第79回 芸術と向き合うよりも、人間と向かい合う職員になれ ― 文化政策3.0によって何が変わるのか。

2018年7月6日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

石川栄耀という都市計画家がいた。戦前に内務省都市計画地方委員会技師として、名古屋委員会時代に都市計画実現の手法として土地区画整理事業の導入に尽力して名古屋都市計画の基礎を築いた人物で、その後は上海、上田市の都市計画も策定している。東京都技官を経て、戦後には建設局長となって戦災都市復興計画をまとめたことで非常に評価されているが、彼を有名にしたのは、戦後、野球場にする予定だった上野・不忍池の埋め立て計画を覆したことと、新宿角筈一丁目に復興協力会から戦災地を繁華街にする計画案をもちこまれ、本格的に取り組んで、歌舞伎座移転を視野に入れた計画を作成して地名も「歌舞伎町」という名を提案して昭和21年に現在の「歌舞伎町」を誕生させたことだろう。

その彼が戦災復興都市計画を担当して東京の戦災復興計画をまとめて、戦前アムステルダムで開催された国際会議で知己をえた、尊敬する都市計画家である英国のレイモンド・アーウィンにその計画を見せるためにいさんで渡英する。その時に、アーウィンから彼は思いもかけない批判をされることになる。アーウィンは、文化経済学の思想的な祖と言われるジョン・ラスキンやウイリアム・モリスの考え方に若い頃に傾倒しており、産業革命の生産力増大第一の経済成長主義により取り残された労働者の生活環境改善のための住宅地整備計画で注目を浴びた出自を持っている。ここからは私の想像の域を出ないが、アーウィンは石川の自信のあった計画を「There is no wealth but life」と評したのではないか。「There is no wealth but life」はラスキンの言葉であるが、帰朝後の石川が駅前広場を計画に描き込み、のちに「盛り場の好きなロマンチスト」と評されたほどその駅前広場に続く「盛り場」を設けたことを考え合わせると、「Life」は「生活」というよりも「いのち」と訳すべき言葉とニュアンスを持った、石川にグサリと刺さる評価だったのではないかと想像できる。石川の駅前広場から拡がる商店街・盛り場を必置とする都市計画は「民主主義への憧憬」とも評されている。

「There is no wealth but life」を、日本における文化経済学の建学者の一人である池上淳先生は、「命を成長させる営みがあってこそ豊かさが生まれる」と訳しておられる。進路を数学者に決めていた宇沢弘文先生が経済学に身を通じた契機となったのもこのラスキンの言葉だが、先生が読んだ河上肇の訳は「富何者ぞただ生活あるのみ」というもので、これで心が大きく動いてノーベル経済学賞に一番近い日本人になってしまうのだから、天才は我々とは違う感受性と想像力があるのだろう。私には池上先生の訳の方がピタリと来る。なぜなら、私の考えている劇場音楽堂等を「芸術の殿堂ではなく人間の家にする」という羅針盤の針の指し示す方向が、「命を成長させる営みがあってこそ豊かさが生まれる」という池上訳に通底するものであり、「いのち賑わう劇場」とは、多様な生活環境、違い、価値観のすべてが受容されて「豊かさ」を生み出す寛容な「みんなの広場」にどこかでつながっていると思えるからだ。

私が芸術系・文化系の大学でアーツマネジメントを学んできた人間が、実学としてのマネジメントがまったくできずに現場では役立たず・木偶の坊に成り下がってしまい役に立たないというのはこのロジックと無縁ではない。「顔が、芸術と芸術家の方を向いている」からだ。劇場音楽堂等の職員は、まずは当該地域の市民の方を、人間と向かい合えなければしごとにならない。言うまでもないことである。そこで第一に必要なのは、芸術経営理論でも芸術哲学論でもなく、芸術史でもなく、「対人共感性」である。単なるコミュニケーション能力では決してない。その生活環境・育成環境・経済環境をも包括して寄り添うことのできる「対人共感性」及び「対人共感力」である。その伝で言えば、各芸術分野の統括団体が時代環境の変化のプロセスで機能しなくなっているのも根は同じである。補助金・助成金のより多くの獲得という芸術家や団体の経済的利害を代表してはいるものの、それ以上でも、それ以下でもないのである。それは国民・市民にとっては無縁の利害であり、納税者である絶対多数の国民・市民は自身の生活にとって統括団体の指針がどのような価値をもたらしてくれるかに関心があるはずだが、統括団体がそのように機能したことはほとんどない。行政からの通知の「上意下達」や「補助金・助成金の配分」のためだけの統括団体ならば、文化政策3.0の環境下では次第に機能不全となるに違いない。「変化」しなければならないのだ。

芸術系・文化系の大学でアーツマネジメントを学んできた人間が現場では役に立たないのと同様に、自分が館長をする劇場とホールを経営環境の変化に従って「変化」させられない経営者は、その能力に疑問符をつけざるを得ない。「経営」とは新しい価値を創出する営みであり、その価値とは経済的利得とは限らず、新しい芸術的価値の創出による都市のステータスの高度化でもあり、包摂的経営による「住みやすさ一番」のシビックプライドの醸成でもある。しかし、このすべてで外部環境は21世紀になってばかりか、良く周囲を見回してほしい。この10年でブリンクイヤーの如く激変しているのである。であるのに従来からの経営手法から1ミリも動かないのは経営者として失格である。同様に芸術の方ばかりを見ていて市民を見ていない芸術監督もただちに去るべきである。丸亀市職員が言っていたが、いままで「すべての市民」という言葉を使っていたが、それは内実のない言辞としての「すべての市民」だったと慨嘆していた。私と5年間で1000回、およそ10000人との車座集会を開いて建築予定の劇場のニーズを丁寧に掘り起こす作業を始めてからの車上での彼の感想である。1ミリたりとも変われないのなら劇場を去るべきである。

「赤字補填」という補助金の仕組みが変わったということは、「生かさず、殺さず」の保護的文化政策が終ったと、もしくは文化庁と国が変わろうという意志を持ったと私は見ている。つまり、文化政策2.0は「第三次基本方針」を境として、「負担としての公的支援」から「公的資金による戦略的投資」の3.0へと、緩やかにしかし確実に変化して行っているのだ。第三次基本方針で初出した「文化芸術の社会包摂機能」も、劇場法施行のための「大臣指針」で「教育機関、福祉施設、医療機関と連携して」と具体的に文言化されたのだが、そのあと4年間は現場が大きく動いた形跡はほぼなかった。「社会包摂型劇場経営」に関する講演やシンポジウム、議会研修でここ4年間は視察を含めると年間60を超えるコンサルタントをしているので、そのあたりの動静は手に取るようにわかる。昨年8月末の概算要求で「共生社会実現のための芸術文化振興事業」に5億400万円が計上されたことで今年度に向けての同補助事業のアプライ数は59件と飛躍的に伸びることになった。結果としては、「共生社会実現の」は財務省の査定で全面カットされたが、「戦略的芸術文化創造推進事業」の中に組み込まれて14件の採択(採択率23.7%)ということになった。文化庁としても「想定外」のアプライ件数であり、採択率も当然だが低い。

近隣の大型館の中間管理職たちが集まった折に、3年程前の話だが、「社会包摂は金になる」的な会話が交わされていたと仄聞する。私はそれでも構わないと思っている。結果として従来からのアウトリーチやワークショップになってしまい、社会的インパクト投資のSROIで「変化」が計測できない類の社会包摂を誤解曲解しているものなら断固排除すべきと思うが、結果としてアウトカムである「変化」が起こったのなら、やらないよりはやった方が良いに決まっている。その「変化」を目前にして、劇場音楽堂等の姿勢が「変化」する場合だってありうる。それも投資によるアウトカムに組み込めると私は考えている。

そのことで「半歩でも」前に進めば、結果としては成果なのである。その体験を契機として、文化政策3.0に向かうモチベーションが形成されると思うからだ。
私は職員に以前から社会包摂型劇場経営によって地域の課題解決のためには、金子みすずの『星とたんぽぽ』の「昼のお星は目に見えぬ 見えぬけれどもあるんだよ」のように、昼の空に星を見つける目を持つようにと指導してきた。「助けて」と言えない社会になってしまったが、「助けて」という呟きを聞き取る耳を持つように言ってきた。大人にとって「問題な子ども」は「問題を抱えている子ども」なのだとも、スクールプログラムをやるようになってから言うようになっている。文化政策3.0において求められる職員の機能は、「人間」や「地域」と向かい合う、「昼の空に星を見つける目」と「普通の市民には聞こえない声を聞き取る耳」を持つ、対人共感性に他ならないと、私は思っている。