第63回 経営資源としての職員の経験値をリセットしないために ― 育児と介護と仕事を両立させる限定正職員制度の
検討を始める。

2015年11月30日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

「職員は大事な経営資源である」と言い続けてきた。しかも、この「経営資源」は年々歳々、技術集積のみならず社会的関係資本という「利息」を生む無形資産である。2003年の指定管理者制度導入後から、劇場音楽堂等における職員の非正規雇用率が年々上昇して、一般雇用者の非正規率は40%であるのに対して、制度導入10余年でおよそ80%弱と倍近くになている。とりわけて地域の劇場音楽堂等は、市民との関係集積がサービスの質を決定づけると言っても過言ではない。むろん、アーチストとの関係資産も同様である。したがって、人件費を削減して財政的な内部効率性のみを追求する現在の指定管理者制度の運用は劇場音楽堂等をますます体温のない、市民から遊離する存在にしてしまうことは疑いのないことである。劇場音楽堂等に社会包摂的な使命が問われる昨今にあって、この傾向は致命的な欠陥になる、と私は考えている。

アーラは基本的に正職員で経営している。私が館長に就任した時に、上記の理由で契約職員もすべて正職員化したからである。例外として新規採用職員は1年間だけ契約職員という身分で仕事に従事してもらうが、現在までは2年目には正職員としての辞令を交付する。私が館長になってからの6人のプロパー職員は例外なく正職員となっている。
ただ、今後の人事で起こるだろうと思われる、育児や介護のために現行のABCのシフト勤務では不都合が生じる場合にどのように対処すべきか考えておかなければならないと思っている。海外では劇場ホールや美術館等の芸術文化施設の職員は例外なく女性が多く、幹部職員も多くは女性が登用されている。アーラも事業制作課と顧客コミュニケーション室のいわゆる事業系は約64%が女性職員である。むろん結婚・出産・育児を経てもアーラの劇場経営のDNAを持つ人間として継続勤務して欲しいと願っているし、男性職員も今後は介護によってシフト勤務が困難なケースが出てくると予想される。介護者支援のNPOの代表者に言わせると、介護という事情によって離職することだけは絶対に避けるべきだ、と断言する。介護する対象が亡くなった時に社会的に孤立してしまうケースが多いからである。

いずれにしても、女性の場合も男性の場合も、育児と介護という事情が生じたとき、職場の仕組みにその「事情」を合わせるのではなく、個々人の「事情」に応じてあたうるかぎり仕組みにフレキシビリティを持たせるべきであると私は思っている。

職場の仕組みは人間の能力を充分に発揮させるためのものであり、人間の生き方を職場の仕組みに隷属させるのは主客転倒である。業態によって許容範囲というものはあるだろうが、劇場音楽堂等にあっては先の考えで私は各人の生き方には出来るかぎり寛容であるべきと思っている。そこで今後起こるだろう育児と介護に対する対応として、「限定正職員制度」を設けたいと思い、総務にその検討を指示した。その内容としては、シフト勤務で縛らないでABCのいずれかの固定勤務にする、社会保険の適用は継続する、勤勉手当等のいわゆるボーナスは正職員と区別なく支給する、有給休暇も従前と同様に取得できる、金融機関からの借り入れが起こせるように期限を定める身分とはしない、というのが私の考える粗々な制度の輪郭である。シフト勤務から外れることとシフト以外の時間の仕事については他の職員に負担をかけるのだから、基本給は少し下がるだろうが、当該職員が蓄積してきた社会関係資本は何ら毀損することなくアーラの経営資産として継続的に生かされることになる。

来年2月12日、13日にアーラで開催する世界劇場会議国際フォーラム2016「劇場は社会に何ができるか、社会は劇場に何を求めているか」にパネリストの一人として来日するサム・パーキンスは、ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)のクリエイティブ・エンゲージメント部長の重職にある女性である。年間およそ1000のプログラムの社会包摂的事業を行っている部署のトップであり、しかもその事業のための多方面からの資金調達まで行っている、全英から「楽園の劇場」と呼ばれるWYPにおけるキー・パーソンである。彼女は5人の子どもを育てながらその重職にある。「パートタイム部長」という言い方をしているが、日本でいう非正規職員ではなく、おそらく「限定正職員」という身分であると思われる。そのような身分で彼女のように劇場経営のエグゼクティブで働けるようにするのが私の理想である。日本のように彼女が出産・育児で退職もしくは非正規職員になっていたら、社会包摂型プログラムの質と量で全英に名前を轟かせているWYPの伝統は途絶えていたかもしれない。特に社会的孤立に瀕するティーンエイジャーのためにWYP所有の古いビルをリニューアルして立ち上げた「ファースト・フロア」は、前芸術監督時代に孤立無援の状態で、そのために孤軍奮闘して資金調達に奔走したことを私は知っているから、そのような仕事が可能な雇用の柔軟性をぜひとも実現しなければ「アーラの未来」はないとさえ考えているのだ。