスローでの1ヶ月公演も可能性としてあると頭の片隅にはありました。

『野兎たち/Missing People』の上演会場であるリーズ・プレイハウスのコートヤード劇場に集められた時点で、おそらくこれから何が起こるかをすべてのキャスト・スタッフは分かっていたのではないかと思います。ジェイムスからの公演中止の通告を聞いて泣き出した女優たちは共演のベテラン英国俳優に抱擁されていましたが、私は自分でも意外なほど冷静にそれを受け止めていました。個人的にはこの劇場に98年に出会ってから23年目にたどり着けた共同制作であり、しかも長期間、作家と演出家との話し合って新作を立ち上げて、共同制作を成し遂げられたのですから、それには誇らしい達成感はありました。アーラとしても提携契約5年目にして、可児という地方小都市の劇場がそのような舞台製作を出来たのですから一応の到達点に至ったと思っています。しかし、私はいたって冷静に、今回の国際共同制作は、日本の劇場界、演劇界にとって世界の頂を目指す旅の道程に小さな道標を立てることができた、ということである、との平静な気持ちでした。高揚感はなく、「小さな道標」がその時の感慨のすべてでした。この「小さな道標」を「大きな一歩」にしてくれるのは、私たちの後にくる世代の仕事であり、彼らに「未来」を託すことが私の役割だったのだ、とジェイムスのいささか事務的な説得を聞きながら冷静に自分の「現在」を思っていました。それにこれは「通過点」に過ぎないし、私にとっての「到達点」は劇場の存在が社会にとって「社会処方箋」という価値を持ち、国民市民からそのような公共性を賦与されて、合意形成のできる時との思いが、アーラの館長に就任してから私には常にありました。冷静だった理由はまさしくそこにあるのです。

その日の夜中、一睡もせずに逗留先のアパートメントホテルを出てリーズ空港に向かい、5時45分発でアムステルダムに、9時発でパリ・ド・ゴール空港に、そして12時20分発で成田空港に向かうという、トランジット2回、21時間をかけて成田空港に到着しました。13日の突然のKLM機の運航休止で予定が狂い、とんでもない遠回りを余儀なくされたのでした。それでもそのお陰で広大なドゴール空港の中だけでパンデミック下のフランスの緊張を窺い知るという貴重な体験ができました。これは帰りがけの駄賃ならぬ、余禄だと思っています。

「帰国者の2週間自宅待機」によって、久しぶりに下北沢の自宅で時間を費やしました。自宅を建てて4年目を迎えようとしているのに自宅で過ごすのは東京出張のせいぜい月に3日間くらいで、とても「自分の家」の実感はなかったのですが、その2週間で皿の仕舞ってある所やIHクッキングヒーターの使い方等を体得して「我が家」の実感を持てるようになりました。2週間の待機中に二度外出しました。一度は彼岸の中日に、可児に来て以来出かけていなかった墓参り、もう一度は掛かりつけ医に命綱の常備薬をもらいに行きました。墓参は車を走らせたのですが、病院へは下北沢の街を歩いて行きました。あまりの人の多さに違和感を持ちました。私の帰国の3日後に成田に着いた出演者・スタッフは長時間待たされて検疫の書類を書いたりするほどコロナの防御態勢を厳しくしていたのに、この街の賑わいは何なのだろうかと私は訝しく思いました。英国はロンドンがコロナ汚染の中心で、まだリーズは平時の穏やかさを保っていたのですが、ド・ゴール空港の検疫官や航空会社職員のあのピリピリした緊張感とは別世界の観すらありました。下北沢は若者と外国人観光客であふれていました。ニュースで知る原宿・竹下通りの有事とは思えない雑踏で下北沢と同じ人混みのようでした。上野の山では中高年のグループがブルーシートを敷いての花見の様子が流れていました。

上野の花見客は論外で不届き者ですが、あの若者たちはマスコミを通して「コロナは高齢者だけが重篤になり、若者などの年少者は感染しにくい」という正体不明のウィルスに対して未検証な情報を確かに繰り返していたのですが、当時から「無症状者と感染しても軽症者」はPCR検査数が極端に少ないのだから厳に市中には存在すると報道されていました。「うつらない」ではなく「うつさない」こそが実は社会の構成員としての心構えなのに「この賑わいは」と私は抱えきれないほどの違和感を持ちました。私たち日本人は、かつて確かに私の周囲に幾重にも存在した「つながり」という連帯を維持することで安全と安心を享受する「見えない社会保障」を何処かに忘れて来てしまったのでしょう。人間という小さな哺乳類は、原始の時代から巨大な恐竜の跋扈から個を守り、生き抜くために「つながり=連帯」の社会をつくってきました。そのような社会機能の継続性を保持し続けるために、人々は「利他的」に生きることを知恵として獲得していました。「誰かに必要とされる」、「誰かを必要とする」という生存のための知恵がリスク回避する術として、確かに私たち「小さな哺乳類」にはあったのです。

緊急事態宣言が発出されて以来、スーパーマーケットの人出が非常に多くなっていて従業員が感染を危惧しているというニュースがあり、弁護士のコメンテーターが「危険従事手当」を給料に加算すればよいのではと話すのを見ていて、金で何でも解決できると思っている気持ちに私は暗い気分になりました。「危険従事手当」は必要ですが、優先順位はまずは他者への気遣いや思いやりではないでしょうか。手当のコメントを耳にして、「いまだけ、金だけ、自分だけ」の価値観がここまで人間の言動を犯していることに、私は暗澹たる気持ちになりました。

「文明は疫病の揺りかご」という言葉があります。私たちの世界は、確かに一見すると豊かさを謳歌してきましたが、実は多くのものを失ってしまったのではないかと思い続けてきました。スーパーの店員さんの身の危険を払しょくするには「金」ではなく、買物客の「うつさない」、負担を掛けないの自覚なのではないでしょうか。つまりは、「気配り」、「気遣い」、「思いやり」、「気働き」という他者との「つながりの文法」が、いつのまにか人間の生存維持の知恵から欠落してしまっているのです。社会をつくることで自分たちを守ろうとする「小さな哺乳類」の知恵が、経済的な豊かさと物質的な充足を追い求める過程で失われてしまったのです。私たちは自然や疫病の前では、何処まで行っても「小さな哺乳類」でしかありません。「戦争」はコントロールできても、「自然」と「疫病」はコントロールできないのです。現在のコロナ禍をみれば理解できると思います。人間は窮地に追い込まれたときに真価がわかるものです。同様に、政治も経済も社会も、誰もコントルールの不可な今回のような事態になると、その実態が残酷なほどに露わになります。それをどのように受け止めて、自身と社会の変容を図るのか。その意味で、私たちは「試されている」のではないでしょうか。

劇場音楽堂等と文化芸術にはコロナウィルスの感染防御する力はありません。ないばかりか、鑑賞事業も創造事業もワークショップもアウトリーチも、1か所に集まって、比較的密閉空間で長時間対面型のサービス供給をする業態であることから、私は劇場の社会的役割を2月末に断念しました。手足をもがれた忸怩たる思いはあります。しかし、劇場経営者としてはアフターコロナに向けて、せめてもパッケージチケット購入者や継続購入者、多文化共生プロジェクト・子育て支援ワークショップ・高齢者ワークショップ、市民サポーター等のボランティアの皆さんたち、ヘビーユーザーへの顧客維持プログラムを展開するしかない、と思い職員に指示しています。

劇場音楽堂等と文化芸術は、社会の多様性を育み、創造性を育てる「社会的インフラ」であり、フランスの経済学者ジャック・アタリが言うように「Lafe Industry (いのちの産業)」なのです。その特性をアフターコロナの世界でどのように展開すべきか。展開できるポテンシャルを、この期間にいかに涵養して、トップギアで飛び出せるか。パンデミックの二波、三波をしのいだあとの社会は、おそらくは私たちが今まで見たことのない、経験したことのない、復興の気力の萎えてしまうほどの荒れ地に立ち尽すことになるかも知れません。けれども、決して立ち止まりません。私は前を見ます。そして、立ち上がります。今回のようなパンデミックの後では、自殺者が死者数の10倍とも30倍とも言われるほど出るとされています。確実にアフターコロナに起きるだろうそのような事態に対して、何を準備すればよいのか。いま、真の意味での劇場音楽堂等と文化芸術の公共性を試されていると、私は思っています。