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第八十四回 ブラックホールに呑みこまれつつある日本の、「新しい夢のかたち」とは?

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生


私はテレビを見るときにドキュメンタリーとニュースをザッピングして見るのだが、ニュースは特に気持ちが落ち込むこと度々である。最近では自然災害や、子どもの頃には全くなかった事件がありチャンネルを合わすことに億劫になる。世の中の動きをウォッチングすることは社会に関わる劇場経営という仕事をするうえで必須なのだが、わざわざ鬱々とするためにニュースに触れるのは、本当に気が重い。米国・トランプ大統領の損得だけのすべての言動によって、いままで営々と先人たちが築いてきた世界の秩序を次々に崩壊させるのを耳にするたびに私は滅入ってしまう。

ニュースの最後の株価や為替レートにも関心はあるが、企業の内部留保が「自社株買い」に向かっていたり、日銀が大企業の株を大量に保有していたりと、何処まで日本の「いま」をあらわす指標なのか、疑わしい。上場企業が自社の株式を買い入れる自社株買いが、今年度に初の10兆円に達する可能性が高まってきたというニュースに、その疑問が膨らむ。そもそも企業の内部留保が国家予算の4年半分の450兆円にもなっている。これは本来は働く者の手に渡るべき労働対価を、非正規雇用を異常に膨らませて企業の収益に移転させた金額の総和であり、企業が未来を創造する使命である社会的役割を果たすために新たな投資のために使われるべきものである。逼迫する家計と貧困と格差を生んだ原因の一つが、うず高く積まれて「株主ファースト」のために使われているのである。「株主ファースト」は、シカゴ大学のミルトン・フリードマンが提唱したことで、「富める者をますます富ませ、貧しい者には自己責任だ」と言い放つ、いわゆる新自由主義経済の根幹をなす企業経営の柱の一つである。企業は従業員のものではなく、取引先のものでもなく、ただただ株主のものだという新自由主義の考えは、80年代に経営学の書籍の中で盛んに言われていた「従業員満足」(働きがい)の考えを葬ったのだ。働く者から「働きがい」を奪っておいて、何をいまさら「働き方改革」だ、「生産性向上」だと私は思う。

最近、米国の大富豪は実は労働者より税率が低い、という研究成果が発表された。カリフォルニア大学バークレー校の経済学者エマニュエル・セズとガブリエル・ザックマンの研究である。以前、世界的投資家で大富豪のウォーレン・バフェットが、「私の秘書は私より高い税率の税金を支払っている」と言って、一部の富裕層のみが優遇されている米国の税率を批判したことがあったが、二人の経済学者の研究は「何故、そうなったか」を明らかにしたことで米国社会に衝撃を与えた。それは好景気に沸いた50年代から60年代は上位400人の大富豪は70%という税率の税を納めていたが、企業家と政治家が結託して「中流以下の家計経済を活性化する」という口実で、その税率を下げることに成功したというのだ。80年には47%、現在は23%まで下がっている。「中流以下の家計経済を活性化する」という口実は「トリクルダウン」と当時呼ばれていた。富裕層や企業が大きな所得を得るほど、それが下へ、下へと「滴り落ちて」、国民全体が経済的な豊かさを享受するようになる、というのである。「トリクルダウン」、何処かで聞いたことがある言葉です。「痛みに耐えろ」と施政方針演説で言った小泉改革で国のかたちを主導した竹中平蔵氏が盛んに喧伝したのが、この「トリクルダウン」です。その滴り落ちるとされる「おこぼれ」を国民は無邪気に信じたのでした。80年代の英国・サッチャー政権でも、米国・レーガン政権でも、この「トリクルダウン」は言われましたが、そのような経済現象・社会現象はまったく起こりませんでした。その30年前にも、「トリクルダウン」は国民を欺く言葉として使われていたのです。そして、その半世紀後には日本でも盛んに喧伝されて、国民は一時の痛みに耐えれば「今日より明日はきっと良くなる」と信じたのです。のちに発信元の竹中氏はマスメディアを通して「トリクルダウンなんて起きるはずもない」とシレッとした顔で前言を翻しています。酷い話です。

結果として、国のかたちが大きく変わりました。国民は、生活ばかりか、心の在り様まで劣化しています。私がニュースを見て鬱々となるのは、その劣化の酷さ、子どもの頃の私の育った社会との著しい落差に愕然とするからです。貧困と経済的格差が価値観の分断化と不寛容をもたらして、民主主義さえ機能しなくなっているのでは、と思える出来事が頻繁にあります。私たちは所有の欲求を充たすことだけに傾注してきて、存在の欲求を軽く見過ぎてきたのではないだろうか。そのために私たちは「孤独と孤立」という社会の病を負うことになってしまったのではないか。「つながりの貧困」という手の施しようのない社会の病理の前で茫然と佇むしかなくなってしまっているのではないか。

だがしかし、私たちの世代は「あきらめが悪い」のが特徴です。これは私が高齢者になって頑固になったからではないと断じて言えます。あきらめが悪いから、アーラの経営手法が国の文化政策への提案になるまでになったと、私は思っています。最初の5年目あたりまで、何回か経営がアンコントロールになりかけていました。身体も壊したことがありましたが、持ち前の「あきらめの悪さ」を発揮して、何とか12年目に入っています。どうにか文化芸術の機能と、様々な違いを許容してその違いを豊かさに変化させる劇場音楽堂の「人間の広場」としての機能をフルスロットルさせることで、可児という地域のかたちを未来形にすること、それを全国への提案として国の未来形をデザインすることは、ささやかな力ではあるけれどアーラに出来ることではないかと思っています。積極的に国にも政策提案をして、「つながりの貧困」から抜け出して、Wellbeing(幸福と健康)に満ち満ちた「つながり」という「見えない社会保障」(Informal Security)が網の目のように張りめぐらされた社会をもう一度再生させるために、そして劇場音楽堂を単なる興行場としてだけではなく社会の隅々にまでその「果実」を届けるために、国と自治体が積極的に劇場を活用できるよう進めています。アンソニー・ギデンズがかつて提唱していた「積極的福祉」(Positive Welfare)の拠点施設として、予防社会政策(教育・福祉・保健医療・多文化共生)の拠点施設とし積極的に活用すべきと、私は30年来構想してきている。そうしてできる国や地域のかたちこそが私の「新しい夢のかたち」である。

ジャン・ジオノの『木を植えた男』という絵本がある。大学と大学院の教え子たち10数人が、館長に就任した年にアーラに来てくれて、一人一冊持ってきてくれた絵本の中に、この『木を植えた男』があった。プロヴァンス地方の荒れ野で来る日も来る日も苗木を植え続けた男の話で、二つの大戦のあいだも休むことなくその男は木を植え続けるのだが、出征していた「私」が帰還してその荒れ野を訪ねると、そこは楢の豊かな森となり、乾いていた荒野には清流が流れて、人々の笑い声が森に響いていた、といういたってシンプルな物語だ。66歳の時に脳梗塞を患って、その治療薬の副作用と若干の後遺症で、相当に気を配らないと真っ直ぐに歩けなくなり、思うように動けない自分に苛立ち、鬱々として、終には抗鬱剤を処方されるようになったとき、この『木を植えた男』を偶然手にした。それを読んで、自分の生きているうちに「夢」を実現しようとするから思うように動けない自分に苛立つのであって、私は次に来る世代へ「夢のDNA」を引き継ぐ仕事をしているのだと気付いて、心底気が楽になったことがある。私は来る日も来る日も苗木を植えるのが使命であり、やがてはその劇場がまちの人々の「森」となり、「清流」となるわけで、自分がそれを見ようとするからいけないのだとその時に悟ったのだった。次の世代に託す「夢」を持てるだけで自分は幸せだといまは思っている。篭橋現教育長が私に館長就任を依頼しに見えた時、「遺言状を書くようにアーラを経営する」と言ったのだが、それは間違っていなかったことになる。

「そうだ、私はこの<木を植える男>のような仕事をしているのだ」と我に返りました。何十年後か先に、劇場という場所を人々の羽を休めに来る「豊かな森」にするため、私はいま一本一本と苗木を植えているのだ、生あるうちに自分の手で「豊かな森」をつくろうとするから気が滅入るのだ、とようやく気付いたのでした。