第69回 劇場ホールの伸びやかな公共性を阻害している「犯人」は?

2016年7月3日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

演劇と劇場の社会包摂事業の社会に与えるインパクトを数値として導き出して政策エビデンスをつくろうとする委員会の初顔合わせが、6月2日に日本財団の会議室で行われた。これは、文化庁の戦略的芸術文化創造事業に採択された公益社団法人日本劇団協議会の研究部会を母体として、社会的インパクト債(SIB)の研究者である慶応大学教授でNPO法人SROIネットワークジャパン代表理事の伊藤健氏、同じく研究者でインパクト投資及びインパクト評価に関するコンサルティングサービスを提供し、日本におけるSIBの推進を日本財団とともに主導しているケイスリー株式会社代表取締役の幸地正樹氏が加わって組成しようとしているタスクフォースで、近い将来の日本の文化政策のスタンスを180度転換させようとする意図で7月を目途として活動を始めようとしている。

事の発端は、昨年9月1日に日本劇団協議会のある芸能花伝舎で行われた交流部会での協議だった。地域の劇場と提携したいという意志を持っている協議会所属の劇団がある一方で、可児市文化創造センターalaと劇団文学座との「地域拠点契約」での成功事例による公立劇場ホールの芸術団体と協働したいという潜在的ニーズは広がっている。また、成熟社会における社会的矛盾の噴出による地域課題に対応する劇場ホールの社会包摂機能が、この2年ほどで急速に注目されていることも、社会包摂型事業の技術開発で音楽のそれを凌駕している演劇団体とのマッチングの必要性を地域劇場が持ち始めているという現状認識があり、可児での取り組みを先行事例としていくつかの地域でパイロット的に協働を推進できないか、との戦略が合意された。

もう1点は、それらのパイロット事業に政策的投資をするエビデンスがまったく形成されておらず、十年一日のごとく定性的評価で財務省及び自治体財政担当に説明するだけでは説得力がない、というのが交流部会の認識だった。そこで①地域劇場と劇団のマッチングを進めて、社会包摂プログラムを3か年程度地域で展開して、そこで醸成される劇場と劇団の信頼関係、すなわち関係資本を梃子として「地域拠点契約」に持っていくという戦略的デザインと、②政策根拠である包摂型事業のエビデンスを科学的な手法で算出する、という2点を、当時の佐伯文化部長に提言することとなり、会長で交流部会長の西川信廣氏と私、それに事務局で文化庁を訪れたのが10月14日のことだった。

そして、年度が明けた4月28日に採択された戦略的芸術文化創造事業の調査研究をどのような工程で進めるかの調査研究部会が開かれ、私からソーシャル・インパクト・ボンドの組成及び評価の際の手法として開発されたSROI(社会的投資収益率)を活用して、政策根拠を貨幣価値的に算出してはどうか、という提案をした。補助金のアプライの際の計画では、劇団と劇場にアンケートをして集計し、その傾向と可能性とパースペクティブを示すという、従来から劇団協、芸団協、公文協などの統括団体の調査研究でやられていた類のものだった。私は以前から、これらの調査研究の報告書を読むたびに「だから、何を言いたいの?」という空虚さを感じていた。手段と目的を混同しては何もうまないのは自明である。そのアンケート調査は何らかの政策提案の根拠となる手段なのであり、政策提案めいた解説があっても牽強付会に過ぎるのではないかという体のものだった。学会での研究発表によくある生焼けの研究論文のようなもので、それらの調査研究には、だから何が言いたいのと詰問したくなるものが少なくなかった。現場に関わる者が、いま欲しいものに近づく調査研究ではないと意味がないとも思っていた。それだけにSROI(社会的投資収益率)を活用する先行事例の調査研究と、その研究者によって監修された劇場と劇団へのアンケート調査による前述の①の展開可能性を探ることは、今後の文化政策に強いインパクトを与える糸口になるに違いないと思っている。

日本財団の会議室で行われたタスクフォースの顔合わせでは、なぜこのような調査研究が必要とされているのかの説明を伊藤健氏、幸地正樹氏の外部委員と、オブザーバーとして参加していた同志社大学経済学部の佐々木雅幸氏と、同じく同志社大学創造経済研究センター特別研究員(PD) でNPO法人都市文化創造機構事務局長の川井田祥子氏にすることから始めた。オブザーバー参加のお二人は文化経済学分野の研究者であり、大枠は理解できると思っていたが、初めての会合だけに専門家のお二人には、ともかくも最初に理解してもらい、共有したいのは文化芸術や劇場音楽堂等が社会課題を解決に向かわせる機能を持っていることと、それを稼働させることが著しい社会の劣化の中で文化政策の喫緊の課題であることだった。ここを全員が共有しないとタスクフォースは機能しない。外部委員は成果報酬型の資金調達制度によって社会課題を解決しようとするSIBの専門家であり、社会コストを削減するための民間からの投資行為を促進させることを使命としているわけで、サービス・プロバイダーと呼ばれる協働する実務機関は福祉機関が多い。そこに文化芸術や劇場音楽堂等が協働者として名乗りを上げたのだから、外部委員にとってはいささか唐突な感は否めなかっただろうと容易に想像できる。

90年代半ばから全国で講演活動をしているが、劇場関係者や文化関係者や自治体文化行政担当者でさえ、「目から鱗だった」と「何で文化芸術が福祉や教育の分野のことをやらなければならないのか」という感想が相半ばする。近年では従来は厚生労働行政で専ら使われていた「社会包摂」というタームが文化行政にも入ってきたせいで理解者は多くなって、むしろそのサービスのための具体的手法に関心が行くようにはなっているが、それでも芸術至上主義的な向きは頑迷にある。ましてや専門外の外部委員には、その実際に立ち合っていただかなければ、なかなか腑に落ちないことだと思う。今後の活動のプロセスで、現場に関わっていただきながら理解を進めていかなければと考えている。専門外の人間や国民市民が文化芸術と劇場音楽堂等の社会包摂機能を理解していないのは了解できるし、それは私たちの努力が足らないこととして自戒とするものだが、その社会的機能を外に向けることの大きな阻害要因が、私は内部にあるのではないかと思っている。劇場音楽堂等連絡協議会と芸団協の共催で行われた「連携フォーラム」で、社会包摂事業の話題になった折、クラシック演奏家の統括団体のトップが「演奏家はみな世界を目指しているので、そんなことは」と発言したことがある。私は挙手しないで「何言ってるんだ、こら」と不規則発言で彼の言葉を切った。瞬間湯沸かし器であり、喧嘩っ早いことは自認しているが、統括団体の責任者としてまったく信じられない発言だった。貴方たちは公的な補助を得ていないのか、それともそのような支援をされるのが当然な既得権だと思っているのか、いずれにしても芸術至上主義者の戯言というより、反知性主義者の愚かさに腹が立った。クラシック業界は明治以来のアドバンテージの上で胡坐をかいているだけではないか。このことがあったのちに開催された文化審議会文化政策部会で発言したこの当事者は「演劇の人間は声が大きいだけで」と言ったそうだが、河島伸子委員に「演劇は劇場法成立のプロセスで理論構築をしている」と社会とは一切のかかわりを持とうとしない発言者を戒めたという。

この一件以来、「敵は内部にあり」という感を私は拭えないでいる。アドバンテージを既得権として文化芸術や劇場音楽堂等の進展を阻害しているのは、それを理解していない国民市民ではなく、内向的で社会への働きかけをしようとしない反知性的な業界人、それも守旧的な業界リーダーではないかと思っている。国民市民の無理解は私たちの努力が足らないと承知しているのだが、そのような業界内の守旧派は既得権という権利だけを振り回して、後ろから鉄砲玉が飛んでくる状況をつくっていると疑っている。文化芸術や劇場音楽堂等を国民市民から隔絶する高い壁は自分たちで造っていると思っている。チケットを購入する人間だけが彼らの考える「社会」なのではないか。この胡散臭い「エリート意識」からは何も生まれない。ここでも私は、従来からの「常識」と「既得権」の中で安住する人間には何ひとつ変化を生み出せないと断言する。文化芸術や劇場音楽堂等は空中闊歩的に社会と無縁に存在するのではない。そういう向きには、「貴方は何処で生きているのですか?」と問いたいが、反知性主義の彼らには、その問い掛けの意味さえ理解できないだろう。