第62回 ala Collectionシリーズvol.8「すててこてこてこ」楽日

2015年10月31日

可児市文化創造センターala 事務局長 山口和己

『ala Collectionシリーズ』は、アーラが平成20年から毎年継続してきた、今年で8作目を数える自主企画事業です。これは、敢えて過去の優れた戯曲に再度焦点を当て、俳優及びスタッフが可児市内に約1か月半の間滞在して演劇作品を製作し、可児での公演を皮切りに東京、そして地方公演へと巡業する、可児発信の一大演劇プロジェクトです
実を言いますと、7年前この事業がスタートした当時、私は市役所の別の部署にいたのですが、この可児市で演劇を作り上げて、東京や地方へ売る、発信していく、という意味をよく理解することができませんでした。既成概念で、演劇というものは原作が存在し、セリフが決まっていて、役者は選ばれるものの、どこに創作、制作という部分があるのか、可児で滞在して稽古はするけれども、演劇自体はすでに完成しているものだと思っていたのです。今、そんなことを漠然と感じた自分を猛烈に反省しているところです。

今年のアーラコレクションは、文学座との共同制作という形をとりました。演出家はもとより、スタッフの多くが文学座からの動員、11人のキャストのうち8人を文学座の俳優で固めていただきました。
話は、文明開化の新時代を迎えたばかりの東京、人情噺の名人三遊亭円朝とその弟子でありながら、師匠とは別の道を行く滑稽話の奇才三遊亭円遊。
芸能を民衆教化策に利用しようとする政府の圧力の中で、「真を写す」落語を身上とする円朝が、変化を余儀なくされながら、王道の人情噺を貫くものの、引退を決意してしまいます。一方、弟子の円遊は滑稽話で真打となりますが、兄弟弟子共々、師匠円朝の芸に心服しています。円遊はそれゆえ、師匠円朝の変化に反発する一方で、自分自身も客の質の変化に抗しきれず、自身に禁じていた珍芸の「すててこおどり」を踊ってしまう。という、何とも悔しい結末を迎える物語です。
作者の吉永仁郎氏は、歴史が大きく変わった当時、落語の世界がこうした危機を迎えたこと、落語家が危機と背中合わせで苦悩したことをこの作品に込められました。そして、この芝居を通して、あらゆる芸術の世界にもあり得る普遍的な問題を提起されています。

当作品は、可児市文化創造センターala小劇場において9月下旬から10月上旬までに7公演行い、続いて長岡市、同月中旬に東京吉祥寺シアターにおいて10公演、その後、徳島市、筑後市、長崎市にてそれぞれ公演を行いました。
8月26日に可児入りされたスタッフ、俳優陣の皆さんは、ホテル、アパート・マンション、借家等、それぞれご希望の滞在形態で、稽古漬けの日々、あるいは休息日には可児の町を堪能いただきました。恥ずかしながら、皆さんには移動手段として中古の自転車を一台ずつ貸与させていただきました。
今回三遊亭万橘役でala Collectionシリーズ第6作の「秋の螢」にも出演いただいた福本伸一さんは、すっかり可児の大ファンで、可児の隅々まで自転車で訪れ、魅力をフェイスブックで紹介していただいています。私の勝手な願望ですが、可児の親善大使になってもらいたいくらいです。
また、これは当alaの誇れるものですが、20名を超える市民サポーターの皆さんが、可児での滞在期間中、それぞれの持ち寄りによるケータリングをはじめ、身の回りのお世話などの雑用、掲示物の作成や、その他PR活動を献身的に支えていただきました。

稽古は、演劇ロフトに本番と同じスケールのセットを組み、そこでのセリフ合わせなどから始まりました。稽古が進むにつれ、徐々に衣装をつけての本格的なものとなります。アーラのロビーなどで浴衣姿の俳優さんたちとすれ違うことも多くなった頃、通し稽古の様子を見学させていただきました。
冒頭、私が猛烈に反省したというのは、この演劇ロフトの中で展開されてきた過程そのものを目の当たりにして、これぞ創作、制作なのだと、心底感動を覚えたからです。演出の西川さんが厳しい目でメモを取ったり、演出助手に耳打ちするなど、緊張の中、役になりきった俳優さんたちによってストーリーが展開されていきました。
師匠の円朝が引退を決意し、真打披露を控えた円遊が、恋中のお里の前で、自分が滑稽話を貫こうとする一方で、客の質の変化に戸惑い、自身が禁じ手とする珍芸「すててこおどり」を考え出してしまったことを苛み、苦悩を露わにする場面、そして、その円遊をお里がしっかり抱きしめて必死に励ます場面では、私はこの通し稽古の段階からすでに涙が頬を伝い、それを隠すのに苦労をしました。
また、今回は、円朝役の坂部文昭さんにとって、大変な試練とでも言えましょうか、困難な状況からのスタートでした。すでにご承知のこととは思いますが、当初、円朝役には、加藤武さんが決まっており、ご本人も非常に入れ込みがあり、セリフ等はすべて頭に入っておられたそうです。その加藤さんが、7月31日に急逝されてしまい、急遽ピンチヒッターとしての指名に坂部さんが応えられたのです。この代役決定は、一行が可児入りをする8月26日から遡って既に1ヶ月を切っていました。坂部さんにとっては、可児での生活は、余暇時間もない、文字通り稽古漬けの毎日となったことでしょう。短期間におびただしいセリフを覚え、円朝になりきっていく姿にプロの俳優の姿を見せていただきました。

可児公演は初日を9月26日に行い、10月3日までに計7回行われました。私は自身のスケジュールと折り合いをつけ、その内5回の公演を観ました。演劇素人の私がおこがましいとは思いますが、まさに、演劇はナマモノ、毎回変化、成長し、進化していることに驚きと感動を覚えました。俳優さんたちが、毎回一度きりの公演をいかに最高の演技で終えられるか、常に努力をしておられることが、強く伝わってきました。
去る10月17日、10日間にわたる東京公演の9日目に、吉祥寺シアターを初めて訪れました。240人程が入れる、こじんまりとした劇場でしたが、客席の傾斜が急な造りになっていて、アーラの小劇場の雰囲気と少し異なる劇場でした。

そして、ここでまた驚いたのは、可児公演の時少しだけ感じていた、それぞれの俳優さんの誇張したセリフ回し、所作がなくなり、全てが自然な空間になっていたことでした。うまく表現できないのですが、セリフのない俳優さんが自ら、あるいはお互いに、これをアドリブというのでしょうか、その場の雰囲気に自然な人間の動きを演じておられることを随所に発見することができました。また、観客のクスッと笑ったり、息を呑むような静寂な空気感というような、これもうまく言えませんが、何か、舞台と観客が一つの演劇を作り上げているような、そんな一体感のある空間を体験してきました。またまた、ここで、演劇に対して持っていた最初の偏見に対して、猛烈に反省し、演劇の素晴らしさに魅了される自分を感じることとなりました。

先日、長崎での最終公演、千秋楽を迎えましたが、映画などと違い、またいつか見てみたいと思っても、演劇の場合にはそれは叶いません。仮に、将来、リメイクされたとしても、その時は、演じる俳優さんもスタッフも変わり、また、別の作品として創作されていくことになります。今回の作品を、私自身、しっかりと心の中と瞼の裏に残していきたいと思います。
落語、芸術の世界の苦悩を描いた今回の作品ですが、私たち行政マンの世界に存在する課題にも繋がる気がします。私は、市の行政の一端を担当させていただいておりますが、市民の皆さんからのいろいろなご要望やご意見をいただきながら、将来本当に市にとって良いことは何か、市民の皆さんが究極に望まれる方向性は何か、どういう順序で進めていくべきか、など常に自身にも問いながら職務に励まねばならないと考えております。
いかなることがあろうとも、どのような力が働こうと、行政は決して「すててこおどり」は踊ってはならないと、自分に言い聞かせたところです。